猿
祖母が暮らしている土地には猿が出る。
片田舎で、やたら揺れる電車に乗って数時間かかった。車窓には濃緑の山々がジグザグの稜線を描き、その麓には黒々とした森があって、小さな鳥居が視界をよぎった。水田や
我が家の習慣で、毎年夏休みには祖母の家に泊まりに行くことになっていた。座席に座りっぱなしでお尻に痛みを感じながら、古びた駅舎まで迎えに来た祖母の軽トラックに乗って築数十年の家へ向かう。運転席と助手席しかないために、いつも私と父は荷台に乗った。トラックの荷台から眺める田園風景は嫌いではなかった。
雑木林を背負った二階建ての民家だった。引き戸の玄関を開けると、あの独特な
写真の中の祖父は、
一連の儀式が終わると、居間でおはぎが振る舞われた。両親が歓談しながら、それとなく祖母の体調を伺う。彼女は素気なく問題ないと答える。これも毎年お馴染みの光景だ。
実はと言うと、私が祖母が苦手だった。不愛想で、笑顔を見たことがない。地方の
それに田舎はやることがない。遊びに出かけても山と森と田圃しかなく、外に出ても虫に刺されるだけだ。だから祖母の農作業を手伝う父の様子を眺めたり、母とともに家事を手伝った。暇な時間は携帯ゲーム機で遊んだ。祖母も咎めることはなく、居間で
縁側で風鈴が涼しい音を奏でていた。蝉は相変わらず合唱している。両親は学生時代の旧友を訪ねて不在だった。照りつける真夏の太陽を避けながら、扇風機の風に吹かれて、農作業の手を休める祖母と二人きりだった。ボールを打つバットの音と歓声、ゲーム機の画面内では電子音が鳴る。
これといった会話はなかった。元々祖母は
玄関の引き戸が開く音がした。両親が帰ってきたのだろうか。田舎なので鍵は閉めていなかった。妙に
携帯ゲーム機の画面から顔を上げる。半分ほど開いた障子の向こうを見た。毛むくじゃらの何かが覗いていた。猿に似た毛色で、四肢と首が細長い。大きな背中が弧を描き、四つん這いの体勢をしていた。
私と目が合った。皺を刻んだ瓜実顔が笑った。そう見えた。
テレビの中でホームランが打たれ、球場が沸いた。背中が少し曲がった祖母に声をかけた。
「お祖母ちゃん」
「気にすんな」
こちらに顔を向けず、やはり不愛想に彼女は言った。
「ただの猿だ」
嘘だ。その一言が喉まで出かかった。祖母の後ろ姿がこれ以上の会話を拒絶していた。頑なにこちらを見ようとはしない。
あれはただの猿ではない。
だってあの奇妙な生き物は、祖父の顔をしていたではないか。
隙間怪談 @ninomaehajime
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます