03 水島の戦(いくさ)

 ――寿永二年うるう十月一日、水島にて源氏と平家と合戦をくわだつ。城の中より勝ち鼓をうってののしりかかるほどに、天にわかに曇て、日の光もみえず、闇の夜のごとくなりたれば、源氏の軍兵ども日食とは知らず、いとど東西を失いて、舟を退いていずちともなく風にしたがいてのがれゆく。平氏のつわものどもはかねて知りにければ、いよいよ時をつくりて、重ねて攻め戦う。


『源平盛衰記』より






 水島。

 源氏の陣。

 寿永二年うるう十月一日(一一八三年十一月十七日)。

 その日の早朝、源氏――木曽義仲軍の将、足利義清は、人魚と内緒話をしたというその地元の漁民を、直に尋問した。


「そなた、ではそなたは、海に出て漁をしている最中に、それを聞いたと」


「へえ」


 漁民は、頭は人、歯は魚、口は猿という奇怪な魚が海面に出て来たところを出くわし、するとその奇怪な魚――人魚が、まるで内緒話をするようにひそひそと、「ヒ」や「ゲイ」といった、言葉にならない言葉を話し、そして去っていったという。


「ヒにゲイか」


 何を言っているのかと思う。

 だが漁民に悪気はないらしく、「こんなことがあった」という驚きを聞いて欲しいだけのように思われる。

 義清の率いる源氏の兵たちに言って回るのをとがめ、こうして尋問したわけだが、特に平家への利敵行為とは思われないので、ほどほどにせよと言って、解放した。

 そこへ、弟の義長が「兄者、平家からふみが」と手に書状を携えてやって来た。


いくさか?」


「おそらく」


 義長が言うには、平家の船団は、いつの間にやら水島の南、大島の近海にいるという。

 書状を開く。

 すると、本日これから矢合わせしたい(開戦の作法)旨、記されていた。


「今からか」


 義清が部将の海野幸広に目配せすると、幸広は首を振った。


「五百余艘は集めた。だがそれだけだ。海を渡って屋島へ征くには、無理。してや、舟戦ふないくさなどと」


 だがこうして書状を受けてしまった以上、応じなければならない。

 そうしないと、武士の名折れである。

 また、自分たちは木曽義仲の軍の将。

 つまりは応じなければ、それは義仲が断った、義仲が怯懦きょうだ、ということになる。


「……それに、兵糧のこともある」


 誰ともなくつぶやいたそれは、皆の心に重くのしかかった。

 養和の飢饉は西日本から食を奪った。

 その影響が今も色濃く残っており、義清の率いる七千騎もの大軍となると、「現地調達」したところで、たかが知れていた。


「ここで戦って、勝てば平家の兵糧が奪える」


 食わせる。

 その、一軍の将としての最低限の、それでいて最大の務めが、今の義清らを突き動かしていた。



 水島に至った平知盛と平重衡は、源氏の足利義清にふみを送り、すぐにその千余艘もの舟をならべ、そして舟と舟とを繋げ、さらに繋げたの上に板を渡した。


「馬を用意せよ!」


 平家は何と、船団に馬を乗せていた。

 舟同士を繋げ、板まで渡した上に、馬を乗せるという異常な

 すでに海上、物見からそれを聞いた足利義清は「すわ、水島に――おかに上がって、そのまま義仲さまの本陣を攻めるつもりか」と考え、即座に接近戦を決意した。


平家奴ら源氏われらの舟が少数と侮っておる。すぐに打ち破っておかに上がるつもりよ。だが、その出鼻でばなくじく!」


 もともと舟と、何よりもそのぎ手が不足している源氏である。

 ならば、最初からその少ない漕ぎ手に全力で漕がせ、突進突撃し、敵船に乗り込んで、刀槍とうそうによる決戦に持ち込む。


「何しろ敵は自ら舟を繋げておる。それに、われら源氏の武者の刀にかなうものか」


 ここで義清の弟・義長などは火矢を使うべきではないかと提案したが、すでに海上である。

 今さら火矢を用意するいとまがなかった。


「進め! 進め!」


 源氏の船団が一心不乱に平家の船団に向かっていく。

 この時、水島から発した源氏は、北から南――南に位置する平家船団へと進んでいた。

 そしてこの時期、このあたりは西風が吹いており、自然と西――児島に向かって流されながらの、南進となる。

 それでも源氏の船団は必死に漕ぎ進み、形式的に平家の船団と矢合わせをしながらも、そのまま突進していった。

 この突進に、平家は何の反応も示さないでいた。



「近づいたぞ!」


 あと少しだ、と源氏の先鋒を務める海野幸広が、舟の舳先へさきに立った時だった。

 ひょう。

 風切り音がして、幸広の眉間に矢が突き立った。


「……何ッ」


 つづく義長が咄嗟に刀を抜いて、襲い来る矢を斬り、はじく。

 すでに、指呼しこかんにあるといってもいいこの距離。

 この距離なら、もう刀と刀でやるべきだろう。

 そう思っている源氏方の心の隙を衝いた、一斉の弓射だった。


「おのれ! こうなれば弓矢を食らうのはやむなし! このまま……攻めかかれえ!」


 さすがに豪将として知られた義仲軍の武将だけあって、足利義清、義長の兄弟は、思い切りよく、平家へ突っ込んでいった。



 初撃で出鼻を挫いた平家は、源氏の必死の攻勢を受けながらも、練達の舟運ふなはこびで、風に乗って、次第に次第に西へ――児島へと源氏の船団をいざなっていった。

 そして気づいた時には――朝から始まった戦闘が、正午に至っており、今や、太陽は真上から武士たちを照らしていた。


「頃は良し」


 重衡が天を仰ぐと、隣の知盛がうなずく。


「児島も、もう目の前だな」


 この時、平家は徐々に、風上に回って、西側から、源氏の船団を、児島とはさみ撃つかたちを作ろうとしていた。


を源氏に、気づかせるな」


「承知」


 重衡は平家の旗艦にあたる舟を進め、大音声だいおんじょうで呼ばわった。


「敵将、足利義清に告ぐ!」


 重衡は、舳先に片足を置き、空を指差した。


「天を見よ!」


「……は?」


 義清が上に視線を向けると、そこには、いつもと変わらない、いや、多少は暗くなっている程度の空があった。

 そして、いつもどおり雲が流れていて、それがもうすぐ日にかかるところだ。


「何も……変わらんではないか! くだらん真似をしおって! 者ども、あれを射……」


「汝も聞いたであろう、人魚の話を!」


「何ッ」


 この時点で義清は、漁民の伝えた人魚の話を、平家のと気づくべきであった。

 だが、重衡は京でも名うての話し上手。

 その話術に、すでに引き込まれていた。


「汝も聞いてはおろう、唐土もろこし羿げい! を射落とした英雄を!」


 羿げい

 中国神話において、十あった太陽のうち九つを射落とし、地上を守った男である。

 義清としては、それが何だと口走ったが、その時ふと、思い出した。


 ──ヒにゲイか。


に、羿ゲイ……」


 譫言うわごとのようにつぶやく義清に、重衡は容赦なく叫ぶ。


「今! 雲にかかった日を見てみろ!」


 耳も割れんばかりの大声でそこまで言われては、見ないわけにはいかぬ。

 義清は渋々、流れて来た雲に隠れた日を見た。

 そこに。


「これは……日輪が……に?」


 いわゆる金環食という現象が、この日この時に起こったとされている。

 それは、源平盛衰記に伝えられるように「闇の夜のごとく」とまではいかなくとも、多少の暗さと、このような雲を通して円環状となった太陽の姿を見せていたことだろう。

 平家は──というか知盛は、京にいた時分に、暦に興味を持ち、陰陽寮おんみょうりょうに出入りしていたことがある。

 つまり知盛は、今日この時に、このような現象が起こることを知っていた。

 知っていて、重衡が聞いたという「海中の声」に、その現象を使と判じた。

 知盛が重衡のうしろから源氏の舟に立つ義清を見ると、いかにも興味なさげといった感じで鼻から息を出していた。


「……ふん、いかにも面妖だ。が、それがどうしたというのだ?」


 義清はこの現象に多少の訝しさを感じたが、それ以上の関心を示さなかった。

 義清があきれ顔で弓射を命じようとした時、重衡は叫んだ。


「……汝らの将軍は、何という? 将軍だ!」


「何だと?」


 場にいる誰もが聞き入っていた。

 水主かこたちも、櫂を漕ぐのも忘れている。

 その、誰もが静止した時間の中で。

 まず、義清の弟、足利義長が、気がついた。

 かれらの将、木曽義仲が、将軍というかを。


「朝日……将軍!」


「そうだ! 今、天にある日輪は、朝日将軍とやらが――木曽義仲が、だという証なり!」


 迷信だ、こじつけだ。

 義長はそう叫ぼうとしたが、兵たちは、水主かこたちは、そういうことに予兆を感じる者が多い。

 その動揺は、源氏船団にあっという間に伝わり、それを好機と見た平家船団に、そのまま西へ――児島へと追い込まれてしまう。


「やむを得ん、おかに上がれ!」


 義清は将として殿しんがりを果たしたが、あえなく討たれてしまう。

 残った義長ら敗兵も、上陸に成功したものの、


「馬引けい!」


 平家船団が乗せていた馬――騎馬武者による突撃を食らい、さらに後方から、児島に待機していた平通盛の攻撃を受けて……全滅してしまった。


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