届かざる言葉はなべてとほき火と蠍は云へり 意味こそ灰と

まず、なぜ「蠍(さそり)」なのかはわからん。
だからその意味を私は書けない。

とりあえずこの歌は「言葉は意思疎通の道具だから相手に届く言葉が正解で、
相手に届かない(意味を成さない)言葉はダメだ」
という世の常識に対して逆のことを言っている。

「届かざる言葉」は「火」であり、「意味こそ灰」なのである。

届かない言葉、意味不明のまま、誰にも届かず漂う無用な言葉たちを「とほき火」とする。
もちろん、そうした「火」も燃え上がって(誰かに伝わって、あるいは意味を成して)しまえば「灰」になってしまう。

届かない言葉である「火」は読もうとしても「その意味を全て」「読み尽くす」ことが出来ない「詩」や「歌」のことだ。
そうした「火」が意味を持つ瞬間、つまり「灰」になる瞬間がある。

しかし「火」はそれでも燃え続ける。
たとえ一部が「灰」になっても、「火」は燃える。

なぜなら「詩」や「歌」のような言葉はいちど「意味」を「解釈」し得たとしても
次々に新たな「他の意味」を生むからだ。
それが解釈の多様性だ。

いくらでも「灰」(意味)を生みつつ、
絶対に尽きることの無い「火」!
実に面白いイメージではないか。