創作で「戦う」ことを選ぶ人間は、皆どこか似た顔をしているのかもしれない

本作は、互いに似た存在である二人の高校生創作者の物語です。
かたや、才気に溢れた漫画家志望者。
かたや、心ない言葉のために一度は筆を折った小説書き。
互いに通ずるところのある二人が、創作への覚悟を決める様を描いた短編です。

二人に通底するのは、創作によって「己を証明する」ことへの、渇望めいた欲求です。
作中では「世界からの承認」という言葉で表された、あるいは「あたしが居ない世界なんかより、あたしの居る世界の方が何十倍、何千倍だって良いって言わせてやるんだ」との台詞で表された、強烈な動機。
二人は熱を共有しながら、創作者としての第一歩を歩み始めます。


この動機、本レビュー筆者には非常に腑に落ちるものがありました。
私自身、公募やコンテストへの小説応募を4年ほど続けている身ですが、勝負ごととしては非常に分が悪い賭けである公募応募を、なぜこれだけの長期間続けていられるのか……自分自身わからないところがありました。
数百分の一の倍率のために、なぜ日々技術を磨いているのか。
余暇を削って原稿を書いているのか。

ですが彼らの姿を見ていると、わかる気がするのですよ。
おそらく私も、己を証立てたいのでしょう。
私は彼らの倍以上生きていますが、年経ても世の生き辛さは減ずることなく、はみ出した者が叩かれ嘲笑われ、価値ない者と冷たい目を向けられるのは変わらない。
だから、自分の証明が要るのだと思います。いくつになっても。

「存在証明としての創作」
それがなければ生きられない種類の人間は、この世の中に少なからず存在すると、本レビュー筆者は信じています。
それゆえに彼らの姿は、ある種の普遍性を帯びているように私には思えます。


ただ、それゆえに。
物語の最後、公募やコンテストで戦っていくことを決意した彼らは、これから先、己と同じ顔をした人々と戦っていくことになるのでしょう。
すなわち、己の存在証明のために腕を磨き挑んでくる、他の創作者たち。
厳しく熾烈な争いであることでしょう。ある程度の高次まで勝ち残ってくる人々は、己の証を立てたいとの望みを、意識的にせよ無意識にせよ抱いているでしょうから。普遍性とは、そういうことでもあります。

とはいえ、それは未来の話。
今は、長く険しい戦いに向かう彼らを、ただ祝福したいと思います。
そしてもう一言、倍以上の年月を生きている者として付け加えたいのは「決して焦らなくていい」ということ。
望めばいつまででも、挑み続けることはできます。この歳になっても、まだ。


本作は、互いに似た存在である二人の高校生創作者の物語です。
そして、ここで小説を書いているあなたや私にも、どこかしら似ているのかもしれません。

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