最終話 願う幸せ

「待て、なんだこれは?」


 不意に、クライドが声をあげる。

 イズを村の近くまで送り、魔界にある自分の屋敷に戻った後、トーマから渡された報告書を読んでいる最中のことだった。


 報告書の内容というのは、トーマが調べていた、イズが魔女であることを裏付けるための身辺調査の結果だ。

 イズを村へと帰し、二度と会わないと決めた今、わざわざ目を通しても仕方のないものかもしれない。

 書いてある内容も、前にトーマから口頭で受けた説明と、ほとんど同じだった。

 だがその中にある一点を見た時、彼の顔色が変わった。


「イズの婚約者が天族など、そんなことは聞いてないぞ」

「ええ。言ってはいないので、そちらに書いて起きました。そもそも、話そうとしてもクライド様が聞こうとしなかったのではありませんか」

「むぅ……」


 否定はできない。というか、まさにその通りだった。彼からの報告でなく、イズに直接尋ねたこともない。


 魅了の力によるものも大きいだろうが、クライドは確かに、イズに惹かれていた。

 そんな相手の婚約者のことなど、聞きたくはなかった。聞いたらその分、嫉妬心が湧き上がってくるとわかっていたからだ。


「だからといって、相手が天族なら話は別だ。そんなやつがイズに一目惚れなど、魅了の力のせいじゃないのか!」

「おそらく、その通りでしょうね」


 憤るクライドだが、トーマは実にあっさりと答える。

 二人の間にある温度差は、実に大きかった。


「しかし彼女も、それは十分にわかっていることでしょう。それに、魔女がいかに危険な存在かは、天族だって知っているはず。魔女と知っていてそばに置くようなバカなまねはしないでしょう。全て話して、婚約は解消。それで万事解決です」


 トーマは、クライドがなぜここまで声を荒らげるのか、理解できないように言う。

 もしかすると、未だに魅了の効果が残っているため、こんなことを言っているのだと思ったのかもしれない。


 確かに、それもある。

 イズと離れたとはいえ、一度かかった魅了が完全に無くなるまでは、もう少し時間が必要だろう。

 だがクライドがこだわるのは、それだけが理由ではなかった。


「お前の言う通りになるなら、なんの問題もない。だが、本当にそうなるとは限らない」

「と、いいますと?」

「魔女の存在を忌み嫌うというのは、俺たち魔族だけでなく、天族だってそうだ。だが世の中には、危険とわかっていて、それでもそばに置きたいやつもいる」


 魅了されるというのは、一種の快楽に近い。本当にごく稀だが、そんな快楽を求めて魔女をほしがった者も何人かいたと聞く。

 もしかするとそれは、自らを壊すと知りながら、麻薬に手を出すようなものなのかもしれない。


「なら、どうするというのです。まさか、様子を見に行くとでも?」

「そうだな。それで、イズが平和に暮らしていたら、すぐに戻ってくればいい」

「何をバカな!」


 今度は、トーマが声を荒らげる番だった。

 主であるクライドに対して、怒鳴りつける。


「彼女の婚約者である天族がどんな奴だったとしても、あなたがそこまでする必要などない。故郷の村に返した以上、あとは預かり知らぬことです!」

「トーマ……」

「私はごめんですよ。また、魔女によってこの地が荒らされるのは!」


 冷たく言い放つトーマ。その顔は、ひどく険しい。


 クライドも、彼の言い分が特別おかしいものとは思わなかった。

 クライドの父親である先代領主が、魔女であるマーサに魅了され他の全てに無関心になった時、どれだけ領内が荒れたことか。

 クライドの父親に遣える者の中には、考えを改めるよう進言した結果、職を失ったばかりか投獄されかかったものまでいた。トーマの父親もまた、そうなった中の一人だ。


 だからクライドは、彼の言い分も、魔女を警戒するのも大いにわかる。

 自分の父のしたことに、負い目もある。


 しかし、それで全てが納得できるかとなると、また別の話だ。


「確かに、魔女であるマーサがいたことで、領内は荒れた。お前の父をはじめ、多くの者が不幸になった。だが不幸になったのは、マーサも同じだ」


 かつてこの屋敷に、マーサがいた時のことを思い出す。

 クライドの父は彼女に魅了された結果、できる限りの贅沢を与えた。良い食事を与え、綺麗な服を着せ、金や宝石を渡した。

 だが、それで彼女が幸せだったかというと、そうではない。


「彼女もわかっていた。自分のせいで父の心が壊れていったのを。そのため、領内が荒れ、多くの者が苦しんでいるのを。何度も何度も、涙を流し謝っていたよ。自分のせいでこんなことになってしまったとな」


 その時のマーサの顔を、今でも覚えている。

 クライドにとって、マーサは父を狂わせた元凶と言っていいかもしれない。だが、彼女自身を恨んだことなどなかった。

 恨むとしたら、狂っていく父と、泣いているマーサを見て、何もできなかった自分自身だ。


「俺は、二度と魔女の力で苦しむ者を見たくない。それが魔族であっても、天族であっても、そして魔女自身であってもだ」

「だから、行くというのですか。また、魔女のところに?」


 トーマは未だ納得できないのだろう。怒りのこもった目で、クライドを睨み続ける。


「かつて私が言ったこと、お忘れですか? あなたが領主としてふさわしくないと判断したら、迷わず討つと」

「ああ、覚えている」


 それは、クライドが亡くなった父の後を継ぎ、領主となってすぐ。荒れ果てた領内を立て直す。だが未熟な自分一人では無理と、補佐となる人物を探していた時のことだった。


「俺が、お前の求める領主としてふさわしいか、それとも父のような暗君となるか、誰よりも近くで見届けさせてやる。そして、背中を預けてやる。いざとなったら、いつでも討てるように。そう言って、お前を補佐に指名したのだったな」

「────っ! 覚えているなら、なぜこのようなことを!」

「お前には、今の俺が暗君に見えるか。なら、約束通り討て」


 クライドはそこまで言うと、クルリと回って、トーマに背を向ける。


 トーマはクライドが出ていくのを止めようと咄嗟に手を伸ばすが、彼はそのまま立ち止まり、一歩も動かない。

 それは、討てという言葉を実行させるための時間をトーマに与えているようにも見えた。


「どうした。何もしないのか?」

「くっ────こんなことをするのも、魔女に魅了されているからとは考えないのですか?」

「さあな。どこまでが自分の意思で、どこからか魅了の力によるものかは、正直なところ俺にもわからん。この行動が正しいかどうかは、お前の方が冷静に判断できるんじゃないのか?」

「そう言えば、私が引き下がるとでも思っているのですか?」


 トーマは、腰に下げていた短剣に手をかける。

 領主としてふさわしくなければ討つ。かつて誓ったその思いに嘘は無い。

 そして領主としては、魔女になど関わらないのが最善だ。そのはずだった。


 だが……


 構えた短剣は振るわれることなく、ゆっくりと下ろされる。


「あなたのしていることが、領主として正しいとは思えない。ですがここであなたを失っては、領内は間違いなく混乱するでしょう。あれだけ荒れていた領内を立て直すことができたのは、紛れもなくあなたの手腕によるものですからね」

「なら、どうする?」

「見届けます。あなたが魔女と関わり、それでも正気を保っていられるのか。彼女の無事を見届け、すぐに帰るならよし。ですが必要以上に関わろうとするなら、その時こそあなたを殺しましょう。あの、イズという娘も一緒に」


 最後の言葉には、クライドもピクリと反応する。

 だが、気持ちを落ち着かせるようにフーッと大きく息を吐く。

 そして、今度こそ本当に歩き出す。


「決まりだな。ならば、見届けてくれ」

「いいでしょう。あの娘が平和に過ごしていれば、全て丸く収まるのですがね」


 イズが平和に過ごす。それは、クライドも望むところだ。

 それさえ確かめられたら、会うこともなく帰るだけ。寂しくはあるが、それが一番いい。


(俺のそばにいなくてもいい。だが、どんな形であれ、幸せになってほしい)


 例え魅了されていようと、彼女の幸せを願うこの思いは、本物だと信じていた。


 ただ……





 ふと、苦い思いが胸をよぎる。

 二度と魔女の力で苦しむ者を見たくない。さっきトーマに告げたその言葉に、嘘はない。


 だが、それとは別にもうひとつ。クライドにはイズにこだわる理由があった。

 トーマにも、イズ本人にも告げていない、特別な理由が。


(これは、俺にできるせめてもの罪滅ぼしだ。彼女の不幸な生い立ち。その原因を作ったのは、俺なのだから……)







 ※今回の話で第一部が終わり、一旦完結とさせていただきます。


 話はこれからだってところで終了となってしまってすみません。

 本作は『その溺愛、過剰です!?』コンテストに出すために書いたもので、これ以上続けるとコンテストの規定文字数をオーバーしそう、さらに、締め切りに間に合わなくなりそうなのです。


 できることならコンテストで良い結果を出し、大喜びで続きを書きたいです。

 ここまで読んでくださった皆様、ありがとうございました!

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魅了の力を持つ魔女は偽りの溺愛に囚われる 無月兄 @tukuyomimutuki

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