第3話 天使ちゃんの日常2
噴水公園を後にして、私は天使ちゃんのルート案内通りに歩き出した。
天使ちゃんが道路に飛び出さないようにと、今度ははじめから手を繋いでいたのだが、そんなことをしなくても天使ちゃんはおとなしく歩いていた。やんちゃだと思っていたけど、案外素直な子なのだろう。
「そういえばささちゃんはどうしたの?」
歩いている途中、ふと頭に思いついた疑問を投げかけると
「んーとぉ、ささちゃんは、おしごとちゅうなのぉ」
とすぐに答えが返ってきた。
「へぇ。お仕事ってなにしてるんだろう」
「わかんないよぉ。でもぉおしごとおわったらすぐにきてくれるんだよぉ」
「そうなん……!?」
ドクンッ。
またこの違和感。さっきよりも大きい衝撃。
なんで……なんか胸にもやもやしたものが残ってるような感覚がする。
「だいじょうぶ?」
天使ちゃんの心配そうな顔が視界に入る。
「うん。ごめんね、もう大丈夫。行こうか」
だめだ。子供に心配されるなんて。
そうは思うけど、歩くたびに胸のもやもやがだんだんと鉛のように重苦しいものになっていく。
だんだん、だんだん。目的地に近づくたびに重くなっていく。
「あ、ついたぁ!」
その歓喜の声に、私は絶句した。
目の前に見えるのは、小さな公園と、そして時代に取り残されたかのように古ぼけているアパート。
気づくと、アパートの方へ勝手に自分の足が動いていた。
遠くの方で誰かが呼び止めている声が聞こえた、ような気がする。
行くな。
そんな自分の意思なんかお構いなしに進む。と、同時に胸の重苦しさは最高潮に達していた。
一階、二階、三階。
階段を登る度、身体中が冷えていく感覚がする。
四階。
401、402、403……。
近づくごとに、自分の魂が拒絶する。なにか中で不吉なものがうごめいているような感覚。
405号室。ここは自分の部屋だったところ。一呼吸おいてから、ドアをすり抜けて中に入る。その時には、あの重苦しさはいつのまにか無くなっていた。
部屋の中は、何も変わっていなかった。
リビングは、あの時のままこたつが置いてあって、テレビからくだらない番組が流れていて、グラタンがあって。
「ほんっとそのまんまだなぁ」
口からでたのは、そんな自嘲の言葉。
そこには、あの時のままの<私>が倒れていた。
人が死んでいるというのになぜ誰も気づかないのだろう。
こうして死体があるのに、なぜ警察はきていないのだろう。
当たり前だ。
私のことなどもう誰も覚えていないし、気にもかけていない。
親にも見捨てられて、育ててくれた祖父母のところにも行かなかったのだから。
友達なんていないのだから。
ましてやこの人生を共に歩もうと決めた恋人なんていないのだから。
そんな私の異変なんて誰も気づくはずがない。
私は誰も必要としなかったし、必要とされなかった。
それは、罪を犯した私への<罰>。
これが当然の報いだと自分に言い聞かせて生きてきた。
本当に?
――――なぜわたしの顔は、こんなにも寂しそうな顔をしているのだろう?
「待って」
黒い……布。
全身を黒装束で纏った人が、あの時と同じように私の手を掴んだ。
「これ以上近づくと、危険。ここから離れます」
「……ささ、ちゃん?」
「大丈夫」
「……え?」
「これからは、きっと大丈夫」
気づくと、私はアパート前の公園のブランコにいた。さっきまでの嫌な感じや気分もすっかり消えている。
「ああ! もぉ、どこいってたのぉ?」
天使ちゃんが私を見つけて、ほっとした笑みを浮かべながらすぐ近くまでやってきた。
ふとささちゃんも一緒かもしれないと周りを見渡してみたが、周りに人の姿はなくささちゃんの姿を見つけることはできなかった。
でも、あれは確かにささちゃんだった。さっきまでの記憶が少しおぼろげだけど。
「天使ちゃん、ささちゃん見なかった?」
「え? ううん、いないよぉ。だっておしごとちゅうだからたまにしかいないもん」
いつもたまにしかいない<ささちゃん>。
そんな忙しいささちゃんがさっき私の後ろに現れたのは、偶然か、必然か。
ともあれ、なんだかよく分からないけど、私はささちゃんに助けられたような気がする。
――――これからは、きっと大丈夫。
それに、おぼろげな記憶の中でもこの言葉だけははっきりと覚えている。
「あっ!」
何かを見つけたのか、天使ちゃんは笑顔で公園の入口の方に向かって手を振った。つられて同じ方向を見てみると、そこには小さな女の子がいた。
歳は大体天使ちゃんと同じ(幼稚園の年長組くらい)で、服はジーンズ生地の可愛いワンピース、髪には今流行りの変身もののアニメの髪留めをつけている。
そのクリクリとした目で天使ちゃんを見つけると、女の子は手を振り返してこちらへ駆け寄ってきた。
「こんにちは!」
女の子は天使ちゃんに「こんにちは、てんしちゃん」と言ってから、わたしの目を見て元気よく挨拶をした。
「……こ、こんにちは」
まさか挨拶されると思わなくて、間抜けなひっくり返った声がでてしまった。
間違いない。
この女の子は私達がちゃんと見えているし、声も聞こえている。
二人の間では「きょうはなにしてあそぶ?」「それじゃあねぇ、おにごっことかどぉ?」と早速遊びについての会話が行われていたから、やはり天使ちゃんが一人で話かけているわけではなさそうだ。
でもこの子の身体は透けてないから、多分幽霊ではない、俗にいう<見える人間>なのかもしれない。
それにしてもこの子、私たちのこと幽霊だということに気づいているのだろうか。
「ところで、おねえさんはだあれ?」
考え事をしていたところの突然の質問に「えっ!?」とまた声がひっくり返った。天使ちゃんやささちゃんは私と同じって分かっているからいいものの、生きている(かもしれない)人に声をかけられるというのは何だか変な感じがしてしまう。
「えーと、わたしは……」
待てよ。
これって本名とか言ったほうがいいのだろうか。
いつになるかは分からないけど、そのうち私が死んだって言うことはここら近所一帯には知れ渡るだろう。多分この女の子がこの公園に来ているのは、家が公園の近所だから。
もし、この女の子が「わたしねぇ、この前お姉さんと遊んだんだよ」みたいなことになって「死者が出歩く街! これぞゴーストタウン!」みたいな感じになって大事になったら……。いや、むしろこの女の子が見えるって言うのが知れ渡る場合の方がまずい。女の子の将来が危ない。かと言って「幽霊です!」とか言ったらもっと面倒くさくなりそうだし……。
上手く誤魔化せないか模索していると、私の右隣から妙に強烈な視線を感じた。傍目でその先を見ると「まかせて!」と言わんばかりの表情をした天使ちゃんがいて、大きく口を開けたと思ったら……。
「わたしのおかあさん!」と、自信満々に言った。
――――わたしのお母さん……って?
「ちょっ天使ちゃんどうしたのかなぁ?! 私お母さんじゃないよね?!」
「へええ、おねえさんっててんしちゃんのママだったんだ! びっじーん!」
「美人!? ママ!? 美人!? え!?」
「おかあさんとすぎのちゃんは、あうのはじめてなんだよねぇ」
すぎのちゃん。
この子が、天使ちゃんといつも遊んでいる子。
「うん! てんしちゃんのママさん、はじめまして。きのうち すぎのです」
「は……はじめまして、すぎのちゃん。これからよろしくね」
さっきまでの混乱が大分収まってきたので、すぎのちゃんの前では努めて冷静な対応を心がけられた。が、しかし内心はそうもいかず「どういうことなの」と天使ちゃんに小声で耳打ちした。しかし、「ちょっと」と素っ気ない答えが返ってくるだけ。
まあ、もう言ってしまったものは言ってしまったのだし、今からこの状況を上手く誤魔化す嘘は思いつかない。それになんだかこの天使ちゃんの案が一番無難に思えてきたから、すぎのちゃんがいる間はこの嘘に合わせてみてもいいだろう。
「わかった。上手く合わせてみる」
と、再び素早く耳打ちすると、天使ちゃんは何も言わずに微笑みを返した。
「あー! ふたりだけでないしょばなししてる! あたしもまーぜーて」
「「ないしょ」」
天使ちゃんと言葉が重なった。お互い目を合わせて、にっこりと笑い合う。
こういうのって、本当に親子みたいだな、と思った。
「暗くなってきたね……」
真っ赤な空の色が、だんだんと黒になっていくのを見ながら言うと「んー」というボンヤリとした声が聞こえてきた。
私は今、暗闇に包まれていく公園の中に、天使ちゃんと二人きりでいる。
すぎのちゃんと天使ちゃんはそのあと遊びに遊んで、五時の鐘が聞こえてくるまで遊び尽くした。私はというと、遊びには交ざらなかったけど「あんなことやったな」とか「その頃は私もやんちゃだったかも」と、すっかり昔に返った気分になっていた。
私ってこんなに歳をとっちゃったんだな。
そう存外残念がっている自分にまた何も言えなくなってしまうんだけど。
すぎのちゃんはこのすぐ近くのアパートに住んでいるという。だから時間通りに帰ってこないとすぎのちゃんのお母さんが鬼になって迎えにくるらしく、急いで帰っていった。
「ばいばーい!」
そんなすぎのちゃんの後ろ姿を見ながら、私たちはその姿が見えなくなるまでずっと手を振っていた。すぎのちゃんも時々こちらを振り返って手を振り返していた。
ばいばい、という言葉はいつの時代でも寂しくて悲しい。
「ささちゃんおそいなぁ」
ふいに天使ちゃんが言う。
「ささちゃんがここに来るの?」
「うん。いつもねぇあそびおわったらすぐきてくれるのぉ」
たしかに、ここでささちゃんが来てくれなかったら私達はここで野宿(?)をしなければいけないことになったのか。かと言ってあの白い空間にいるというのも中々発狂モノだとは思うけれど、そのお陰で永遠に現世を彷徨うことはないのだろう。
「あっ、いちばんぼしみっけ!」
大声をあげておもむろに立ち上がりながら、天使ちゃんは空のある方向を指した。その先には、星が薄っすらと輝いている。
「わたしねぇ、いちばんぼしみるの、はじめてなんだぁ」
そう言って再びベンチに座ると、うっとりとしながら一番星をじっと眺め始めた。つられて私も一番星を見てみる。すると、だんだんと他の星たちも瞬きはじめ、ついには他の星々の輝きにうもれてその一番星はあまり見えなくなってしまった。
「いちばんぼしみつけるとね、おねがいごとをひとつだけかなえてくれるってささちゃんがいってたのぉ」
「願い事、何かあるの?」
なに気なく聞いたつもりだった。
「うん……」
と言った天使ちゃんの顔が、悲しそうな顔をしたような気がした。しかしそれもほんの一瞬のことで、大丈夫? と聞こうとした時にもういつもの陽気な笑顔を浮かべていた。
「ねえ! おねがいがあるのぉ」
「うん、なに?」
「さっきみたいにねぇ」
「うん」
天使ちゃんのほほが少し赤くなる。
「……おかあさんって、よんでもいい?」
「え? ああ、さっきの続きってこと?」
「んっとねぇ、んとね、かぞくごっこ、したいなぁって……」
かぞくごっこ。
幼稚園の時に、よく友達とやっていたことを思い出した。でもなぜ今、かぞくごっこを思いついたのだろう。
「おかあさんはきまったでしょぉ。あとねぇおとうさんはささちゃんで、すぎのちゃんはいもうと。それでわたしはおねえちゃん!」
「へえ、ちゃんと考えてるんだ」
「ふふん、そうだよぉ。ずっとかんがえてたんだもん」
そっか。多分だけど天使ちゃんはもともとこの家族ごっこをしたかったのかもしれない。
よく考えたら、天使ちゃんはまだ子供だ。
私と同じで、急に何かで死んでしまってからは、まだ現世で生きている両親とも離れ離れだろうし、今まで寂しい思いだって想像以上にたくさんしてきたのだろう。
そんな思いを抱えたら……天使ちゃんは全く家族の事を話さないけど、やっぱり家族というのが恋しくなるのかもしれない。
「ささちゃん!」
天使ちゃんの声で思わずささちゃんを探して後ろを振り向くと、そこには得体の黒い人影らしきものがいた。
うわっ、と思いっきり驚嘆してしまったが、落ち着いてよく見るとその人影らしきものはあの黒装束を纏っている。「ささちゃんなの?」と恐る恐る聞くと、人影はゆっくりと頷いた。いつも思うのだが、ささちゃんはいつ、どうやって現れるのだろうか。
「もうかえらなくちゃなんだってぇ」
ささちゃんと何やらやりとりをしていた天使ちゃんが、こちらに向き直って教えてくれた。まだ帰りたくないのか名残惜しそうにこちらを見る。
「それじゃしょうがないね。帰ろうか」
「うん……えっとぉ……」
「うん?」
「おかあ……さん」
そう言った天使ちゃんの顔は「えへへ」とはにかみながらも、少し恥ずかしいのか頬が少し赤くなっていた。かく言う私も、ちょっと恥ずかしくて、うん、と返事をする声が少し裏返った。
かくして、生まれも育ちもお互い不明な何だかぎこちない家族ごっこが始まった。
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