第2話 予定外の飲み会




 本音を言えば、誰かれ構わずに



「青山さんは私の彼女です!」



 と宣言したいけど、現実的にはそんなこと出来るわけもなく、私たちの関係はもちろん誰にも秘密にしていた。



 女同士だから、一緒に帰ったりするくらいでは変な噂はたったりしない。だけど、ついつい送ってしまう熱い視線や、友達同士にしては不自然な距離感には十分意識して気をつけていないと、察しのいい人にはきっと感づかれてしまう。


 

 呼び方もそう。



 バイトのみんなから一目置かれているえみりちゃんのことは、誰もが「青山さん」と緊張混じりに呼んでいて、下の名前で呼ぼうとするツワモノなんていなかった。



 付き合うようになってから私たちはお互い下の名前で呼び合うようになっていたけど、私だけがいきなりみんなの前で「えみりちゃん」なんて呼びだしたら、一気に注目を浴びてしまう。

 だから、仕事中は今まで通りお互い名字で呼び続けようと約束した。







 ある日のバイト上がり、その日は前々から終わった後にデートの約束をしていた。



 お店の閉店後、3人が定員の狭い更衣室でえみりちゃんと二人で着替えていていると、そこへ社員さんの一人、千堂せんどうさんが入ってきた。



「あっ、千堂さん!お疲れ様です!」

「お疲れさまですー!」



 私の挨拶にえみりちゃんも可愛いらしい声で続く。



「おつかれー!今日はほんと疲れたわ……」

「千堂さん、大変でしたね……?」



 精魂尽き果てた様子の千堂さんに、えみりちゃんが同情するように言った。



 今日の営業は比較的穏やかで、なんならまれに見るだいぶ楽な日だったけど、そんな中、フロアマネージャーに呼ばれた千堂さんは一人、いくつかある個室の窓拭きを全て一人でやらされていた。

 


「最近窓拭きすぎてレストランスタッフってこと忘れるんだけど……。僧帽筋そうぼうきんがすごい発達しちゃってるしさぁ……」


「ああゆうのって背の高い男子の方が向いてそうなのに、なんでマネージャーはいつも千堂さんに頼むんですか?」



 私は日頃から不思議に思っていたことを口にした。



「でも、マネージャーが千堂さんに頼む気持ちも分かるかも!」



 意気揚々に豪語している可愛い彼女の横顔を、私は狭い空間に紛れて至近距離で見る。



「なんか違うんですよね!千堂さんが拭いた窓って輝きが全然!まさに窓職人って感じです!」


「……それはマネージャーがずっと指示してくるからだと思うけどなぁー。『そこの左、拭き残しある!』とか『そこ!指紋残ってる!!』とか、ずっとつきっきりで監督されてるから……。あーあ、お腹すいたぁー」


「ほんと、お疲れ様でした!私なんか全然楽しちゃってたのにすごいお腹すいちゃってるから、千堂さんは相当ペコペコですよね?」



 私がそう言うと、



「なら賄い食べてこうよ!今日のカレーおいしい、おいしいってみんな大絶賛だったみたいだよ?」



 千堂さんが着替えながらすすめてきて、私は返答に困ってしまった。すると、えみりちゃんがすかさず助けてくれた。



「ごめんなさい、千堂さん!実は私たち、この後2人でごはん食べに行く約束してるんです!」


「へー、飲みに行くんだ?」


「はい!」



 私は嬉しさを隠しきれず元気に大きな声で返事した。すると、



「ねー!ねー!それ私も行っていい?」



 と、千堂さんがキッラキラに輝く瞳でノッてきてしまった……。



 千堂さんはいつも明るくてノリがよくて、人見知りの私でも親戚のお姉さんみたいに親しみやすい好きな上司だったけど、えみりちゃんとのデートを邪魔されるのは、さすがにちょっと待った!!という気持ちになった。



 でも、上司にそう言われて実際断れるわけがない……。



 チラッとえみりちゃんを見ると、えみりちゃんも逃れられないと悟ったような顔をしていた。



 残念だけど、こうなったらもう仕方ない……



「もちろん!多い方が楽しいですから!」



 私は開き直って言った。

 しかし、その余計な一言が更なる悲劇を生む……



「あ、そう?じゃあさ、マネージャーも呼ぼうよ!あの人もお酒好きだし!」


「えっ!?」



 思わず大きな声を出してしまった。



「あ……やだった?」


「ま、まさかそんなわけ…!」


「いいですね!マネージャーも来てもらえるなら是非!」



 えみりちゃんが動揺しまくる私をまたフォローをしてくれた。



「やった!じゃあ、私ちょっと誘ってくるね!着替えたらさ、エントランスで待っててよ!」


「はーい!」

「……はい」



 千堂さんは後から入ってきたのに一番早く着替え終わり、競走馬のように更衣室の扉を開けて出ていった。



「ごめんね、私のせいだね……ごはん行くなんて話したから……」



 えみりちゃんが謝る。



「そんな!私のせいだよ!えみりちゃんは助けてくれただけだもん……」


「……今日は残念だけど、また近いうちに二人だけで行こうね」


「………うん、そうだね……」



 そうは言ったものの、ずっと楽しみにしていた二人のデートがいきなりなしになり、私はすぐに切り替えられずにいた。



「しのぶちゃん、そんなに残念なの……?」 


「………だって、ずっと楽しみにしてたから……」



 ふてくされた子どものようにうつ向いたまま私がそう呟くと、えみりちゃんは突然私の両肩をロッカーに押しつけてキスをしてきた。




 少しだけ背の高いえみりちゃんにそんなふうにされる時、非力な私は簡単に思うがままになる。こんな美しいこの人にどこからこんな力が?と、不思議に思うほど、自分との差を感じる。だけど少しも怖くはない。許可なんてとらないキスをしてくるえみりちゃんも私は好きだった。



「可愛い……」

 


 同い年の私を年下の女の子のように扱って頭を撫でる。肩に置いていた両手を今度は頬へと移動して顔の向きさえ変えられないようにすると、もう一度、さっきよりもっと長いキスをする。



 更衣室の扉一枚隔てて、全く別人のえみりちゃんがここにいる。私の前でだけしか見せない姿が嬉しくて愛しくて、えみりちゃんの二の腕あたりのシャツをぎゅっと掴んだ。

 鉄製のロッカーが背中に冷たいけど、体は中で火でもかれたように熱くなっていく。



 付き合ってから、もう何度目のキスか分からなくなったくらいキスされたけど、何度されてもその度に頭がクラクラして胸は心臓を握られたみたいに苦しくなる……。

 唇が離れた後もその後遺症に侵されたまま、えみりちゃんの綺麗な瞳からは目が離せないでいた。



「そんなに残念なら今日飲み会の後、うち泊まりに来る……?」



 その顔はなぜか少しだけ悪い顔に見えた。



「えっ?!……でも…それはちょっと……」



 一瞬で我に返ってえみりちゃんから顔を背けてしまった。



「そっか、やっぱりだめかぁ……」



 それを見て、分かっていたようにこぼす。



「……あの……だめってわけじゃないんだけど……その……」



 私がにごらせているとえみりちゃんは少しだけ寂しい顔をした後、それを隠すように笑った。



「無理強いしちゃいけないよね!」


「…………」


「さー!とにかく今は急ごっか?更衣室に長居しすぎて変に怪しまれちゃったら大変だもんね!行こ!しのぶちゃん!」


「………うん」


「あっちょっと待って!しのぶちゃん、お店着いたらくれぐれも気をつけてね?私たちの関係がバレないように!お酒入るからお互い無防備になりがちだろうし、ほんと気を張って気をつけないと……」


「…あっ、うん……そうだよね!……気をつけなきゃ……」



 まだキスの余韻でぼうっとしている私の髪を愛おしそうに撫でてから、えみりちゃんは更衣室の扉を開けた。











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