解放のファンタズマ 2ー②
※ ※ ※
翌日、二人は聴取を開始した。
アメデオの運転で最初に向かったのは、バンデーラ邸だ。
「まず妻のロザーナに話を聞く。その後、バンデーラの側近と面談だ」
「現場を見ておくのはいいね。側近というと、バジーリオ・ベルトロット?」
フィオナは報告書をチラリと見て訊ねた。
「そうだ。組織のナンバーツーで、金融業を任されている。バンデーラが死ねば最も得をする人物だ。バンデーラの財産をがっぽり頂ける妻と同じぐらい、犯行動機がある」
「だけど、二人共、事件関与を否定しているし、実行犯のコッツィとの接点はないみたい」
「ま、口では何とも言えるからな。揺さぶってやる」
「そうだね、コッツィの関係者とも、アポイントメントは取れた?」
「ああ。午後から主治医と面談だ」
「上出来だね」
バンデーラの邸は意外に小ぶりな三階建てで、モダンな要塞のような印象があった。
重厚感のある天然大理石張りの外観で、窓は少なく、全ての窓にシャッター式の雨戸が下りている。
頑丈そうな玄関近辺と向かい側の道路には、カメラを構えたマスコミとスマホを構えた野次馬が、二十人ばかり屯していた。
アメデオが玄関扉のインターホンを鳴らすと、女性の声が応じた。
『ご用件をどうぞ』
「カラビニエリのアメデオ・アッカルディ大佐です」
『承っております。少々お待ち下さい』
暫くすると、玄関扉が開き、黒いスーツ姿の大男が現れた。
「どうぞ。奥様はこちらです」
邸内はやけに静まり返り、ひんやりとして薄暗く、棺の中にでもいる心地がする。
案内されたのは監視カメラの映像でも見た、一階のリビングだ。
大理石の床にペルシャ
ソファに座っていた喪服姿のロザーナが立ち上がり、軽く会釈する。
小麦色の肌をしたブロンド美人で、四十二歳という実年齢より五歳以上若く見えた。
案内人の大男は、ロザーナの背後で直立不動の姿勢を取った。
「失礼します。カラビニエリのアメデオ・アッカルディ大佐です」
「ローマ警察のフィオナ・マデルナです」
二人が身分証を見せる。
「ようこそ。ロザーナ・バンデーラです」
ロザーナは言葉少なにソファ席を勧め、二人の前にハーブティを置いた。
アメデオはハーブティを一口飲み、
「さてと、ロザーナさん。ご主人のことでは、さぞ心をお痛めでしょう。……というより、むしろ内心、お喜びでは?」
「……今、何と
ロザーナは聞き間違いをしたとでも思ったか、眉に
「いえねえ、私は常々思っているのですよ、マフィアの妻というのも大変だろうとね。気の休まる暇もなかったでしょう。ご同情しますよ」
するとロザーナは顔を赤らめ、嫌悪と敵意を剥き出しにした。
「私と主人を侮辱なさるおつもりですか!」
「いやいや、滅相もありませんとも。今のお気持ちを聞きたいだけですよ。なにしろ貴女はバンデーラ殺しの重要参考人、いえ、ハッキリ言えば最重要の被疑者ですからね」
「そんなの、的外れもいいところよ。いいこと、ブルーノは男らしくて頼り甲斐のある、優しい夫だったの。そりゃあ、あの人の仕事柄、世間の人にどう思われているかは知ってます。でも、私にはいい夫だったんです!」
「殺す理由はないと?」
「当たり前ですわ。ブルーノを愛していたんですから」
「そうですか。それは失礼しましたねえ」
アメデオは
「……この男……」
ロザーナは拳を震わせ、写真を
「見覚えはありますね?」
「ええ。警察に写真を見せられました。主人を殺した犯人ですよね」
「取り調べ以外の場所で、この男を見たことはありませんかね? 例えば、近辺を
「いいえ。ですが何故、この男が主人を殺したんです?」
「それを私達も調べているところでしてね」
「……そうですか」
するとロザーナは背後を振り返り、大男を手招いた。
「アベラルド、この男に見覚えは?」
アベラルドと呼ばれた男が暫く写真を見詰め、首を横に振る。
「いいえ、知りません」
「それは確かね?」
「はい、奥様」
「分かったわ」
大男は一礼をして、背後に下がった。
「彼は?」
アメデオが訊ねる。
「主人が外出時に連れ歩いていたボディガードです。何処へ行く時でも一緒でしたから、アベラルドが知らないなら、この男が彷徨いていたとかはなかったと思います」
ロザーナはそう言って不安そうに
「アベラルドには今、私に付いて貰っています。あんなことがあったから……」
「怖いよね。心細いね。さっきは大佐が乱暴なことを言ってごめんなさい」
「……いえ……」
ロザーナはじんわりと溢れた涙をハンカチで拭った。
「ボクから、玄関扉の暗証番号のこと、聞いてもいいかな? 警察からも聞かれたと思うんだけど……」
「はい……。私がナポリの母の家にいると、主人から新しい暗証番号がメールで届いたんです。早く君に会いたい、愛していると、言葉が添えられていました。
でもその翌日、主人が亡くなったと知らせがあって……」
「そうなんだね。その暗証番号って、定期的に変更されていた?」
「主人は不定期に変更するのが常でした。用心深い人だったんです」
「貴女以外、番号を知らされていた人は?」
「いないと思います」
「貴女の他に心を許していた人は?」
「よく分かりませんが、いなかったと思います。少なくとも聞いたことはないわ」
「こんなこと聞きたくないんだけど、愛人とかは?」
「分かりませんが、いなかったと……思います」
「他に何か気になることや、思い出したことはないかな? 例えば、最近ご主人に変化があったとか、新しく知り合った人の話を聞いたとかさ」
「さあ……特に思い当たりませんが」
ロザーナは暫く考え込み、ポツリと答えた。
「そういえば、最近寝付きが悪いと言って、一カ月ほど前から睡眠薬を飲んでいました」
「寝付きが悪い? 心配ごとでもあったのかな?」
「分かりません。滅多に弱音を吐かない人でしたから。ただ夜中にたびたび目が覚めて、寝た気がしないと……。仕事柄、誰かの恨みを買うことはあったのかも知れませんわね……。でも、すみません。私には主人の仕事のことは分からないんです」
ロザーナは力なく首を横に振った。
「その睡眠薬の包装シートとか空き箱なんかはあるだろうか」
「確か、ベッドサイドの引き出しにあったと思います。アベラルドに取ってこさせましょうか」
「もし良ければ、ボク達も寝室に同行したいんだけど、構わないだろうか」
「……ええ、分かりました。アベラルド、案内をお願い」
「はい」
頷いたアベラルドが歩き出し、フィオナが続いた。アメデオも二人の後を追った。
一行は殺害現場である三階の寝室前にやって来た。
分厚い鉄の扉は開け放たれ、電子ロックの鍵が確認できる。
室内は現場検証が行われた後、手つかずのままなのだろう。剥ぎ取られたベッドのシーツ、剥き出しになった血の染みのあるマット、絨毯についた靴痕なども生々しい。
右手の壁には、大きめの書き物机と書棚があり、その向かい側にシャッターの下りた窓がある。入り口の側の壁には鹿の頭部の剥製が飾られ、等間隔でフックが並んでいた。
「このフックは何だ?」
アメデオが疑問を口にした。
「旦那様が銃のコレクションを並べていたのを、警察が押収しました。机にあったパソコンや書類も同様です」
アベラルドが答える。
「成る程な」
アメデオは窓際に行き、コッツィがやっていたように跪いてみたが、特に窓から変わった物が見えることもなかった。
アベラルドはベッドサイドテーブルまでフィオナを案内し、引き出しを開いた。
中には聖書の他に、使いかけの薬剤シートと処方箋がある。
フィオナは手袋をした手で、シートと処方箋を取った。
「有り難う、これは預からせて貰う。大佐、ボクの用は終わったよ」
フィオナが言った。
「もっと詳しく見なくていいのか?」
フィオナは二分余りかけて室内を一周し、「もういいよ」と答えた。
一行がリビングに戻ると、ロザーナはテーブルに置かれたままのコッツィの写真を手に取り、じっと見詰めていた。
そして三人に気付くと、物言いたげな顔でフィオナとアメデオを見上げた。
「どうかされましたか」
アメデオが思わず訊ねる。
「お願いします。この写真、私に頂けませんか」
ロザーナは思いの外、強い口調で言った。
「どうしてですか?」
「この男を知っている者が誰かいないか、私も調べたいんです」
「
アメデオがロザーナの手から写真を抜き取ると、ロザーナは残念そうな顔をした。
バンデーラ邸を後にした二人は、車に乗り込んだ。
「フィオナ、お前の見立てはどうだった?」
「夫人はシロだ。正直な人柄だね。自分に不利な証言をする時にも躊躇いはなかったし、微表情にも嘘を吐いている兆候は見られなかった」
「お前もそう思ったか……。状況的には、限りなくクロなんだがな」
アメデオが腕組みをする。
「あと、殺されたバンデーラは意外に勉強家で、大胆さと用心深さを備えた現実主義者という感じ。本棚には政治経済や金融関係、法律関係の名著が多かったし、マキャベリの『君主論』もよく読み込まれてた。金融業で成り上がったというのも分かる気がしたよ」
「ふむ……。邸も華美過ぎず、キッチリしてた印象だったな」
「大佐、ひとまず次に向かおう」
「おう。バンデーラの片腕、バジーリオ・ベルトロットは金融会社の社長をやってる。オフィスで待っているそうだ」
アメデオはエンジンをかけ、ローマ中心部へと車を走らせた。
(続く)
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