第5話 最期の別れ1
『貴女がこの空間に居られるのはあと、一日です』
そう、ささちゃんは言っていた。
ということは、いよいよ私は本当に天に召されるということだろう。
流れ着く先は天国か、地獄か。
それとも永遠と無の淵を彷徨うことになるのか。
「ねぇーはやくーあそぼうよぉ」
天使ちゃんの声ではっとなる。あれ、何で公園にいるんだっけ。
「あそぼぉーよ! きょおはぁ、ちゃんと遊ぶってやくそくしたんだもん」
ジャングルジムの上に座りながら、ふてくされたような声で天使ちゃんが言う。
そうだ、今日一日、この公園で天使ちゃんに付き合う約束だった。「ごめんごめん」と言いながら空を見上げてみると、綺麗な青のグラデーションが目に映った。
今日もいい天気だ。
ちょうどいい風が吹いていて、外にでるのが心地いい日な気がする。
ただ、あくまで気がするというだけで生きていた頃のように触覚などはないが、三月らしい気持ちのいい空気を視覚や聴覚で感じることはできる。
完璧ではないけど、まるで生きているような感覚を覚えることがあって、たまに混乱する。だけど、ある程度人間らしい部分が残っているのは、まだ幽霊生活に慣れていない私にとってはありがたい。
というか、私はこんなにのんびりしていてもいいのだろうか。
よく「現世にとどまる時はやり残したことがあった時だ」というけれど私には思い当たる節がない。現世にとどまるというよりかは連れてこられた感じだし、しかも後一日だと期限付きで留まっている(?)し。
まあ、別にやり残したことは本当にないし、天使ちゃんに一日付き合うのが一番有意義だろう。
さて、天使ちゃんと遊びますか、と思いジャングルジムの方を見ると、なんと天使ちゃんの姿が消えていた。
「天使ちゃん?!」
慌てて公園の周りを見渡す。すると天使ちゃんの小さな背中が公園の隅っこの方に見えた。
さっき遊ぼうって言ってたのはどこの誰だったんだ。
そんな愚痴を心の中で吐きつつ、天使ちゃんがいるだろう公園の隅まで移動する。
「よかった……。まだかれてない」
「ちょっと、いきなりいなくなったら分からないでしょ」
後ろから声をかけると同時に、「わっ!」と驚嘆しながら小さな身体が飛び上がった。
「びっくりしたぁ。なんだぁおかーさんか」
後ろを振り向き私の姿を認めると、天使ちゃんはすぐに安堵の表情を浮かべた。
「で、いきなりいなくなった天使ちゃんは何をしていたのかな?」
「んとねぇ、にじをねぇみてたんだよぉ」
「虹を見てたの?」
虹なんて、さっき見たときはなかったような。
確かめにもう一度空を見上げると天使ちゃんは慌てて「そっちじゃないよ」と私の服の袖を引っ張った。
「これこれ。このおはなね、にじっていうの」
天使ちゃんが指し示したのはこの公園の小さな花壇に咲いている花だった。
花壇は世話が行き届いているのか雑草はほとんど生えておらず、代わりに美しい花々がどれも美しく咲いている。
が、天使ちゃんが指している一輪の花は、美しい花がたくさん咲いている中でも一際目立っていて、それでいて綺麗だった。なにせ他の花は赤とかの一色だけなのだが、この花の色は虹色、要するに多くの色を持っているのである。
「へえ。確かに綺麗だけど……あんまり聞いたことない名前だね」
「うん。だってわたしがにじってつけたの」
「……そうなんだ」
どうりで聞いたことない名前だと思った。
ストレートで覚えやすいから良いとは思うが。
でもなんだろう。
この花、見れば見る程どこかで見たような気がする。今後思い出すかもしれないし、明日になったらもう一回来てみよう。
……って、もう今日しかないんだからムリか。
「わたしねぇ、おはながいっぱいのとこ、みたことあるんだよぉ」
と、にじをじっと見ながら天使ちゃんがぽつりと言った。
「それってお花畑のこと?」
「おはなばたけ?」
「うん。お花がいっぱい咲いている所だよ」
「んー?」
ピンときていないのか首を傾げる。
今時の子は花畑を知らないのだろうか。私が小さい頃は遊園地とか、旅行とかそんなに遠くの場所に連れて行ってもらえなかったから、近場にあるそんな所ばかりで遊んでいた。これぞジェネレーションギャップか。
「いきたい」
「え?」
天使ちゃんが目を輝かせながら私の方をまっすぐ見る。
あれ、なんでだろう。
私、天使ちゃんが今から言う言葉が分かる。
「にじいっぱいみたい! いきたいいきたいいきたぁい!!」
やっぱり当たった。
「でも行ったことあるんじゃな……」
「いーきーたぁーい! いきたぁーい!!」
さてどうしよう。このまま天使ちゃんが引き下がるとも思えない。
たとえ説得しようとしても納得はしてくれないだろう。いや、絶対しない。
だけど、もう何十年も前にいった花畑の場所なんて覚えてないし。
……あ、いや。
「おばあちゃん」
思わず口に出た言葉。なぜここになって思い出したのか分からない。頭にある微かな記憶から少しずつあの頃のことが蘇っていく。
――そうだ。なんで忘れていたんだろう。
「おばあちゃんの家だ」
「んー? なぁにそれぇ?」
「天使ちゃん、お花畑行く?」
「うん!! いくー!!」
天使ちゃんの返事を聞いて、深く溜息を吐いた。
目指すは、十年ぶりに行く祖母の家。私の唯一の思い出の場所。
「一番線〜ひばりヶ丘行き〜ひばりヶ丘行き〜。あと一分程で発車致します。お乗り遅れの無いようお願いします」
駅に着いた途端、車掌さんのそんなアナウンスが聞こえてきた。
ひばりヶ丘行きは、今から私達が乗る電車だ。
要するに時間がない。
これに乗り遅れたら最低一時間以上は待つことになる。
「天使ちゃん! 走るよ! ちゃんと手繋いでて!」
「つーなーいーでーるーよぉ~」
切符を買わずに、直接改札を通り抜ける。
改札前にいる駅員は特に何も言わないどころか、私達に気づかず、電車の方をぼんやりと眺めている。
少し罪の意識を感じたが、これも幽霊の特権というやつだ。お金に縛られない生活は悪くない。ここはその特権に甘えさせて頂こう。
一番線ホームには緑色をした古い二両の電車が止まっている。それを見て安堵したのも束の間、発車を知らせるベルがけたたましく鳴った。
「天使ちゃんちょっと我慢して!」
渾身の力をふりしぼり天使ちゃんを抱き上げ、天使ちゃんの「きゃあ」という嬉々とした声と共に電車のドアをくぐる。次の瞬間、電車のドアが閉まり、電車がゆっくりと動き出した。
「間にあった……」
身体は疲れていない……はずなのだが異様な精神の疲労を感じる。
こんなに急いだのも走ったのも久しぶりだ。無事かを傍らにいる天使ちゃんに尋ねると、元気な声で「だいじょーぶっ」とピースサインを私に向けた。
電車の中は閑散としていた。
二両しかない電車でも混雑はしておらず、むしろ人は片手で数えられるほどしかいない。
いつもは満員電車にしか乗っていなかった私にとっては、この静かな空気が少し新鮮で、それでいて少し懐かしい感じがした。
とりあえず空いている席に天使ちゃんと座る。
「きょおはぁささちゃんにいわなくていんだねぇ」
「ささちゃん?」
一瞬、ささちゃんなのだろうと思ったが、しばらく経ってから分かった。
ささちゃんに連れてきてもらえばよかったんじゃ……。
電車はひばりヶ丘を目指し走り続ける。
祖母――私のおばあちゃんは、何も分からない私を後ろからずっと支えてくれた人だった。
父方の祖母は私が産まれてからすぐに亡くなったらしいときいた。だから、おばあちゃんといえば母方の祖母だった。
私の母とおばあちゃんは昔からあまり仲良くないらしく、母はおばあちゃんの家に行きたがらなかった。母が私にそれを直接言ったことはなかったが、幼かった私でも何となくそれを察することはできた。だから、小さい頃に家族でおばあちゃんの家を訪れたのは一度だけだ。
それでも幼い時のおばあちゃんの思い出は二つある。
一つは、私の頭を優しく撫でてくれたおばあちゃんの顔。これはきっと今も昔も変わっていない。
二つめは、庭一面の広い綺麗な花畑を大切に育てていた事。天使ちゃんが言う<にじ>があるかは定かじゃないけど、花の一つ一つがとても綺麗だったことはおぼえている。
最後におばあちゃんの顔を見たのは、数年前。
あの頃はおじいちゃんと仲睦まじく元気そうに暮らしていたのだが、おばあちゃんは今でも元気にしているのだろうか。
車窓から見える空が段々とオレンジ色に染まっていく。
ボックス席の向かいに座っている天使ちゃんは、目を閉じてすやすやと眠っているようだった。
それもそのはずで、私たちはかれこれ二時間近く電車に揺られている。
こうしていると、本当は生きているんじゃないかと思う。
普通に電車に乗って(お金は払っていないのだけれど)疲れたら少し寝てみて、ゆったりと旅みたいなことをして。
だけど、こんなゆったりした時間もきっと生きているうちにはできないことだった。あの時は毎日が仕事仕事の日々だったし、休みにこうしてどこかに誰かと遠出するのは疎か、おばあちゃんに会いに行くこともままならなかった。
いや、会いに行かなかった。
生きていたら無理してでもできたのにな。
「次は〜終点。ひばりヶ丘駅~ひばりヶ丘駅でございます」
アナウンスが流れる。
「天使ちゃん起きて」
「んにゃあ」
「……もう」
ひばりヶ丘までは、あともう少しだ。
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