04 波下の都

 ――新中納言しんぢゆうなごん、「見るべき程の事は見つ。いまは自害せん」とて、めのと子の伊賀平内左衛門家長いがのへいないざゑもんいへながを召して、「いかに、約束はたがふまじきか」と宣へば、「子細にや及び候」と、中納言に鎧二領着せ奉り、我身わがみも鎧二領着て、手をとりくンで海へぞ入りにける。これを見て、侍共さぶらひども廿余人おくれ奉らじと、手に手をとりくんで、一所いつしよに沈みけり。


『平家物語』 「百七十 内侍所都入ないしところのみやこいり」より






「……そういうことも、あったな」


 寿永四三月二十四日(一一八五年四月二十五日)。

 壇ノ浦の戦い、佳境。

 平知盛は、この場にいない平重衡たいらのしげひらのことを思い出し、ふと微笑した。

 今や、源氏の船団は平家の船団を打ち破り、舟は──平家は沈みつつある。


「ヒにゲイか……」


 かつて重衡が、水島の戦いを前に、まるで人魚と内緒話をするように聞いたという、言葉、というか声。

 知盛は羿ゲイという、にちかい解釈で、源氏を煙に巻いて勝利を導いたが、今思えば、あれはこの日の平家のことを暗示していたのでは。


――平家を射落とす、羿ゲイ――源九郎義経か……」


 あれから。

 水島の戦いに勝利し、平家は福原を取り戻し、京へ還らんとしていた。

 ところが、一ノ谷の戦いで――


「あの義経に負けた。重衡も捕らえられた」


 その後、屋島でも藤戸でも負け、今、この壇ノ浦に至る。

 そう考えると、あの人魚の内緒話は、このこと――平家の滅亡を言っていたのかもしれない。


「知盛さま」


「家長か」


 知盛の乳兄弟、平家長たいらのいえなががいつの間にか背後にいた。


「帝は」


二位尼にいのあま(平時子、清盛の妻)さまと共に、入水」


「そうか」


 知盛は安徳天皇と二位尼、建礼門院や女官たちの乗る舟に行き、これからもうすぐ珍しい東男が見られると言上して来たばかりであった。

 東男――源氏の東国武者たちが、迫っていると。

 それを聞いた二位尼は、波の下にも都がございますと言い、安徳天皇と共に海中に没した。


「……今頃は、東男ではなく、人魚を見ているか」


「…………」


 家長は無言だった。

 無言であることで、その心情を伝えていた。

 そしてそれが、知盛に痛いほど伝わっていた。


「よかろう」


 やるべきことはやった。

 人魚という怪異、日食という現象まで利用して、戦った。

 その上で、負けた。

 滅びた。


「波の下の都、か」


 では、この知盛も、行くことにしよう。

 ふと、眼下の海を見ると、そこには人頭魚身のいきものがいた。


「人魚……」


 知盛はさすがにぎょっとしたが、次いで、ふっと笑った。


「人魚ども、悪いがそこをどいてくれ。波の下の都に行けん」


 知盛は家長に手を伸ばす。

 家長もまた、知盛の手を握った。

 強く。


「そうだ。せっかくだから、弟の重衡に伝えてくれんか……わが最期の言葉を」


 知盛の言葉を人魚が理解したかどうかはわからない。

 それでも満足したのか、知盛は頼んだぞと言って微笑み、んだ。

 家長も跳んだ。

 二人とも、あっという間に海中へ。

 人魚たちは目を見開いていたが、やがて、何事かひそひそと話し合い、そしてどこかへと泳ぎ去り、消えていった。


「見るべき程の事をば見つ。今はただ自害せん」


 ……数ヶ月後、平重衡は木津川畔でそのささやきを聞き、従容として死にいたといわれるが、定かではない。


【了】


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人魚と内緒話 ~ 源平の戦い、水島合戦異聞 ~ 四谷軒 @gyro

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