第8話 最期の別れ4
今日もささちゃんが作ったゆがみをくぐり抜けて、白い空間へと戻った。
相変わらずの不思議空間ともあと少ししたらお別れだ。そう思うとなぜか少しだけ寂しさを憶えた。
当初は発狂しそうと思っていた白い空間も、慣れてしまえばなんとも思わなくなるし、むしろ愛着が湧いてくる。
天使ちゃんはというと「つかれたにゃあ~」と昨日と同様なことを言ったと思うと、またあっという間に倒れ込むようにして寝てしまった。
しかし今日はいつもと違って、なぜか私を膝枕にして寝ている。天使ちゃんとの距離も少しずつ近づいているということだろう。
私は天使ちゃんに、明日でお別れだと言うことを告げていない。
言うタイミングがなかったというのもあったし、わざわざ告げなくてもいいんじゃないかと思ったのもあって結局言わずじまいだ。
――――……天使ちゃん。
今まで考えていなかったけど、最初に会った時からどこか普通の子供と違う雰囲気をもっていた。子供の面は確かにある。
だけど、どことなく大人の面ももっているような……あの花畑の時みたいに子供らしくない言い方をする時があるのだ。
それに、私とどことなく似ている気がする。雰囲気というか、小さい頃の私にそっくりなのだ。今までもそう感じたことは何回かあったけど気のせいだと思っていた。
だけど、今日母さんの顔と、おばあちゃんの遺影を見て分かった。やっぱり、似ている。
天使ちゃんは、私の親戚の子供だった?
いや、考えすぎかもしれない。
いちいち似ていたり、大人の物腰だったりというそんな理由だけで詮索するのもなんだか悪い。寝よう。こんなくだらないことを考えるなんていけない。
これからどうなるんだろうという不安の中、私は静かに目を閉じた。
不思議と睡魔はすぐに襲ってきてここでの最期の眠りについた。
暗い。
今日もまた暗い中に小さいテレビがある。
砂嵐だった画面は、一人の少女の映像へと切り替わった。
少女の最期の物語が、今日もまた、始まる。
大切なものを取り上げられたあの少女は、ひとりぼっちであの歓楽街をさまよっていた。
母親らしき女性に、支度さえもろくにさせてもらえぬまま追い出されてしまったのだ。そんな、何もかもがぼろぼろで死にそうな顔をしている少女に近づくものは誰もいなかった。
その日、少女は暗い路地裏で一夜を過ごした。
夜が明け、少女が目を覚めると騒がしかった街は、人が居ない閑散とした街へと変わっていた。
少女は左手に握っていた、ただ一枚の紙を見つめる。
どこかの住所と誰かの名前が書いてある紙。それはあの女性に渡された唯一のものだった。
そして、もう片方の手には一枚の一万円札。
きっとそのお金でこの住所に行け、ということなのだろう。
街を出た少女は倒れそうになりながらも目的地へ向かった。
頼れるものはもうこの場所しかない。
電車に飛び乗り、ただただ、その先にある何かのために。
映像が切り替わり、ある一軒家、それもとびきり豪華な家が映った。
少女はその家に着いたと同時に、倒れ込むようにして家の玄関へと入った。
玄関にはびっくりした顔をしたおばあさんがいて、急いで少女を介抱した。後から来たおじいさん、きっとおばあさんの夫だろうか、少女の介抱を手伝った。
二人は、とても優しかった。
介抱したあとも少女を家に住まわせ続けた。少女も最初は申し訳なさそうに遠慮がちな態度をとっていたのが、月日が流れていくにつれ、次第に笑顔が戻り始めていった。
映像が突如、一軒家の玄関を映し出した。外は青空が澄み渡り、家の軒先には桜が咲き誇っている。
どうやら春の場面のようだ。
映像の中では少女がこの家に来てから数年立っていたようで、子供っぽい顔をしていた少女も、顔立ちがすっかり大人の女性へと変わっていた。
そしてこの日は少女の旅立ちの日らしい。
家の玄関の前では少女のことを二人が見送っている。
おばあさんもおじいさんも少女も、目に涙を溜めている。
しばらく経つと、少女は二人に背を向けて広い田舎道を歩き出した。二人から背を向けた途端、その目からは涙がこぼれ落ちた。
場面が再び変わり、とある大人の女性が画面に現れた。
あの少女なのだろうか、幼かったあの頃の面影が残っている。
きっと今の場面は、前の場面から数年経った頃のことなのだろう。
あの少女は、とある介護施設で働いていた。
職場の雰囲気は比較的明るいようで、人間関係もそこそこ良好であったようだった。
職場仲間に笑顔を見せることも少なくはなかった。施設での仕事を順調にこなし、時には介護に疲れて、辛くて自分の部屋で泣くこともあったが、少女なりに精一杯働き続けていた。
大きな転機などはなく、平坦な道だがそんな日々が少女にとっては嬉しかった。
これから先、また次の人生が始まっていく。
今度はもう失敗しないようにと。
そして――。
少女の部屋。アパートの一室である405号室が映る。
一人分のグラタンを、同じ内容ばかりを繰り返しているテレビ番組を見ながら食べる。
少女は不安だった。
生活もようやく安定してきた。
仕事をしている時だけは、誰かが自分を求めてくれる。
けれど一人になると、いつも思う。
誰も必要としない。
だから誰かに必要とされない。
こんな生活でいいのだろうか。
いや、自分は幸せになっていけないからこれでいいんだ。
意味のない自問自答が頭を駆け巡り、禍々しい感情が心を支配する。
大きな不安を誰にも打ち明けることはできなかった。
あのことを話せば皆が自分から離れていく。
それが、恐かった。
突如。
グラタンを口に運んでいた少女の顔が、突然ゆがむ。そうして頭を抱えたかと思うと、少女はぱたりと床に倒れ込んだ。
そうして、少女は二度と動かなくなった。
映像はその場面を映して終わり、テレビの画面が砂嵐に変わる。
そう、分かっていた。
これは私の人生だったということに。
結局、私は何の意味のない日々を送って終わった。
最期に救いはあったけれど、たった一つの罪が私を縛る。
気づくのが遅かった。
私は特大級の罪を犯した。
未来のある命を、この手で壊してしまった。
そんな人間がこの先幸せな道をいけるなんて誰が思うだろうか。
あの子は、私を許すことは絶対にないのだから。
『……おかあさんって、よんでもいい?』
突然、声が聞こえてきた。
砂嵐だったはずの画面にはまた、映像が映っている。
しかも、今までの映像とは違う映像だ。
『きみじゃなくて、てんし』
これは……?
「天使ちゃん?」
『ねーえー。はやくおそといこぉーよぉー』
なんで、こんな……。
いきなりのことに困惑する。
なんで、なんで天使ちゃんの映像が流れているのだろう?
『おててつなげばあ、こわくないよぉ』
これは初めて私がゆがみをくぐり抜けたとき。
天使ちゃんに手を握ってもらったら少し安心したんだっけ。
『いっつもねぇ、こうえんであそんでるからきょおはいいの』
これは私が天使ちゃんのこと、怒っちゃったとき。
気まずい空気になって焦ったな。
『にじいっぱいみたい! いきたいいきたいいきたぁい!!』
この天使ちゃんの一言が、私のやり残したことを達成するきっかけになったんだっけ。
最初はダダこねられて困ったけど……。
なんでだろう。
ほんの少しの時間なのに、こんなたくさんの思い出が自分の中にできていたんだ。
天使ちゃんと居る時は、不思議と幸せに近い何かを感じていた。
『おかあ……さん』
その言葉で私の意識はぷつりと切れた。
――ねえ、私さ、今一人なんだぁ。君がお腹にいるっていったらダチは全員私のことさけるしさぁー。まだお腹おっきくないから実感ないけど、君はいるんだよね
――んーっ。やっぱさむいな今日は。そうだ、君が生まれてきたらどんな服を着せようかなー?
――あっ良い事思いついちゃった! 今寒いし、ちょっと高くてもコートは欲しいよねぇ。
白くてー、ふわふわのやつ!
あとはねえ、スカートはぜったい赤色でプリーツついてるやつがいいなぁ。
うん、可愛い可愛い……って、まあファッションセンスない私が言うのもあれだけど
――髪は二つに結んでー。でも、それはちょっと大きくなってからかな。可愛い髪飾りもかってあげるね
――はあ……考えてたら楽しくなってきたかも
――そういえば、君の名前ないのもあれだよねぇ。君って言うとなんかタニンギョウギみたいだし
――じゃあとりあえず……。んーっとね〈てんし〉ってどう? 私を幸せにしてくれるから
――まあ、今度までにはちゃーんと決めてあげる! だからそれまではね
――ようこそてんしちゃん。これからよろしくね
私が起きたとき、天使ちゃんはいなかった。
ささちゃんに聞くと、天使ちゃんは早々にどこかにいってしまったという。もうそろそろここを発たなくてはいけないと言われたが、無理をいって延ばしてもらうことにした。
「最後に連れて行ってほしいところがあるの。すぐに戻ってくるから」
すると、ささちゃんは小さくため息をついた。
「本当にあなたたちはよく似ている」
「え?」
「時間になったら迎えに行きますから」
そうささちゃんが言った刹那、何もない白い空間に黒い歪みがぽつりとできた。
ささちゃんに「ありがとう」とお礼を告げて、私は急いでゆがみに飛び込んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます