わたくしの患者は会ふたび云ひますよ人魚の声を聞いたのです、と

この歌はユーモアがある。
(セイレーンはそのまま人魚とすべきではないが)セイレーンたちの歌声は人を狂わせる。
そこで論理を改造し、
「セイレーンたちの歌声は人を狂わせる」から
「狂った人(患者達)はみんなセイレーンの歌声を聞いている」に組み替えてしまう。
これが歌の第一の発想だ。そう考えてみると機知に富んでいて実に面白いではないか。
セイレーンという非現実的な存在を現代の医療の場に持ち出してくるという大胆な錯誤がおもしろおかしい。

ただそれだけであれば「狂ってしまったあの人達はみんな人魚の歌声を聞いたに違いない」というだけの歌になっただろう。

ここに第二の発想として医者による「患者」への言及というかたちを用意したのだ。
医者の話を聞いているのは医者でも患者でも無い第三者的な存在だろう。
すると言及自体に怪しさが出てくる。
ひょっとすると医者の治療法に何か問題があって、その結果として「人魚の声」が聞こえるのではないか。
脳手術をする精神科医のようなホラー的発想も可能になる。

一般的な読者たちがユーモアに着目するかホラー性に着目するかは気になるところだ。