フレンチトースト

霜月れお

フレンチトースト


 昨晩に卵と牛乳と砂糖で仕込んだヤマザキのダブルソフトは、調味液が奥まで染み込んでずっしりと重く、くったりとしていた。バターを溶かしたフライパンに載せると、油と水が飛び跳ね、甘い匂いで鼻が麻痺する。普段は調節しない火加減に気を使ったのに、マグカップを探している間に、大切なダブルソフトは僅かに焦げた。慌てて食パンだったものをトングで優しくひっくり返し、フライパンに蓋をする。ここからは弱火がいい。

 お局のねちっこい愚痴、上司からのキャバ嬢扱い、同僚との嚙み合わない会話、自己中心的な彼氏、お金を無心する両親、それらは愛すべき隣人だと思い込んで振り回される自分自身。わたしを取り巻く全てのコトが、クロワッサンの生地よりも厚く幾重にも重なって、サクっと美味しく焼ければいいのだけど、重厚な生地は、重量と熱を保持しながら、わたしの身体と心を押し潰していく。わたしは息継ぎの仕方がわからなくて、常に溺れながら世間を渡り、休日という川岸に死にかけで辿り着いたとき、残念なくらいに腹を空かせている。だから休日は、いつもより少しだけ丁寧に食事を摂る。今朝だってもれなく、そうだ。いっそ今回で最期にしてもいい。

 お気に入りの紅茶、とはいってもティーバッグなのだけど、お湯の量は測るし、ティーバッグをお湯に浸す時間はアレクサに計ってもらう。サーカステントのようなアップルグリーンのストライプ柄に金の縁取りが可愛いノリタケのカップで、いつもより丁寧に紅茶を淹れる。

 フライパンの蓋を持ち上げる。湯気とともに、甘い焦げたバターの香りが昇っていく。焦げ茶に縁取られたフレンチトーストを若草色が縁取ってあるだけのシンプルなプレートに載せる。シュガーパウダーがフレンチトーストに触れ、溶けていく。溶け残りが白く積もっていくのを見ながら、好きなだけシュガーパウダーをかけていく。咎めるものは何も無い。アレクサが時間を知らせてきたので、紅茶のティーバッグを取り除き、滴ることを恐れながら、静かにゴミ箱に放り込んだ。

 出来上がったフレンチトーストと紅茶を食卓に並べ、ひとり静かに手を合わせる。ハチミツを追加トッピングすると、フレンチトーストは、艶やかに甘ったるく変貌した。ナイフで切り裂いたそれをフォークで刺し、口に放り込む。

「……おいしい」

 ふた切れ目を口に放り込み、咀嚼しているうちに、瞳から溢れた水滴が唇につき、甘ったるさが消え失せた。





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