第9話 理性の壁

 



 そんなマネージャーの背中を見送っていると、えみりちゃんが後ろから話しかけてきた。



「……しのぶちゃん、店長のことえっちな目で見てる……」



 すねたような声で言うえみりちゃんの方を振り向くと、想像以上に距離が近くて驚いた。



「そ、そんなことないよ!そんなつもり全くないから!!」



 全否定する私にさらにギリギリまで顔を近づけて、目のそのまた奥を見つめてくる。



「……本当に?本当は私なんかより、マネージャーみたいな大人の女の人の方がタイプなんじゃないの?」


「……え?」



 1mmも思ってないことを疑われると、人間はあまりに驚いて逆に固まってしまうものなんだな……と、実体験して学んだ。

 そんな余計なことを考えたが、さらにえみりちゃんの不安を煽ってしまった。



「………そうなんだ……だからいくら呼んでもうちには来てくれないんだ……やっぱりそうだったんだ……」


「ち、違うよ!それは、さっき言ったでしょ……?」



 可愛い顔で激情したかと思ったら今度は思い込みが勝手に進み、その声はどんどんか細く弱くなっていく。



 こっちを向いていた体は誰もいなくなった正面を向いてしまい、掘りごたつだというのに完全に足を抜いて座敷の上に三角座りをする。さらに抱いた膝に顔をうずめ、えみりちゃんは一方的に会話を遮断した。

 


 そうなってしまっては何も出来ない。私はアルマジロみたいになったえみりちゃんをただ見ていた。


 

 小さな肩が小さく震えている。

 …………もしかして泣いてる?




 今泣かれたらまずい!と思い、肩を掴んで折りたたまれていた体を強引に開き、その顔を覗き込んだ。



「……えみりちゃん?」



 一度瞬きをしたらこぼれてしまいほうなほど、目にいっぱいの涙を溜めている……。



 ややこしいけど、可哀想だけど、バカみたいに可愛い!!!



「……あ、あのさ、えみりちゃん、……もしかして、ちょっと酔ってる……?」


「全っ然酔ってないし!!」



 いやいや、全っ然ってことは絶対的にないじゃん……。

 えみりちゃんはぷいっと顔を背け、当てつけのように私から距離を取った。



 しまった……酔っ払いに酔ってるかなんて一番聞いちゃいけない言葉だった……。

 だめだ、まともに会話出来ない……

 どうして突然こんなことに……



 そう言えばさっき千堂さんの話を聞きながら、えみりちゃんはつられるように、千堂さんと同じペースで景気よく飲んでいた。

 確かに歳の割にお酒は強い方だけど、千堂さんのハイペースについていってシラフでいられるわけがない。



 困ったなぁ……



 横目でえみりちゃんを見ると、いじけたようにまたビールに手を伸ばしている。てゆうか、どんだけずっとビールなの!?2杯目からみんな別のお酒を頼む中、えみりちゃんは今も一人ずっとビールだ。

 おぼつかない華奢な腕で、似つかわしくないゴツいジョッキをプルプルと持ち上げ、上を向くようにして残ったビールを飲み干していく……

 誰もいないことをいいことに、その姿に思う存分見とれた。本当のところ、どこまでいっても永遠にビール党なところも、結構萌えるポイントだったりする。



 それにしても酔い方がいつもと違う……。

 やっぱりえみりちゃんと言えど、色々プレッシャーがあったのかもしれない。私がボロを出すからその尻拭いでさらに負担をかけちゃったし……。

 そうだ、こうなったのは私のせいじゃないか……



 自分の不甲斐なさにテーブルの上の萎れたポテトフライを意味なく見つめていると、目の前にえみりちゃんの顔がずいっと現れた。



「ねぇ……しのぶちゃん?」


「な、なに…?」


「……キスして?」


「だっ!?何言ってるの!?えみりちゃん!!」


「……やっぱり私とじゃ嫌なの?マネージャーがいいの?」



 瞬きもせず、物欲しげな顔で私を見てくる。



「そうじゃなくて!ここ居酒屋だし!回りに人いっぱいいるし!いつ二人が戻ってくるか分からないし!」


「……なんかもう全部どうでもよくなっちゃった……」



 えーー??!そりゃないでしょ!!

 あんなに頑張ってきたのに!!



「今キスしてくれたら信じてあげる」


「で、でも……」


「ほら見て!今座敷の人達ちょうどみんな帰ったよ?今なら店員さんもいないし、大丈夫!」



 そう言われて周りを見渡す……



 確かに、なんておあつらえ向きなのかってくらい、私たちのいる座敷だけ人っこ一人いない……。

 私たちを見ているのは、片付けられてないグラスやお皿、乱れた座布団たちだけだ。



 心が揺れ始める……



「ね?」



 酔っ払いのえみりちゃんが自慢げに笑う。てゆうか、可愛すぎる……すぎるどころの話じゃない。普段から常に可愛いけど、酔うとまた新しい可愛さが出てくるんだ……。えみりちゃんの出してくる引き出しに、私の方が泥酔しそうになる。

 たった一文字の返事でいとも簡単に私の心はロックオンされ、悪い天使みたいな笑みがさらに私を追いつめた。



「でっ、でも、さっきしたばっかりだし……」



 私はそれでもなんとか最後の力をふり絞ってあらがった。



「……しのぶちゃんはあれで足りたんだ?私は全然足りてない。むしろあれのせいで、我慢出来なくなっちゃってる……。お願い……ちょっとだけでもダメ……?」




 ガラガラガラガラ……ドンガラガッシャン!!




 ついに私の中の理性の壁は音を立てて崩れた……






 やめてー!!





 やめてくださいっ!!!!






 言ったって、私だってかなり酔ってしまっているのだから!!





 そんなに可愛いくねだったりしないで!!





 今いる場所とか、バレちゃうとか、どうでもよくなってしまうじゃないですかっ!!?





「し、したい気持ちは山々なんだけど……ほんとに、いつマネージャーたちが帰ってくるか分からないし……ね?だから……」



 欲望と理性を戦わせすぎて頭痛までしてくる。



「そうだね、じゃあ早くしよ」



 えみりちゃんはそんな私のこめかみに向かって引き金を引きトドメを刺すと、そのままゆっくりと目を閉じた……




















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