「箱」、「棺」、「とりかご」などのモチーフが多用され、マトリョーシカのようなかたちに世界を組みかえる(読みかえる、書きかえる)パワーがある連作だ。
・朝なさなわれのからだをとり出だす象嵌の古き小(ち)さき箱より
超単純にすれば「毎朝古くて小さい箱から自分の体をとり出す」という歌だ。
「われのからだをとり出だす」、という言い方は絶妙だ。
「自分の体をとり出す」と解釈してしまったが、
別にここは「毎朝〈誰かが〉私を箱からとり出す」としても良い。
誰が「われのからだ」をとり出しているのか、「われ」が人形であれば持ち主ということになるだろう。
「朝なさな」「とり出だす」というのだから中々の人形好きだ。
・夢は箱でありませうとぞ歌ひける母は飼ひたり雲のけものを
・ひとつ上の姉はとりかごでしたから羽根は日に日に肺に積もりて
「母は飼ひたり雲のけものを」などと言うから首輪やリードをつけて犬みたいに「雲」を散歩させていそうな気がする。
しかし連作全体を見渡すと、どうもそうではないように思われる。
「姉はとりかご」なのだそうだ。
すると「母」は窓かなにかではないかと思う。
いや、案外巨大な「箱」かもしれない。
「夢は箱でありませう」、これも絶妙な表現だと思う。
「夢というものは箱のような構造(夢中夢、入れ子構造)をしているのでしょう」と読める反面、
「私が見たのは箱の夢だったでしょう」とも読める。
しかし現実の「母」が「箱」ではないとは断言していないのである。
いや、「母」が「歌ひける」世界が「夢」ではないという保証すら無いのである。
・ゆふつかた窓に倚りたる鳥一羽ありて銀河をひとつ呑みほす
個人的にはかなり好きな歌だ。
なんと「鳥一羽」が「銀河をひとつ呑みほす」のだそうである。
連作全体がある者がある者を「呑みほす」という「箱」的なモチーフを繰り返し描いている以上、それに連なる歌として読める。
「ゆふつかた窓に倚りたる鳥一羽」という上の句は上手い。
「ゆふつかた」のひらがな表記のせいか、それとも「窓に倚りたる」の「倚りたる」という語の選択のせいか、「鳥一羽」はとても小さな(なんとなく白っぽい)鳥としてイメージされた。ハトみたいな感じだ。
初句は「ゆふつかた」、つまり今風に言えば「夕方」だから「銀河をひとつ呑みほす」には調度良い時間帯が選択されている。
この緻密な計算があった上での軽業的な跳躍がすばらしいのである。