第4話 天使ちゃんの日常3

 行きのように公園からまたあの黒いゆがみを通り抜けると、最初の時にいたあの真っ白い空間に帰ってきた。

 何度も思うが、やっぱりここの空間は発狂しそうで怖いものがある。


「ふぃー。今日もたのしかったねぇ」


「ちょっと(じゃないけど)疲れたけど、私もたのしかったよ」


「たのしかったけどぉ、なんだかねむいよぉなきがするぅ」


 そういうと、天使ちゃんは真っ白な床にごろんと寝転がってしまった。布団で寝かせようと「天使ちゃん?」と声をかけた時には、もうすでに眠りについていた。おやすみ三秒とはまさしくこのことだろう。


「幽霊でも生きてるみたいに寝たりするんだ」


 一人ぽつりとつぶやく。


 天使ちゃんの顔を撫でてみると、やはりその感触は温かくも冷たくも柔らかくも何ともなく、例えるなら無としか言い表せない感じだった。


 触れているはずなのに、触れていない。

 触れられない。


 そのことが、死んだと言う事実を自分の中に深く刻みつける。


「どうして……」


 どうしてだろう。

 生きていた頃があんなに苦しくて、やっと解放されたと思ったのに。


 いまはこんなに悲しくて、つらいなんて。







 暗い部屋。またテレビがぽつんとある。

 前と同じだ。また、何かを見せられる。


 テレビがある歓楽街の映像……ある少女がその中で歩いている映像が映る。


 前に見たあの少女のようだが、前とは雰囲気が違う。

 あの純粋な面持ちとは違い、髪を金にそめ、化粧をばっちりしている。

 そして、少女の隣には遊び人のような優男。


 少女は、その男とイルミネーションが眩しい街に消えていく。


 昼は学校をさぼり、夜は街を徘徊し、男と遊ぶ。

 少女はそんな生活を毎日続けていたのだろう。そんな映像が繰り返し、繰り返し映る。

 そんな女の子を引き取ったであろう母親らしき女性は、少女のことをもう見放したのか。少女を叱るどころか、一緒にいる場面すらほぼなくなっていた。それどころか再婚したであろう男性との新しい家庭を築くのに夢中であるようだった。


 少女もそんな母親に会いたくなかったのか、少女自身も母親と男性を避け、昼は、夜になるまで部屋から一歩もでることはなかった。


 少女の家に、居場所はなかったのだ。



 ある場面から少女がよく嘔吐をするようになった。

 苦しそうに嘔吐をした後、少女は決まってお腹を大事そうにさすって、そして愛おしそうな表情をする。


 少女が幸せそうな表情をするのは、この時間だけだった。




 場面が変わり、ある家の食卓が映る。

 食卓には少女と少女の母親である女性、そしてあの再婚相手の男がいた。


 少女は必死に二人の男女を説得しているようだった。

 両親の別れを繋ぎ止めている時のように、何度も何度も頭を下げた。

 しかし、男性は困ったような顔をするだけで、女性に関してはただただ泣いて怒鳴っている様子が映るだけ。


 少女の願いは、聞き届けられそうになかった。


 そして、また場面が切り替わる。


 場所はどこまでも白い、病室の中。

 少女はまたしても泣いていた。ただ一人、孤独に泣き続けた。


 何度も何度も、お腹にいたはずの命を思って。

 何度も何度も空っぽのお腹をさする。







――――……白い天井。


 ゆっくりと起き上がりふと隣を見ると、まだ天使ちゃんはぐっすりと布団の中で寝ていた。


 また、あの夢を見ていた。


 いや、あれはただの夢じゃない。あれは、人の人生そのもの。


 気持ち悪い、嫌な気分が私の心を襲う。

 やめよう。あの夢の出来事を思い出してはいけない。

 早く忘れよう。


 辺りをぼんやりと座視していると、白いものしか存在しないはずの空間にぽつりと黒いものが見える。


「あの」


「……」


 その黒いもの、もといささちゃんに近づいて話しかけてみると、ささちゃんは何も言わずに私の方を向いた。


 しかしこれでめげる私ではない。

 例えささちゃんが私の前で無言でも、私はおかあさん。

 ささちゃんがお父さんなら私だって話しかける義務くらいある……はずだ。


 それに、この前のお礼も言わなくちゃ。

 断じて、ちょっとささちゃんに興味がでてきたとかではない。断じて。


「あなたのこと、なんて呼べばいい?」


「……」


「ほら、これから呼ぶときに困るかなーなんて」


「……」


 沈黙。やっぱり、私はまだちょっとしかここにいない新人だし、天使ちゃんは特別なのかも。諦めてもう一回寝ようか。


「……名前は、あまり覚えていないの」


 唐突に聞こえてきた、私を助けてくれた時の声。やっぱりあれはささちゃんだったのか。


「あまりってことは、記憶がないの?」


 内心はとても驚いていたがそれを見せないようにささちゃんに尋ねる。


「……そう。ただ苗字が〈ササノ〉ってことだけは、覚えてる」


 ああ、なるほど。


「だから天使ちゃんは<ささちゃん>っていうのね」


「……それ」


「それ?」


「そのささちゃんで、いい」


「そう? それじゃあささちゃんね。あ、そうだ。この前はありがとう。なんだかあなたに助けられたような気がするの」


「……仕事だから」


 そう言うささちゃんの顔は黒装束の間に隠れてよくは見えなかったけど、綺麗な顔立ちをしているようだった。そういえば何だか棒読みっぽい言い方だけど、声はとても澄んでいて、聞いていて心地が良い。


 きっとささちゃんの素顔は、ベクトルは違うけど天使ちゃんと同じで純粋な子なのだろうと思う。話し方や行動から暖かさがにじみ出ているのだから。


「そう、貴女に言い忘れたことが」


「言い忘れたこと?」


「そうです。貴女がこの空間に居られるのはあと、一日です」


 あと一日……?


「私、ここにきて何日経ったの?」


「一日です。昨日貴女は死に、ここに来たあとに下におりました。今日はそれから一日経ちました」


 つまり、昨日公園に行った日が死んだ当日ってこと?

 時間間隔がないから分からなかったけど、簡単に言えばここで二泊三日することになっていて、あとここで一泊する必要があるということだろうか?


「それじゃあ、明日になったら私はどうなるの?」


「詳しくは言えない。けど、ここは中間地点だから別のところへ移動する」


 終わりじゃ……ない。


 だけどこの空間に居られるのはあと一日。

 天使ちゃんたちといられるのもきっと、あと一日ということになる。


 天使ちゃんの顔を見ると、その顔はとても安らかな顔をしていた。

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