第3話 付き合ってる人いるの? 




 そんなわけで私たち4人は、マネージャーと千堂さん曰く、うちの店の忘年会では御用達ごようたしらしい、一駅隣の大衆居酒屋へと向かった。



 入った瞬間に店員さんたちの「いらっしゃいませー!」が重なり合うように浴びせられる元気なその居酒屋は、休み明けの月曜日にも関わらず、テーブル席もお座敷もほとんど埋まっていた。



「……お客さん入ってますねー」


「……月曜日のこの時間に、すごい大盛況ね……」



 千堂さんの人ごとな感想に反して、マネージャーは仕事が終わっても仕事モード真っ盛りで、その客入りに悔しさを隠しきれていなかった。



 店員さんにテーブルか座敷かの希望を聞かれ、千堂さんが座敷は掘りごたつかと聞き返す。掘りごたつな上に、今ちょうど隅の席が空いたという朗報を聞き、みんなの了承を得てから「じゃあそこで!」と頼りがいのある口調で返事をした。



 二人だけのデートは奪われたけど、せめてもと私たちは隣同士の席を確保して座った。



 テーブルを挟んで、私の向かいにマネージャー、えみりちゃんの向かいに千堂さんが座る。



 まずはメニューを見る前に、全員そろって生ビールを頼んだ。それが運ばれて来る間に、マネージャーが二つしかないメニューを私たちと千堂さんに渡してくれた。



 えみりちゃんが受け取ったメニュー開き、私は少し寄り添ってそれを覗き込んだ。

 向かいでは同じように千堂さん手にするメニューにマネージャーが指差し、「これ美味しそう!」と話している。



「……しのぶちゃん……」



 メニューを選ぶフリをしながら、小さな声でえみりちゃんが話しかけてきた。



「なに?」




 私も向かいの2人に気づかれないボリュームで返す。




「……しのぶちゃん、ちょっと私にくっつすぎかも……」


「えっ?……」 



 改めて確認すると、私はテーブルのど真ん中にいて、えみりちゃんは左側の壁に追いやられている……。テーブルのほぼ右半分に二人が寄っているという、異常な状況だ。



 しかも、私の体の側面は、肩も足もえみりちゃんに今にも触れそうな……というより少し触れていた。



「……ちょっと友達の距離感超えてるかも……嬉しいんだけど……」


「……ご、ごめんね……」



 さっきのキスの余韻と、近づくと香るえみりちゃんの匂いについ引き寄せられてしまってたみたいだ。



 あからさまに突然離れるのもおかしいので、少しづつ微妙にえみりちゃんとの距離を空け、なんとか正位置に帰ってきたところで、



「今日は私がごちそうするから気にしないで好きなだけ飲んで食べてね!」



 と、マネージャーが話しかけてきた。



「えっ!でも私たちそんなつもりじゃ!」



 えみりちゃんが本心でそう言い、



「お給料ももらったばっかりだし、ちゃんとお金払いますから!」



 私も本心でそう返すと、



「こうゆう時は『ありがとうございます!』って素直にお礼言えばいいんだって!私たちが払うって言って『あ、そう?じゃあワリカンにしましょーか!』なんてマネージャーが言うわけないじゃん?」



 と千堂さんに言われた。その主張に大いに納得させられてしまった。



「ほんと気にしないでね?私なんてこんな若い子達の会に混ぜてもらっただけで嬉しいんだから!」



 と優しい笑顔でマネージャーが言ってくれて、私たちは二人揃って丁重に頭を下げた。その様子を見ながら、千堂さんは他人事ひとごとのようにマネージャーをはやし立てていた。



 そんなことを話しているうちに店員さんが両手にジョッキを持ってやって来て、テーブルの中央にドンッと置いた。すぐに引き返そうとするその人を千堂さんが呼び止め、めぼしいものをみんなに聞きながら、代表で手際よく注文をしてくれた。



 無事に注文が済むと、表面に張った霜で真っ白くなっているジョッキを一つづつ手にして、私たちは元気よく乾杯をした。



「お疲れ様!」

「お疲れさまでーす!」

「おつかれー」

「お疲れ様です!!」

 


 みんなが同時にジョッキを傾け、その間、数秒間の沈黙が生まれる。私は冷たいビールを体に流し込みながら、ついつい飲みっぷりのいいえみりちゃんに見とれてしまっていた。



 まるでシャンプーのCMから飛び出したような傷みを知らない艷やかなストレートの髪を左手で軽く押さえながら、あどけない顔で生ビールをごくこくと飲む……



 大きめの一口を飲み終わった後の表情は一転して、なぜか大人っぽくていやらしさすら見え隠れしている……



 もう本当にこの世のものと思えないくらい美しすぎるっ!!



「……諸星さん、青山さんのこと見すぎじゃない?」



 千堂さんに言われて、ハッと我に返った。



「えっ!?いやっ!なんかいい飲みっぷりだなぁーって思って!」


「……確かに、青山さんて見た目は全然お酒飲めなさそうなのに案外強いのね。一口の量で分かるものね、その人が飲める人か飲めない人かって……」



 マネージャーが上手いこと賛同してくれた。



「そうですか?私、そんなに飲めなそうに見えます……?」



 唇に微かな白い泡をつけたえみりちゃんが答える。



「見える!見える!ビールより絶対ホットココアのが似合うし!」



 千堂さんの言葉にえみりちゃんは少しムッとした。子どもっぽく扱われるのはお気に召さないらしい。



「私、こう見えて甘いもの全然ダメなんですけど」




 えみりちゃんは、私の前でこそ甘えるようなところも見せてくれるけど、仕事中や他人の前ではどちらかと言えばクールなお嬢様という感じ。



 決して無礼なわけじゃないけど、上司や先輩にも全く物怖じしない凛とした態度がいつも格好よくて、それはそれで萌えた。



「二人は同い年なのよね?」


「はい!学年は一緒です!あ、でも私は3月生まれで青山さんは4月生まれだから、実質丸一年くらい空いてますけど……」


「二人今いくつなんだっけ?」 



 千堂さんがすでに一杯目を飲み干しそうな勢いで尋ねる。まだ運ばれてきてものの2分なのに!?この人は群を抜いてお酒が強そう……と、大人のレベルの違いを感じた。



「私が21歳で、諸星さんが20歳です」


「若いなー!いいなぁー!」



 千堂さんが心底羨ましそうに言うので、


「千堂さんだってそんなに変わらないじゃないですか!」



 と、私は素直に言った。



「は?私、今年27だよ?諸星さんさ、ケンカ売ってんの?」



 ジョッキを持った腕の肘をテーブルに着き、そこを支柱にしてぐっと顔面の距離を詰めてくる千堂さんに、私はおののいた。



「滅相もございません!!同じ20代だと思っただけで!」


「冗談だよ!諸星さんて何でもすぐ信じるからウケるんだけど!」


「えっ!?今の冗談なんですか?!ほんとに怒っちゃったかと思ってビックリしましたよぉ……」


「ふふ、かわいい」



 えみりちゃんが隣から可愛く笑ってそんなこと言うもんだから、私の胸は人目もはばからずにズキュンと撃ち抜かれてしまった。



 それでも、穴の空いた心臓に手を当ててどうにかこらえ、ニヤけてしまう唇に力をこめてなんとか耐える。



「あなたたち、よく私の前で歳の話出来るわよね?」


「そう言えば!マネージャーっておいくつなんですか?」



 私がまたも悪気なくナチュラルに聞くと、マネージャーは度肝を抜かれたようなびっくりした顔で、パントマイマーのようにピタリと動きが止まった。



 あ……私ってば学習能力ゼロだ……

 さっきやってしまった失態をすぐ繰り返してしまった……



「諸星さんなかなかチャレンジャーだねぇ〜、この世代の人に歳聞くなんて地雷踏むようなもんだよ?」



 千堂さんが届いたばかりのイカの一夜干しをお箸でつまみながら、やってしまった私をいじった。



「あのっ!……すみませんでした!!」


「……別に全然構わないのよ?隠してるわけじゃないし。でと、私の歳聞いたところで何も面白くないから!」



 マネージャーは逆に私を気遣うようにそう言って、小さな苦笑いを浮かべた。



「マネージャーはね、私と干支が同じなの」


「ちょっ!ちょっと千堂ちゃん!何さらっとバラしてるのよ!?」


「え?隠してないんでしょ?それに歳は言ってないじゃないですか、干支言っただけで」


「それはもう言ってるようなもんでしょうよ……」


「えーっと、27歳の千堂さんと同じってことは……マネージャーは39歳ってことですか!?」


「諸星さん、勝手に上だって決めつけたら失礼でしょ?15歳の可能性だってあるんだから」


「あっ……そ、そうですよね……」


「千堂ちゃん、いい加減にしなさいよ?そうやって諸星さんをいじめるんじゃないの」


「ハハ!だって諸星さん、真面目すぎておもしろいんだもん!」


「もう、ほんとにたちが悪いんだから……。諸星さんの言う通り、私はついこないだ39になったとこよ」


「うわー!本当に驚異的な若さじゃない ですか!!」


「私も、絶対30代前半だって思ってました!」



 私とえみりちゃんはお世辞ではなく、本気で驚いた。



「あ、ありがと……でももう歳の話はよしましょ……」


「何をそんなに気にしてんですか?!歳を取ることの何が恥ずかしいんですか!マネージャーは素敵に歳を取っていってるんだから、もっと堂々としてたらいいんですよ!女にはその歳の良さがあるんだから!」


「……千堂ちゃん?ちょっと飲むペース早いんじゃない?もうすでにかなり酔い始めてるでしょ?」


「酔ってるか酔ってないかって言ったら酔ってるんでしょうけどね、ただ、何のために飲んでるのかを考えてみて下さいよ……。酔うために飲んでるんでしょうよ!」


「アハハ!千堂さんおもしろーい!」



 えみりちゃんのその反応は、初めて出会った時に私が言われたのとおんなじだった。



 私はなんだか面白くなくて、えみりちゃんの太ももを、テーブルの下、手を伸ばしてツンっと人指し指でつついた。



 えみりちゃんは全然意味が分かってないようで、私がただちょっかいを出してきたと思ってるのか、こっちを向いてニコッと微笑む。



 むぅーーー!!!

 全っ然通じてないけど可愛いすぎるっ!!!



「あ、私ちょっと御手洗い行ってきます!」


 

 静かに悶絶している間にえみりちゃんが席を立ち、二人の上司を前に私は突然一人になってしまった。えみりちゃん一人がいなくなったことでガラリと状況は変わり、まるで面接のようにいきなり緊張感が増す。



「でもさー、青山さんてほんっとに可愛いよね?さすが本物の芸能人って感じ!あれはどこ行っても男が放っとかないだろうなぁ〜」


「そ、そうですよね……」



 そんなの当たり前に分かってたことなのに、第三者に改めて言われて唐突に不安が募り始めた。



「そうだ、青山さんて彼氏いるの?」



 千堂さんが私に聞く。



「さ、さぁ……聞いたことないですけど……」



 もしお互いのことを誰かに聞かれても、何も話さないと事前に二人で打ち合わせをしていた。下手に話すと、後で食い違いが出る可能性があるからだ。



「仲良いいのに意外にそんなことも知らないんだ?年頃の女の子が二人でいつも何話してんのよ?」


「……うーんと、将来のこととか……ですかね?」


「将来?まじめか!」


「千堂ちゃんみたいに女子だからって恋の話ばっかりじゃないのよ、ねぇ?諸星さん」


「そ、そうですね……あんまり恋の話はしないかな……?」


「へー、そうなんだ。じゃー、諸星さんは付き合ってる人いないんだ?」


「えっ!!」



 「彼氏いないの?」と聞かれてたら、すぐに否定の体勢に入れたかもしれない。でも「付き合ってる人」と聞かれて、つい私の中の素直な気持ちが反応してしまった。



 その質問を否定することは、えみりちゃんを否定することになってしまう……。



「あー!固まった!なんだよ、ちゃっかりいるんじゃーん!」


「諸星さん、そうなの?」



 何も言ってないのにどんどん話が進んで、私の味方でいてくれたマネージャーまで興味津々になってしまった。



 その時、ちょうどえみりちゃんがトイレから帰ってきた。



「ねー!青山さん聞いて!聞いて!諸星さんね、彼氏いるらしいよ?」


「…………彼氏?」



 えみりちゃんは腰を降ろさずに、今まで見たことのないような冷たい視線で私を見た。



「いや!だから!」


「青山さんも聞いたことないの?」



 私の弁明をスルーして千堂さんがまた余計なことを言う。



「聞いたことないですね、彼氏なんて」



 冷静なはずのえみりちゃんが、あからさまに怪しいくらい嫉妬心をあらわにしている……。

 唇の端を噛みながらようやく私の後ろを通って席に座ったえみりちゃんは、私のことを全く見てくれない。



 どうしよう……



「で、彼氏ってどんな人?」


「だからそんなこと言ってないじゃないですか!!」



 えみりちゃんに嫌われてしまうかもという焦りから、私は失礼な勢いで千堂さんに訴えてしまった。

 だけど千堂さんは全く凝りていない。



「またまたぁ〜、さっきのはあきらかおかしかったもん!」


「だからそれは……彼氏とかじゃなくて、好きな人はいるから……それでちょっと……」


「そっか、彼氏ではないんだ?」


「彼氏なんかじゃありません!!」



 私は少し不自然なくらい声を張り上げてきっちりと否定した。その言い終わりに隣のえみりちゃんをちらっと見る。



 まるでココアの入ったマグカップのように両手でジョッキを持つと、残ったビールを見事に素早く空にする。そしてすぐさま近くを通った店員さんを呼び止めおかわりを頼んだ。



 まだ目は合わせてくれなかったけど、噛んでいた唇はいつのまにか文鳥のくちばしように可愛らしく突き出ていた。どうやら少し機嫌が直ったみたいで私はほっとした。






















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