第9話 最期の別れ5

 そよそよと風が吹き、花びらが宙を漂う。


 まだ朝日は昇る前なのか空はまだほのかに薄暗い。そんな中に小さな人影がたたずんでいるのが見えた。


 私がささちゃんに頼んで連れて来てもらったのは、おばあちゃん家の花畑だった。

 きっとあの子ならここに来るはずだ。


 どう言葉を伝えればいいのか分からない。

 今から会う資格なんて、罪を犯した私にはないのかもしれない。

 でも、一瞬でもいい。それが許されるのなら私は会いにいく。


 おままごとの家族としてじゃない、本当の家族として。


「やっと見つけた」


 朝焼け空を見ていた小さな人影がこちらの方を振り向いて、ひどく驚いた表情になった。


「どうして、ここにいるってわかったの?」


「わかるよ。だって私はなんだもん」


 そう言うと、小さな人影――――天使ちゃんは、安堵した様子で「そっか」と呟いた。


「ほんとはね、このおはなばたけねぇ。むかしにきたことがあるんだぁ」


「ここに?」


「わたしがあとから」


 天使ちゃんの一言が強い衝撃となって頭を揺さぶる。

 こんな幼い子がという言葉を知っていることに愕然となった。


 いや、違う。


「私が天使ちゃんの命を奪ってしまった時から、だよね」


 私が、その言葉を――その言葉の意味を理解させてしまった。


「……おかあさん?」


 天使ちゃんが両目を大きく見張る。


「家族ごっこは、もう終わりにしよう」


 その一言で全てを悟ったのか、天使ちゃんは気を緩めた面持ちになった。


「おかあさんには、ひみつだったのになぁ」


 私の本当の最期は、きっと自分の犯した罪と向き合うこと。


 あの時、本意ではなかったにせよ自らの意思であの子の――――天使ちゃんの命を絶ってしまった。だから、天使ちゃんのどんな言葉も受け止めなければいけない。


 それが例え、どんなに辛いことでも。


「ほんとはね、さいしょはおかあさんのそばにいたんだよ」


 天使ちゃんは、どこか懐かしそうに遠くの景色を見つめながら、ぽつぽつと語りだした。




 とってもくらくてとってもせまいあなの中、なにも見えなくてこわくてじっと目をつむっていたの。


 だけどね、ある日、カミサマのようなやさしい声がどこからかきこえてきた。

 もちろんすぐに「おかあさんのこえだ!」って気がついたんだ。

 だって、声をきくだけでこんなにあったかくなったから。


 おかあさんは、いっぱいいっぱい、わたしにお話してくれた。


 その日のてんき。

 おかあさんのことや、おそとのこと。

 そして、わたしのこと。


 ほんとうに、いっぱいいっぱいお話ししてくれた。

 あなの中にいるのはやっぱりこわかったけど、おかあさんがお話してくれるといつもこわくなくなってへっちゃらになった。


「だけどねぇ、いつだったかなぁ。くらいあなの中からささちゃんがわたしをねぇ、ぽんってひっぱったの!」


 ささちゃんがわたしをひっぱってつれてきたのは、とってもあかるくてとってもひろいおへやだったの。

 そこでね、ささちゃんはいろいろお話してくれたんだ。


 ささちゃんのお話はむずかしくてよくわからなかったんだけど、そのあとでわたしが<しんだ>っておしえてくれたんだ。


 そのときはね、<しぬ>ってなんだろうっておもったんだけど、わかんなかったから「まあいいや」っておもった。それよりも、あなの中から出られてじゆうになったことがうれしかった!


「だからね、ささちゃんに<しんだ>っていわれてからね、ささちゃんにたのんですぐにおかあさんにあいにいったんだよ」


 ささちゃんにおかあさんはどこ? ってきいたらね「あの人だよ」っておしえてくれた。


 その時のおかあさんはほんとうにカミサマみたいっておもったの。

 かみの毛が金いろでね、おはだが雪みたいにまっしろでね、わたしのおもってたとおりのやさしいおかあさんだったんだ。


 うれしかった! おかあさんにやっとあえた! ってうれしかった。


「だけど、おかあさんはないてたんだ」


 ずっとずっとないていた。


 なかないでって、わたしがここにいるよっていっぱいさけんだ。

 だけど、おかあさんはきづかないの。


 もしかしたら、おかあさんはこわいのかなっておかあさんのおててをつなごうとしてもね、すけちゃうんだ。


――ささちゃん。

――どうしておかあさんはわたしに気づかないの?

――どうしておかあさんにさわれないの?


 そこでね、わかったんだ。

 <しぬ>ってこういうことなんだ、って。


 それからもおかあさんのそばにいたんだ。

 だけど、いつもみるおかあさんのかおはとてもつらそうだった。


 この、はじ知らず。

 こんなとしでこどもをつくるなんて、しんじられない。

 あんたなんかうまなきゃよかった。


――どうしておかあさんにひどいことをいうの?

――わたしのせいなの? わたしが、おかあさんのこどもになったから?


「だからおかあさんのことをまもってあげなくちゃって、おもった」


 おかあさんのことをまもれるのはわたしだけだとおもった。


 みんながおかあさんをいじめないように、ひどいことをいわないように。

 わたしのせいだから、がんばってまもろうってきめた。


 さいごのときがくるまで。


 それからずぅっとあとになって、ささちゃんがいったの。

 おかあさんがもうすぐここにくるって。


 すごくうれしかったんだ。

 やっとあえるんだって。


 でもね、おかあさんがわたしのせいでつらいおもいをしたってことをおもいだしたんだ。

 もしかしたら、わたしのことがわかっちゃったら、おかあさんがきっとないちゃうかもしれないっておもった。


「だからだったのになぁ」


 おかあさんにはつらいかおをしてほしくなかった。


 いっぱいがんばったから、いっぱいわらってほしかっただけなの。


 やっぱりわたしはおかあさんをこまらせる<わるいこ>なのかな。


 ねえ、おかあさん。わらってほしいのに。


「ちがうっ! そんなの全然違う!」


 どうして、なきそうなの?




「天使ちゃんのせいで苦しくなんてなってない。私は私が許せなくて……いっぱい酷いこと言われたのだって私のせい! 天使ちゃんのせいじゃない!」


――ちがくないよ。だっておかあさんは、あんなにないていたのをみたんだもん。


「ただ、私は天使ちゃんと一緒に生きたかった! でも、そう思っててもその未来を潰した自分が許せなかった! 天使ちゃんに悲しい思いをさせてしまった自分が、許せないっ……」


――ああ、そっか。おかあさんはカンチガイしてるんだ。


「もうなかないで、おかあさん。わたしかなしくなんかないよ」


 おかあさんにつたえたい。

 まえのときはできなかったけど、いまならできる。


 あの日のようにふるえてないていたおかあさんを、こんどこそぎゅうってだきしめた。

 おかあさんはやっぱりあたたかいな。


 こうしているだけでふあんなことがふきとんじゃった。おかあさんも、そうだといいな。


「おかあさんがっていうなまえをくれて、うれしかったの」


――おかあさんは、わたしにいちばんの<たからもの>をくれたよ。


 それはね、おかあさんのこどものあかしなの。

 わたしがいちばんほしかったものだったんだよ。


「だからね、ありがとう。おかあさん」


 天使ちゃんの心からの言葉に……。

 私が天使ちゃんに伝えるべきことは――――。


「やっぱり天使ちゃんはすごいな。そんな風に思えるなんて」


 私をぎゅっと抱きしめていた天使ちゃんの腕がわずかながらに緩んだ。

 私のお腹にうずめていた顔をぱっと離して、こちらを食い入るように見つめるその表情はどこか不安げだった。


 天使ちゃんは、私の考えていることが分かるのかもしれない。


 こうしてじっと天使ちゃんの深く吸い込まれそうな瞳を見つめていると、何もかもが見透かされているような気がしてならない。


「私、死んでももう後悔はないって思ってた。死ぬことで清々するって信じてた。でも全然そんなことないんだね」


 おじいちゃん、おばあちゃん。そして母さん。


 この三日間、思わぬ再会をした人たちは全て自分から縁を断ち切ってしまった人たちだ。


 そうやって自分で殻にこもって、本当の気持ちに蓋をした。楽しくなってはいけない、幸せになってはいけないと、無意識のうちに孤独を選んできた。


 そのせいで、いつのまにか下を向いて歩くようになっていた。


 だけど、この短い三日間で私は知ってしまった。

 人と触れ合うことがどんなに大切だということを。


 それを教えてくれたのは紛れもなく天使ちゃんだった。

 一緒にいるだけで、過ごすだけで心が満たされていくように思えたのはとても久しぶりで、すごく嬉しかった。


 そして、天使ちゃんは私に「ありがとう」と言ってくれた。

 もう泣かないでと言ってくれた。


 その言葉を聞いたとき、私がすべきことは過去を悔いることじゃなく、天使ちゃんの分まで幸せに生きることだったのではないか、と思ったのだ。


 でも、死んでしまったらできるようなことも何一つできやしない。

 そこに残るのは何の意味もない悔いと、自分の心を蝕んでいく苦辛だけだ。


 死ねば全ての苦しいことから解放されると思っていたのに、解放どころか深い自責の念に縛られる。


「もっと早く気づいてればよかったなぁ。私でさえも今こんなに辛いのに、天使ちゃんはもっと辛かったよね」


 天使ちゃんも、本当はもっと生きたかったはずだ。

 人としてやりたいこと、したいことはきっと私以上にあっただろう。


 それなのに、私を赦すだけの慈悲深さを持っている天使ちゃんは、やっぱりすごい。

 親元から離れた子供が親以上にしっかりするって言うのは嘘じゃなかった。


「おかあさん……」


 そこまで一気に言い終えてはっとなった。

 天使ちゃんの表情がいつの間にか沈んでいた。


「あ、ご、ごめん。変なこと言っちゃって! でも、私、天使ちゃんがずっと側にいてくれて嬉しいなって思ったの。だから、ささちゃんがこの後どうするか全く分からないけど大丈夫だなって思ったし!」


 と、努めて明るくフォローしてみるがそれが逆効果だったらしく、天使ちゃんは俯いてしまった。


 ああ、またやってしまった。やっと夢のような再会ができたのにもっと何か他に伝えるべきことはたくさんあったはずだ。よりによってこのタイミングで語るに落ちてしまうとは。


 長い沈黙が続いたあと、突然天使ちゃんが私から離れた。

 もしや怒らせてしまったのかと肝を冷やしたのだが、それも束の間のことだった。


「天使ちゃん……?」


 なぜなら、天使ちゃんが今まで見せたことのない、とても悲しそうな笑顔を浮かべていたからだ。


――どうして、そんな悲しげに笑っているの?


 そう尋ねようとしたまさにその時だった。


 霞んで消えてしまいそうなほど小さな「ごめんなさい」が聞こえたのと同時に、天使ちゃんの傍らに真っ黒な影がすっと現れた。


「ささちゃん、もういいよ」


 黒い影――ささちゃんは小さく頷いた。そんなささちゃんの手にはなぜか大鎌が握られている。


「ささちゃん?」


 呼びかけても返事はない。


「ばいばい、おかあさん」


 その言葉が合図となり鎌が私めがけて一直線に振り下ろされる。


 あっと思った時にはもう遅くて、鎌は私の身体を綺麗に切り裂いた。


 痛みは感じなかった。

 そのかわり切り裂かれたところから白いオーブのようなものが一斉に弾け飛び、ひどい目眩のような感覚が波のようにどっと押し寄せてくる。


 意味もなく手を伸ばした先に天使ちゃんが見えた。


 唇を動かしているのは分かるのに、声が上手く聞き取れない。



――い……き……?



 そこで、私の意識は深い闇の中へと放り出された。

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