03 捕食者と被捕食者  <完>

 あと5分も歩けば、きっと着く。

 駆けだそうとした瞬間、赤信号で止められる。何度も何度も赤信号に遮られる間、煮詰まるような思いに駆られた。


 やがて学生マンションが見えてきた。

 俺は何度かよろけて転びそうになりながら、階段を上がった。

 呼び鈴を何度も押したが出てこない。けど、焦りながらドアノブを回したら、あっさりドアは開いた。

「え?」

部屋の中を見る。

 狭い玄関に、ブランドもののスニーカーが打ち捨てられたみたいに転がっている。奥に、人の気配もある。うっすら聞こえるのはテレビの音声だろうか。

 仕方ない。緊急事態だ。

 「おい、橘。居るのか!?」

俺はずかずかと部屋の中に入った。


 橘は誰かとスマホで電話をしているようだった。

「なあおい橘! 半田が大変なんだよ!」

「え、何どうしたの急に。あ、あのすみませんとりあえず彼の取り巻きとかに色々心当たりを聞いてみてから、またかけ直します」

橘は驚いた声をあげ、通話を切りこちらを見る。

「半田が、お前がカネを儲けてるあの村に行ったんだ。で、なんかトラブルがあって……とにかく、体調が悪そうなんだよ」

「って……半田から君に電話を?」

「そうだよ。お前の電話、全然繋がらなかった、って」

「あ、ああ」

橘はちらりと膝の上のスマホを見た。

「確かに朝、ちょっと充電切れてたかも」

「んん、まあタイミングってそういうもんだよな。なあ、半田さ、村のなんか入っちゃいけないところに入ったんだって」

「え、そうなの? あ、まさか洞窟の奥?」

「ああ」

俺は頷いた。

「で、そしたら村のその……責任者みたいなじーさん?」

「落合さんだね、村長の」

「ああ、うん。その人にもうめちゃくちゃその」

マイルドな言い方を俺は探った。いきなり縄で縛られたとは言いづらい。

「怒られた、っていうか」

「うん……僕も洞窟の奥は絶対に入るなって言われた。まさか、そこに入るなんて……」

橘は、青白い顔で目をきょろきょろさせている。俺の手元の電話から、半田の咳き込む声が聞こえた。

 俺は焦れったくて、思わず橘に問いかけた。

「橘、あの村は一体なんなんだ? 洞窟の奥に宝石の原石の塊があった、って。その奥に変な果物があってさ。それを食べてから、半田はなんか体調悪そうなんだよ」

橘の目が見開かれる。俺は頷いた。

「なあ。お前からその村長に話をつけるわけにはいかないか? 半田を助けてやってほしいんだ。あいつが悪いことしたとしてもさ、見捨てられるのは気の毒だろ」

「そう、だね」

橘は銀色の眼鏡の奥で、強く決意したようだった。

「分かった。ちょっと落合さんに電話してみるよ。その前に半田に代わって」

「あ、ああ」

橘は俺のスマホを受け取ると、呼びかけた。

「半田? ……ボクだけど。うん、うん……どの辺りに居る? うん、山の中の……もう寂れた、使われてない家? 石の像みたいなのがあって……大きな木の下? 分かった。そこに居てね。体力を消耗するから動かないようにして……うん、何とかするよう努力するから……わ、わかってるよ。早くする。分かったから怒鳴らないで……うん、わかった」

橘はスマホを俺に返すと、頷いた。

「落合さんに電話して、説得してみるよ。村の戒律を破ったことは許されないけれど、悪い人たちじゃないから、きっと馴染みのある方の僕が話せば分かってくれると思う」

「ん」

俺は頷いた。


 そうして橘はスマホを手に取ると、玄関を出て行った。


 俺はなんだか急に力が抜けたみたいになって、ため息をついた。

「はー……」

眉間を揉んでから、なんとなくリビングを見回す。二人の持ち物は雑多に入り混じっている。とはいえ、半田の持ち物が多そうだ。半田はいつだって、橘に圧が強かった。そういえば前にちょっとだけ、その理由を聞いたことがある。

「あいつのああいうところ、家族に似てんだよ」

半田が憎々し気に言った言葉は、俺の中ではまだうまく消化できていない。


 ふと、目が留まる。

 橘のベッドとテーブル付近には今、ブランドのロゴが入った紙袋が散乱している。玄関の靴と動揺、打ち捨てられたような。煌びやかなロゴが、ゴミ同様に転がっている。


 そうだ、と俺の中で誰かが囁く。


 そもそも橘はどうして、あんな大金が手に入っていたんだ? 半田と同じように洞窟の奥に入って、その巨大だっていう原石をこっそり持ち帰りでもしたんだろうか。

 いや、そんなことをしたら簡単にバレるんじゃないか。


 じゃあ、どうやって。

 その時。


 スマホから半田の咳き込む音が聞こえた。先程までの咳き込み方とは違う、まるで内臓を吐き出すような強烈な音。


 「……ウソだろ」

半田の声が聞こえた。俺はスマホを耳に強く押し当てた。

「どうした」

「喉に詰まってたもの、出てきた」

「は?」

「喉に詰まってたもんが、咳と一緒に出てきた」

「何かが詰まってた?」

「瓜原」

「なに」


 震える半田の声が言った。

 「あの原石。洞窟で見た原石が、喉から出てきた」


 「どういう、こと?」

身体の震えが止まらない。スマホを握っている手が、汗でぬるぬる滑る。


 どういうこと、と口で言いながらも。

 頭の中で、勝手にパズルが組み上がっていく。そんなものの全貌なんて見たくない、知りたくないのに、まるで勝手に再生されてしまう動画みたいに、俺の脳は感情の制止を振り切って結論を見つけてしまう。

 

 半田は洞窟の中の入ってはいけないところに入った。

 そしてその奥にあった、不思議な果実を食べた。

 食べて一日経って、体調が悪くなった。

 ずっと咳をして、腹が痛いとも言っていた。

 そして今、喉から鉱石が出てきた。

 そして半田はこうも言っていた。洞窟の奥に行くにしたがって、驚くほど巨大な原石があった。

 もしかして。

 その原石の正体は――


 「なあ、俺一体」

「半田」

気休めでもなんでもいいから、何か声をかけよう。そう思ったときだった。


 「な、なんだよお前らっ」

半田の焦った声が聞こえた。

「半田!?」

「違うんだってマジで出来心で、っていうかお前らこれなんだよ。なんで俺の喉からあの変な石が出てくるんだよっゲホッお前ら仕組んだのか!? 俺に何したんだよ!」

スマホ越しに半田が吠える。がさがさ、と聞くに堪えないノイズの音、何かを打ち付ける音、くもった悲鳴が聞こえて。


 通話が切れた。


「半田……」

沈黙するスマホの向こうで、半田に何が起きたのか、考えてしまう。きっと見つかったんだ。村の人たちに。しかもきっと穏便な見つかり方じゃない。見つかって、捕まった。そして村の人たちはきっと半田を助けはしない。でもどうして突然見つかったんだろう。半田は隠れていたと言っていたのに。


 


 玄関に続くドアが、ぎぃ、ばたん、と閉まった。


 振り返る。

 ドアを背に、橘が俺を見る。

 きっと。俺の考えていることは、何もかも表情でバレてしまっただろう。


 橘は言った。

「だって、お金は欲しいだろう? 人より沢山、欲しいだろう?」

「橘。お前……半田の居場所を、村長たちに教えたのか?」

橘は答えなかった。けれど、薄暗い目が俺の問いかけを肯定していた。

「橘、お前」

「一つだけ答えて、瓜原」

「なに」

「半田から次にキャンプに誘われたら、瓜原はどうするつもりだった?」

「俺、は……」


 橘の手足はモヤシのように細い。だから俺が本気を出せば、きっとこいつは倒せる。

 でも、ここで橘をどうこうしたって、きっとどうしようもない。答えを間違えちゃいけない。俺は粘つく唾を飲み込んだ。


 「断るつもりだった」

俺は答えた。口だけだと思われないよう、橘の目をしっかりと見て答えた。それは本能的な行動だった。そして俺が発した言葉にできるだけ、「本当にあいつとのキャンプは嫌だった」という気持ちが滲むよう、祈った。

 橘は、どこかほっとしたように微笑んだ。

「うん、だよね」

頷いてから、橘は俺に一歩一歩近づいてきた。圧があったわけじゃない。ただ近づいてきただけなのに、俺は思わず橘のデスクを背に、フローリングの上に座り込んでしまった。

「うっ」

思わず身構える俺の隣を素通りし、橘は自分のデスクの引き出しを開けた。そして、茶封筒を取り出した。

 がさ、と。まるでポケットからのど飴を取り出すように呆気なく取り出されたのは、見たことも無いほど分厚い札束だった。

 橘は札束を半分に分けた。そして、分けた半分を俺の手に握らせた。その手は氷のように冷たかった。触れた指の先からぞわりと体温を奪われる。


 「あげる」

「え……?」

「瓜原も言ってたじゃん。お金ない、って。その気持ち分かるから。それに、瓜原は俺と同じ側の人間じゃないかな、ってちょっと思ってたし」

「な、なんで」

「これあげるから。だからさ」

橘は笑った。

「秘密にしようね、全部」

息が苦しい。肺が悲鳴をあげる。そこで俺は初めて、呼吸を忘れていたことを思い出した。急いで酸素を吸う。吸っても胸が痛い。目の前に橘の顔。俺がどれだけ手汗をかいても、こいつの氷のような冷たい手に俺の体温は移らない気がした。俺は浅い呼吸を繰り返しながら、言った。

「半田は、どうなるんだ」

「それを忘れるお金でもあるんだよ」

橘は歌うように言った。橘の丸い眼鏡のレンズに、凍り付いていく俺の顔が映っていて気持ちが悪い。

「ねえ瓜原。あいつは休日に突然出かけた。そして行方不明になった。どこに行ったのか僕も分からない。だから悲しい。それでいいよね」

「橘」

「受け取ってくれるよね、このお金」


 橘の生臭い息が俺の鼻先に漂う。身体を動かそうとしていないのに、裸足の足がずるりと滑った。足の裏にかいた汗が、フローリングの上でぬるぬるして行き場がない。身体のどこかに力を入れて、踏ん張ってちゃんと座ろうとしていても、何もかも徒労だ。橘のデスクに背を預けたまま、まっすぐの姿勢を保つ方法が無い。

 もしも。

 このカネをこの場で受け取らなかったらどうなるか。聞くのも怖い選択肢が頭に思い浮かぶ。

 もし俺がこれを受け取らなかったら。その際に橘がとる行動なんて、簡単だ。そのモヤシのような腕で、ただ一本電話をかけるだけでいい。

 そうしたらきっと、×村の人間がいずれ、俺のところに迎えに来る。そして。

「断れないんだな、俺は」

「断らなくていいんだよ。こんな金額のお金がもらえる。それだけなんだよ。嬉しいじゃないか、お金がいっぱいなんだよ。好きな物、なんでも手に入るんだ」


 俺は一つ、呼吸をした。この部屋に充満する淀んだ熱い空気を、口を開けて吸って、吐き出した。

 手の中の札束を握りしめる。それは、「受け取る」と決意した瞬間に鉛のように重くなった、ように感じた。


 突然、橘の手が伸びた。札束を握った俺の手を、札束ごと両手でギュッと握る。氷のような手。冷える。


 「嬉しいよ。きっとわかってくれるって思ってた」

「橘」

「じゃあさ、瓜原」


 橘は笑った。


 「次は誰にする?」



<終>

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

だって、お金は欲しいでしょ? 二八 鯉市(にはち りいち) @mentanpin-ippatutsumo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ