幽霊家族~Ghost Family Life~

トヨタ理

幽霊家族~Ghost Family Life~

第1話 死は突然に

――人は、死んだらどこに行くのだろうか。


 生きているうちに一回ぐらいは思うことだろう。

 

 人が創造したとおり天国には神様がいて、私を祝福してくれるのだろうか。

 はたまた、地獄でこの世で犯した罰を永久に受け続けるのだろうか。

 あるいは、そもそもそんなものはなくてただ永遠の無に彷徨う事になるのだろうか。

 

 でも、もうそんなことを考える必要は無くなったようだ。


 なぜなら、私はもう死んだのだから。




 死の瞬間はあまりにもあっけなく訪れた。


 その時は夜勤明けから帰ってきたばかりだったと思う。

 春が訪れたばかりの早朝はまだ少し寒くて、一人部屋の中にあるこたつで暖まりながら、コンビニで適当に買ってきたグラタンを朝食として食べていた……気がする。


 気がするというのはこれを食べている最中に突然頭が痛くなったからで、そこから何分かの記憶は薄っすらとしかしか覚えていないからである。唯一覚えていることは頭が割れるように痛くなったこと、薄れゆく意識の中で自分が冷静に死を悟っていたということだった。


 そうして痛みを感じなくなった頃ふと目を開けると、そこにはかつ〈自分だったもの〉がこたつの側で横たわっている姿が見えた。


 どこか悲壮感漂う表情のまま目を閉じている青白い顔、明らかに不健康な痩せ細った身体。


 そんな姿を初めて見下ろした時は不思議なことに驚きも嘆きもなくて、自分でも心底呆れるくらいにただただ冷めていた。


「ざまあみろ」


 しばらくじっとしていると恨みがこもった声が突然頭の中に響いた。思わず自分だったものから視線を外す。

 ああ、本当にざまあない。でも自分はそれでいい。


 私は幸せになってはいけなかった。


 だから、こんな終わりで丁度いいと納得している。




 さて、私は今、自分の部屋にはいない。

 というのも全身を黒装束でまとった人が急に部屋にやってきたと思ったらいきなり手を掴まれたと思ったら、いつのまにかこの変な空間に居たのだった。


 今の私の身体(と言っていいかは分からないけど)はどうやら現世のものではないだろうし、その身体に触れられたということからきっとあの人も〈こっち側〉の人なのだろう。それにしても、説明がほしいところなのだが。


 結局、連れ去られた時の状態のままどこかにいる……けど、ここがどこなのかは全く分からない。というのも、今いる場所は真っ白な壁と床が向こうまで続いているという、何とも非現実的な空間なのだ。


 一通り辺りを見回しても誰もいる様子はなく、なぜか白い座布団と布団が二人分、そしてこれまた白いちゃぶ台が無駄に広い空間の中心にぽつんとある。

 ここから出る方法もないようだし、あの黒装束の人は私を連れ去ってから無言でここに置き去りにした後ぱっと消えてしまった。それからは一向に帰ってくる気配はない。

 ということは、ここが〈死の終着点〉なのだろうか?


「ここに、来たんだね」


 幼い女の子のような声が背後から聞こえた。


 振り返ると、そこには声の通りの可愛らしい少女がぽつんとたたずんでいた。髪はきれいな二つ縛り。赤いチェックのミニスカートを履いていて、そしてなぜか、今は春だというのに冬に着るような厚手の白い子供用のコートを着ている。

 しかしこの女の子、一体いつからここにいたのだろう。


「君……いつここに?」


 素直に思ったことを聞いてみると、女の子は身体(ここに居る時点で実体ではなさそうだからそう言っていいのか分からないが)を大きく曲げて考えるような体勢をとった。その数秒後、考えるのをやめたのか、


「ずうっとだよ。ずうっとずうっと。でも、ここにだれかがくるのは、はじめて、なんだあ」


 と、今度は両腕を高くあげながら、身振り手振りで一生懸命説明しようとしていた。だけどなんだろうコレ、すごくかわいい。子供とはあまり接触する機会がないせいか、すぐにきゅんとなってしまう。なんたって説明の仕方が大げさすぎるのだ。


 それはさておき、どうやらこの女の子、ここに前からいるようだ。少し話をしてみよう。


「でも、さっき君いなかったじゃない」


 女の子がいきなり私の顔をびしっと指す。


「きみじゃなくて、てんし」


「え?」


「なまえ。わたしのなまえ」


 てんし? 多分〈天使〉かな。あまり聞かない、変わってる名前だけど、この女の子にぴったりな名前だ、と思う。


「じゃあ、天使ちゃんって呼ぶね」


「うん。いいよぉ」


「それで天使ちゃんはさっきいなかったけど、どこから来たの?」


 天使ちゃんは、私のことを指す状態からまた考える体勢になった。


「んっとねぇ。さっきは、おそとにいってたのぉ」


「お外って……ここから出られるの?」


「うん! ささちゃんにいえばねぇおでかけできるんだよぉ」


 と、天使ちゃんが振り向いた先には、


「あっ」


 私をここに連れてきた、黒装束をまとったあの人がいた。

 しかもよく見ると、その人の手には私と同じくらいの大きさの鎌が握られていて、顔は黒い布が被さっていて表情が窺い知れない。


 連れてこられた時には気づかなかったけど、大鎌の近くに自分がいたと思うとゾッとした。


 しかし、ささちゃんとは一体何者なのだろう。

 それに、お外とはどこのことなのだろう。


 ……だめだ。分からないことが多すぎて混乱する。まだ自分がここにいる理由も分からないのに。


「ここはねぇ〈ちゅーかんちてん〉なんだってぇ」


「え?」


「だからねぇささちゃんがねぇ、ここでいろいろまもってくれるのぉ」


 いつの間にかささちゃんの方を見ていた天使ちゃんの目が、私をまっすぐに見ていた。


 大丈夫だよ。


 その優しく暖かな、それでいて澄んだ瞳がそう私に言っているような気がした。


「ね、ささちゃん! ささちゃんもちゃんとおしえないとだめなんだよぉ」


「……」


「ねぇささちゃんてばーっ!」


「……」


「さ・さ・ちゃ・ん・て・ばー!」


 無反応。


 いくら天使ちゃんが大きな声で呼びかけてもささちゃんは一言も喋ることはない。もしや私の前だから恥ずかしくて無言を貫いているのではないだろうか?


「天使ちゃん、あの人何だか話したくないみたいだし。それよりさっきのつづ」


「さ・さ・ちゃ・ん・て・ばー!」


「天使ちゃん、あのさっきの」


「さ・さ・ちゃ・ん・て・ばー!」


 このあと、天使ちゃんはささちゃんの近くに行っては十回ほど「さ・さ・ちゃ・ん・て・ばー!」を繰り返し叫んだのだが返事はなく……。しまいには「もおいい!」と言って怒ってしまった。


「もうしらないもん! ささちゃんのばか!あほぉ!」


「天使ちゃん落ち着いて。そんなこと言ったらだめよ」


「だってぇささちゃんがわるいんだもん!」


 ……完全に拗ねてしまった。


 やはり子供は子供。


 一回ぐずったら手がつけられなくなるから苦手だ。

 天使ちゃんの顔が一瞬泣きそうになったが、ささちゃんの反省していなさそう(そもそも天使ちゃんが怒っていることにすら気づいてなさそう)な無関心ぶりを見ると、すぐにまた顔を真っ赤にして起こった顔になって空間の隅の方に行ってしまった。


 さてどうしようか。

 天使ちゃんは拗ねてしまったからいろいろ聞けないし、ささちゃんはきっと何も教えてはくれないだろう。

 ひとまず二脚ある椅子の一方に腰を下ろす。透けて座れないだろうと思ったら案外普通に座れるのは少し不思議な感じがした。


 ……これから私はどうなるのだろう?


 もしかしたら一生ここにいることになるかもしれないと思うと、何だか絶望的な気持ちになってきた。いるのは大鎌を持って無言なささちゃんと、子供の天使ちゃんだ。ずっとこのメンバーで上手くやることに自信をもてない。そしてこんなことを思っている自分が嫌になる。


 ちらっと見たささちゃんは、相変わらず見えない表情のまま無言だった。







 ――――暗い。


 暗い闇の中に、テレビが一つ。

 音はなく、映像だけが流れている。

 

 私はそれを見ている。


 いや、


 テレビには幼い少女が一人と、女性が一人。

 そして男性が一人映っている。


 夕食中なのか、テーブルに食事がたくさんあった。きっと家族なのだろう。三人は楽しそうに喋っていた。

 次々と家族の楽しそうな場面が次々に映っていく。場面が移り変わるたびに幼かった少女は成長して気づけば中学生程度になっていた。どの場面でも少女は笑顔を絶やすことはなかった。

 だが、その少女の笑顔とは反比例するかのように、両親らしき男女の笑顔はだんだんと陰りが見え始めていた。


 場面が変わると、家のリビングで先ほどの女性が少女に紙を渡していた。

 その紙は離婚届けのようだった。


 男性と別れるつもりだ、と女性は言ったのだろう。その瞬間、少女の顔はどんどんと青白くなっていく。


 幸せな生活の崩壊。

 その先は家族がばらばらになってしまう未来。


 女性の話を聞き終えた後、少女は自分の部屋で一晩中泣いていた。


 しかし、少女は諦めなかったのだろう。


 たくさん泣いた後、すぐに二人を懸命に説得していた。

 女性に離婚をやめるよう働きかけ、離婚の話をしてからすぐに別居生活を始めた男性には何度も電話をして、今すぐ帰ってきてくれと訴えている姿が何回も何回もその場面の中で映った。


 しかし、少女の願いは虚しく。

 結局、二人は離婚したのだろう。少女は、母親が何度も語りかけても返事をする様子はなく、それから毎日毎日自分の部屋で泣いていた。

 この先の場面で、私は少女が心の底から笑った姿を見たことが無い。







「……さ……おき…て、おきてってばぁ」


「……あれ、私」


 白い。自分の部屋ってこんなに白かったっけ。


「ここ、どこ?」


「はやくぅおきてよぉ」


 白いのが女の子の顔になる。


「ねてたみたいだからぁ、おこしたよぉ」


 ああ、そうだ。この女の子は……。


「うん……ありがとう。天使ちゃん」


 いつの間にか椅子で寝てしまったはず、なのだがなぜか布団で寝ていたらしい。布団の上には天使ちゃんが私の上に乗っかっていた。


 夢を見ていた。


 これを夢と呼べるのかは分からないけど。

 ただ生きていた時の夢と違うのは、起きた後でも見た夢の内容まではっきりと覚えていること。そして、すごく胸がもやもやすることだった。


「ねーえー。はやくおそといこぉーよぉー」


 さっきまでの不機嫌な様子はどこへいったのか、今の天使ちゃんの顔はすごく上機嫌で、さっきの顔とは正反対の輝かしい笑顔に変わっていた。仲直りしたのだろうかとささっちゃんの方をちらっと見るが、さっきとの違いはまるでなかった。きっと私のいないところでしたのかもしれない。


「はいっ、はやくおきて!」


 天使ちゃんが私の服の袖をつかみ、我慢ができないという様子でささちゃんのいるところへ引っ張ろうとする。


「え? ちょっとどこ行くの? 行くとこなんて」


「おそといこうよぉ、おそと」


「……そうだね。行こうね」


 と、天使ちゃんの勢いに押されて立ったものの、私は天使ちゃんの言う〈おそと〉が未だに何なのか分からない。寝る前に天使ちゃんに聞こうと思って失敗したわけだし。今なら聞いたら答えてくれそうだ。少し聞いてみようか。


「ねえ、天使ちゃん」


「んー?」


「お外ってどこに行くの?」


「おそとはおそとだよぉ」


 だめだ。まともな答えが返ってこない。


「ささちゃんがなんかいもねぇ、つれていってくれるんだぁ。ね、ささちゃん」


「……」


 やっぱり、ささちゃんは何も答えなかった。


「あ! ひらいたあ!」


 突然、きゃあと天使ちゃんがうれしそうな声をあげる。天使ちゃんの視線の先には


「なに、これ?」


 白い空間にあまりにも場違いな大きな黒いゆがみのようなものがあった。試しに少し触ってみたが特に何も感じない。これはささちゃんが作ったのだろうか。


「この中に入るの?」


「そーだよぉ。ここからおそとにいけるのぉ」


 とは言うものの、そう簡単に入れるようなものでもない。見た目が明らかにブラックホールのような感じで吸い込まれたら戻って来られなくなりそうだ。でも、恐いなんて言えないよなぁ。もういい年なのに。


「はいっ」


 ふと、小さな手が私の前に差し出される。


「おててつなげばあ、こわくないよぉ」


 そしてその手が、私のその小さな手よりも大きな手をつないだ。

 なんでだろう。お互い幽霊だからなのか手をつないでいる感覚なんてしないのに、なぜかとてもあたたかい感じがした。


「ありがとう」


 そう言うと天使ちゃんは、あの瞳で私を見ながらはにかんだ。


 どこかでこんな話を聞いたことがある。

 こういうわけが分からなかったり、最悪だったりする状況こそ楽しんだ方が人生はお得なのだ、と。


 今まさにこの状況におかれているのなら、難しいことを考えるのはやめてこの考えを採用してみるのもいいだろう。

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