第6話 最期の別れ2

 久しぶりに来たひばりヶ丘は、昔とどこも変わっていなかった。


 駅の周辺は少し都会らしく小綺麗な街になっていたが、ちょうど良くやってきた乗り合いタクシーに乗って少し離れてみると田舎の涼やかな空気が私たちを包んだ。視界の先にはのどかな田園風景がどこまでも広がっている。


 タクシーを降りて田んぼ沿いにあるアスファルトの道を歩く。


「ひろぉーいっ!!」


 はしゃぎながら天使ちゃんはその道を駆け抜け、私はその後にゆっくり続く。


 少し先には、田園に囲まれたおばあちゃんの家がある。


 おばあちゃんに私たちはきっと見えないだろう。でも、近づく度に一目でいいから会いたいという思いが大きくなった。ささちゃんが言っていた<あと一日>が本当なら、もう一生会えないかもしれないのだ。


「ねぇー!! このおうちなのぉ!?」


 すでにおばあちゃんの家の前にいた天使ちゃんが興奮した声で叫んでいた。


「そうだよ!!」


 私もつられて大声で叫び返す。


「はやくぅー!」


 はいはいと小さい声で返答すると、知らぬ間に私の足は少し小走り気味になっていた。天使ちゃんも私のその姿を見ておばあちゃんの家の中にダッシュで入っていく。


 しばらく小走りしてからはっと気づく。


 確か、おばあちゃんの家の敷地は広大な部類に入る。

 お花畑もその敷地の一角にあるのだが、それも合わせて考えると……確実に迷う。

 私も初めてこの家に来た時に迷って、泣いていたら父に発見されたことがあった。しかもここの家の敷地はとても広い。見つけるにも時間がかかるのは目に見えている。


 天使ちゃんが迷うのだけは阻止しないと!


「天使ちゃんいる!? 玄関のとこで待っててー!! 迷っちゃうからー!!」


 と、慌てて叫んだ時にはもう天使ちゃんの姿は見えなかった。


 返事も聞こえない。


 いつのまにか小走りが全力疾走になって玄関をくぐり抜ける。


 普通なら「懐かしいなあ」と郷愁に浸る場面であるはずが、今はそんな場合ではない。ただいまの挨拶もそこそこに急いで家の中を探していると、庭の一角にある駐車場の変化に気づいた。


 駐車場にはこんな田舎の風景に似合わない、私がテレビの中でしか見たことのないような高級車が一台停まっていた。しかもきちんと手入れされているのか、車は新品みたいにぴかぴかと光っている。


 この高級車は……おばあちゃんのものじゃないよね。


 おばあちゃんは軽トラック命というほど軽トラックを愛している。かと言っておじいちゃんの車というわけでもなさそうだ。


 はて、田舎だから車で家にくる人は珍しくないけど――こんな高級車に乗ってきた人、今までいただろうか。

 たまたま家にいるおじいちゃんの知り合いっていっても、飲み仲間みたいな人たちしか呼んでいなかったし。どっちにしても二人の知り合いにこんな車乗ってくる人、いなかったと思うけれど……。


……いやいや、今はそれどころではない。天使ちゃんを見つけるのが最優先だ。


 私は天使ちゃんを探すため、家の中へと足を踏み入れた。




 家の中は相変わらず広く、雰囲気も昔とそんなに変わっていなかった。それどころか、ここだけ時を止めたかのように違いを感じられない。

 玄関に入るとお出迎えしてくれる鹿の剥製もあるし、奥の部屋まで長く続く廊下も健在だ。だけど、何か違和感があるような気がするのはなぜだろう。


 この前の違和感とはまた違う。

 けど、なぜ違和感があるのかはさっぱり分からない。


「天使ちゃーん? いるー?」


 やはり応答はない。


「……こ……お」


 向こうにある居間から声がする。もしかして、おばあちゃん?

 しかし、居間にいたのはおばあちゃんではなかった。


「……松子」


 いたのは、おじいちゃん一人だけ。


「松子、もうお前がいってしまって二年になるな」


――――……え?


 おじいちゃんの視線の先にあるもの、それは広い家に不釣り合いな小さな仏壇の中にある、小さな写真。その写真に写っているのは――。


「おばあ、ちゃん……?」


 清々しい程に笑うおばあちゃんの顔だった。


「おめぇがゆうちゃんを見つけた時のこと覚えてるか? おめぇはゆうちゃんのことを慌てて抱きかかえて家に飛び込んできた。その時のゆうちゃんは死人みてぇな顔してて驚いたさ。そんで俺がどうするかって聞いた時、わがままなんて言わなかったおめぇがしつこく引き取るっていうから二回驚いちまったよ。今となっちゃあ引き取ったことなんざ後悔してねぇけどな」


 おじいちゃんはそう言って微笑んだ。

 まるでおばあちゃんがそこにいるかのように、そうしてまた、語りかける。


「そっから俺はそんなこっちに帰ってくることもなくなっちまったけんとも、俺が帰ってくるたんびにゆうちゃんのこと教えてくれたなぁ。今日はゆうちゃんが笑ってくれたとか、初めて私にお願い事してくれたとか、悩み事を言ってくれた、一緒に料理作った、高校受かったとか……。しょうもねぇこともあった気がすっけど、おめえはその報告している時が一番楽しそうだったけな」


――――おじいちゃん。


「ゆうちゃんの仕事が決まって、ゆうちゃんがあっちに行っちまうって言う時さ、おめえの顔ひどかったなぁ。ゆうちゃんを笑って送るんだぁとか言ってるくせに、一番おめえ泣いて泣いてなあ、あんときはひどかった! 結局みんなで泣いちまって送り出すところじゃねかったわ。そうか……もう、あれから五年も経ったかあ。早いなあ時っつうのは」


――――私、ここに居るよ。


「なあ、松子ぉ。ゆうちゃんを待つって言ってよお、なんで逝っちまったんだ。最後は、ゆうちゃんをわたしはいいから探してこいって……なぁに諦めてんだ」


――――帰って来たの。


「さっきも言ったけんども、もしかしたらゆうちゃんはおめぇが死んだこと、知らねえ方が幸せかもしれねえ。でもついさっき、ゆうちゃんの居場所が分かったんだ。やっとお前との約束、果たせそうなんだ。今から俺はゆうちゃんに会いに行く。そして全部話す。その方が、おめえも嬉しいだろ? なあ、だから待っててくれな。そしたら……おめえに……」


 そして――。


「あ……」


 おじいちゃんの目から涙が流れた。


「そういや、あいつが戻ってきてるんだ。もうおめえは何も思っちゃいねえかもしれねえ、顔も見たくねえかもしれねえけど一度会ってやってくれや。腐ってもどうしようもなくても、な」


 最後にそう言うと、おじいちゃんは俯いてそれからはもう何も言うことはなかった。

 居間にはすすり泣く声だけが響く。


「おじいちゃん……ごめんね。私もう……」


 その先を言いかけて、言葉が詰まる。

 二人がどれだけ私のことを心配していたのか、そんなこと分かっていた。


 でも、突然家に押しかけてきた私のことを本当はどう思っていたのだろうと思うと恐くて行けなかった。


 ここで過ごすまでは、誰かが私のことを必要と思うことはなかった。

 だから今度もそう思われているんだろうって、思っていた。


 忙しいと理由をつけて帰らなかった。

 連絡もしなかった。

 いつのまにか社会の波に飲まれて、自分のことだけを考えるようになった。


 でも、後悔をしても、もう遅い。


 おばあちゃんに大好きということも。


「……おじいちゃん」


 探しにきてくれようとしているおじいちゃんと再会することも。


「おじいちゃんっ!」


 もう、ない。


「……う」


 私には、できない。


「ごめんなさい。私……遅かった。全部遅かった」


 おじいちゃんの背中を後ろからそっと抱きしめる。

 でも、おじいちゃんは何も言ってくれない。


 私に見えるのは、孤独になってしまったおじいちゃんの寂しそうな背中だけだ。


――――情けない。こんな時に涙の1つも流せないなんて。


 おじいちゃんの背中からそっと離れてから、次におばあちゃんの遺影を見上げる。


「おばあちゃん、ごめんね会いに行けなくて」


 語りかけるも当然返事はない。


「おばあちゃんと過ごした毎日、いっつも楽しかったよ。こんな私をお世話してくれて、決して胸を張れるような人生じゃないけど。おばあちゃん、天国で幸せになってね」


 最後に、二人を見ながら「ありがとう」と小さく呟き、こみ上げてくる感情を抑えながら私は居間を後にした。

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