第12話 神さま、ありがとう



 えみりちゃんに合わせ、私たちはかなりのスローペースで駅までの途中にある小さな公園のベンチまで歩いた。



 千堂さんが自販機でお茶を買って来てくれて、ベンチに座らせたえみりちゃんにそれを飲ませた。



「大丈夫?気持ち悪い?吐きそう?」



 私は、えみりちゃんがお茶を欲した時にすぐ渡せるよう、目の前にしゃがみこんでセコンドのように見守った。


 

「……大丈夫……。吐き気とかはないから……」



 お茶を沢山飲み、心地よい夜風のおかげもあってか、しばらくするとえみりちゃんは問題なく受け答えが出来るまでに復活した。



「気持ち悪くないならよかった!頭痛は?」


「うん……大丈夫……ただふわ〜としてるだけ……」


「あんだけ飲んでそれで済んでるんだから、青山さん、なんだかんだ言ってもやっぱり酒強いんじゃん!大したもんだわ!」



 うなだれたえみりちゃんに、腕を組みながら千堂さんが言った。



「……調子に乗っちゃって迷惑かけてすみません……」


「でも、若い時のこうゆう失敗も大事だよ?案外。なんとなく自分の限界を知れるからさ。とりあえず、年間363日飲む日々をあと7年過ごしたらまた私と張り合いなよ」


「千堂ちゃん、お酒でダウンしてる子にお酒の話するのやめなさいよ」


「たしかに!拷問ですよねー!」



 千堂さんは高らかに笑った。



「皆さん、私のせいで無駄な時間過ごさせちゃってすみません……。私、今日はタクシーで帰ります……。うち、ここから二駅だし……」


「そっか!青山さん、事務所の寮なんだっけ?いいなー、めっちゃくちや都心じゃん!」


「それならより安心ね!」


「そうだ、諸星さん、家の前まで一緒に乗って送ってあげなよ。私、タクシー代出してあげるからさ」


「えっ!!送るのはいいんですけど、タクシー代はいいですよ!」

「そうですよ!私の自己責任なのに、千堂さんが出すことじゃないですから!」


「いいの!いいの!マネージャーが飲み代奢ってくれて私今日一銭も使ってないから!」


「いや、でも……」

「そうゆう問題じゃ……」



 私とえみりちゃんが困っていると、マネージャーが見兼ねて口を開いた。



「2人とも、今回は千堂ちゃんに甘えたら?こう見えても責任感じてるのよ、自分のせいで青山さんが具合悪くしちゃったって……」


「あ、バレました?そうゆうことだからこれでチャラにしてよ」



 そう言って千堂さんは財布から一万円を出して、私のバッグの中へと放り込んだ。





 ***





 えみりちゃんは支えが無くてもなんとかよたよたと歩けるようになり、私たちは駅前のタクシー乗り場に向かって、再び夜の街を歩き出した。




 タクシー乗り場に着くと、すぐに私たちの横に黒いタクシーが止まった。



「千堂さん!タクシー代、本当にありがとうございます!」


 

 乗り込む前に、私は千堂さんからもらった一万円を高く掲げて改めて頭を下げお礼を言った。



「本当にすみません……。次の出勤の時にお釣り返します!」



 えみりちゃんはまだ体幹がぐらついていたけど、それでも出来た妻のように、私よりもさらに深々とお辞儀をしていた。



「いいって!そんな野暮なこと!余ったら朝ごはん代にでもして!」



 千堂さんの神のような言葉にまた丁重にお礼を伝えていると、後部座席の扉を開けたままで待っていた年配の女性の運転手さんが痺れを切らした。



「乗らないんですかぁ〜?」

「すみません!乗ります!」



 マネージャーが代わりに謝ってくれて、私たちは急いでタクシーに乗り込んだ。



「マネージャー、今日は本当にご馳走さまでした!!千堂さん、ありがとうございました!楽しかったです!」



 窓を開けてもう一度お礼を言う。



「……今日は本当にご迷惑をおかけしました!……ご馳走さまでした!」



 まだ少し辛そうにしながら、えみりちゃんも最後のお礼を必死に伝えていた。



「うん!懲りずにまたやろうね!」

「二人ともくれぐれも気を付けて帰ってね!」



 千堂さんは楽しさの余韻が覚めない様子で、マネージャーは心底心配そうに、二人とも笑って手を振り見送ってくれた。







「どちらまで行きます?」


「二駅先のマンションなんですけど、とりあえずこの大通りをずっと真っ直ぐ行ってもらえますか……?」


「はーい」



 えみりちゃんが少し息苦しそうにそう伝えると、タクシーはゆっくりと動き出した。



「あ、あの!先に一人降りて、その後別の場所でもう一人降りますので!」


「はーい」



 私が追加情報を運転手さんに伝えると、えみりちゃんは私の左肩にぽすっと寄りかかった。



 マネージャーと千堂さんの手前、今もやっぱり多少気を張って、無理してたのかな……?



 体重を預けるような重みが嬉しくてつい顔がほころびそうになったけど、無事に送るという使命感に、平然を装って姿勢よくタクシーに揺られた。



 そのまま首だけ少し振り返って、窓ガラス越しに外を見る。

 視線の先には、まだそのままの場所で見届けてくれている千堂さんとマネージャーがいた。



「……しのぶちゃん……」



 えみりちゃんが苦しそうに私を呼んだ。もしかしてまた具合が悪くなった!?!



 心配して横を向いたその時……



 えみりちゃんは奪うように突然キスをしてきた。



「えっ、えみりちゃん!?だめだよっ!こんなとこで!」



 前からと後ろからの視線を気にしながら、私は精一杯の小声でえみりちゃんを叱った。

 すると、えみりちゃんは目に見えてつまらなそうにふてくされてしまった。



「だってずっと我慢してたんだもん……なのに、そんな言い方しなくても……」


「ご、ごめんね……?嬉しかったんだけど……さすがにここじゃ……」



 いくら小声と言っても、狭いタクシーの中だ。私たちの会話は運転手のおばさんの耳に確実に届いてる……



 その証拠に、運転手のおばさんはバックミラーを駆使して、興味津々に私たちの様子を伺ってる。

 しかも、鏡越しにふと目が合った瞬間、何も見てませんよ〜という素知らぬ顔をして、パッと目をそらした。



 えみりちゃんは私に背を向け、窓から流れる景色を興味なさげに見ていた。その落とした肩からは、目で見えるくらいに寂しさがまとわりついている。




 あーー!!もうやけくそだ!!




 信号で車が止まった時、ブレーキの揺れにまぎれて、私はえみりちゃんの体を自分に向かせ、素早くキスをした。ほとんどキスというよりぶつかったくらいようなもんだったけど、暗い狭い空間の中で、私の思いがけない行動にえみりちゃんは嬉しそうに微笑んだ。



 

 だめだ……やっぱり可愛い……

 超絶可愛すぎて飛ぶ……




 すると、えみりちゃんはその犯罪レベルの可愛さのまま、目だけで私に訴えてきた。



 そんなハプニングみたいなのじゃなくて、ちゃんとして……と言っているのが手に取るように分かった。

 さっきまで叱っていた立場を棚にあげまくり、そして、運転手のおばさんが知らんぷりしてくれることをいいことに、わがままで憎くて愛おしいその唇に、私はもう一度触れた……









【一方】




「あーあ!タクシーが走り去ってっちゃうよっ!!今日で2人の真実が知れると思ってたのにー!!」


「まだ言ってるの?タクシー代渡して反省してるのかと思ってたのに、往生際悪いわよ?いつまで見てるつもり?」


「あっ!!あーーっ!!ちょっ!ちょっとほら!見て!マネージャー!!」


「もぉ、まだ何か……え?えーーっ!?」


「ねっ!!見ましたよね?見たでしよ!?あれ絶対キスしたでしょ!!」


「……そ、そうね……あれは……したわね……」


「わー!!やったぁー!!大逆転勝利だぁー!!」


「……何に対しての勝利なのよ?ていうか、あの子たち、なんでもっと我慢しないのよ!人前であんなことしたら危ないでしょっ!!」


「まだ子どもなんだから、我慢なんかムリですよ!二人になった途端チューすることしか考えてない年頃なんだから」


「なにその年頃……ほんと心配……」


「いやぁー、今夜はいい酒が飲めるわぁー」


「……まだ飲む気?」


「当たり前でしょ!祝い酒ですよ!」


「…………」





 ***




「……ねぇ、えみりちゃん?い、今の……千堂さんたちに見られてないよね……?もうだいぶ離れてたし、大丈夫だよね!?」


「ふふ、どうだろうねー」


「ふふって……なんでそんなに余裕なの!?……とにかく、だいぶ元気になってくれたのはよかったけど……」



 あんなにバレることを警戒していたはずのに、いつからかもうえみりちゃんは本当にどうでもよくなっているようだった。



「すみません、……そこの信号を左にお願いします。曲がってしばらく行ったところの建物なので……」


「はーい!」



 

 えみりちゃんがそう話しかけると、運転手のおばさんは快い返事をした。 

 心なしか、さっきより少しだけご機嫌になっている気がする……。





 ……もうすぐえみりちゃんのマンションに着く。



 明日の朝、完全にお酒が抜けて正気に戻ったら、改めて色々と思い出して恐ろしくなりそうな気がするけど、とりあえず今日はいったん忘れてぐっくり寝よう……。



 そんなことを考えながら、信号が変わり、大きな遠心力で車が左に曲がった時だった。



「……うぅっ……しのぶちゃん……今さらだけど、やっぱり気持ち悪くなってきちゃったかも……」


「えっ、えーーっ!!大丈夫!?」


「……は、吐きそう……」



 えみりちゃんは覚束おぼつかない手つきで探るようにバックからハンカチを取り出し、それで口を塞いだ。



「ちょっと、お客さん!!お願いだから車の中では吐かないでよ!?」



 運転手のおばさんが慌てふためく。



「こっ、これ!!」



 おばさんは前を向いたまま、いわゆるエチケット袋らしいものをノールックのバックハンドで後部座席に投げ入れてきた。



「あっ、ありがとうございます!!」



 私はとりあえずそれを開いて、もしものために万全にスタンバった。



「……だめ……我慢出来ない……もう降りたい……」



 えみりちゃんの限界を感じ、私は運転手のおばさんに叫んだ。



「すいません!!もうここで降りますっ!!」



 車が止まると、まず一目散にえみりちゃんを外に出し、それから急いで戻って料金を払った。



 おばさんはなんとか難を逃れてほっとした様子で、最後には「お大事にね」と気遣う言葉を残し、走り去っていった。



 人通りのない静かな路上で、えみりちゃんはかすかなうなり声を出しながら、うずくまっていた。

 私は駆け寄ってそっとその背中をさすった。



「大丈夫!?えみりちゃん!!」


「……うん……。今、少しだけ落ち着いてるから今のうちに部屋に入りたい……」



 今日一で具合が悪そうなえみりちゃんの肩を抱きながら、数百mの距離をなんとか歩き、マンションのエントランまで来た。



 えみりちゃんがふらふらしながらも手慣れた様子でオートロックを解除し、ちょうどよく一階に止まってくれていたエレベーターに乗る。

 まだ新築なのか、特有の新しい匂いにえみりちゃんはまた気持ち悪さがぶり返していた。



「お家、確か8階って言ってたよね?」 


「うん……」



 私は代わりにボタンを押し、扉が開くとたどたどしい指示に従いながら、えみりちゃんを部屋の前まで連れて行き、渡された鍵で扉を開けた。



 中へと入り、えみりちゃんを支えながらきちんと内鍵をかけ、二人で靴を脱ぐ。



「お、お邪魔します……」



 具合の悪いえみりちゃんを前にそんなこと言ってる場合じゃないんだけど、中へ入ると空間中が大好きなえみりちゃんの香りに包まれていて、私こそ意識が朦朧としそうだった。



「あ!!吐きそうなんだもんね?!トイレ行く?」


「……と、とりあえず……横になりたい……」


「……わ、分かった!」



 入ってすぐの廊下の先にあるのは多分リビングだ、キョロキョロと見回すと左にも右にも扉がある。



「えーっと……」


「……こ……ここ……」



 えみりちゃんが力なく指を指した左側の扉を開けると、そこは大きなベッドだけが置かれた真っ暗な部屋だった。



 さすが芸能事務所の借りてるマンション……うちと全然違う……。

 若い娘一人が住む部屋に、こんなにしっかりした寝室があるなんて……



 えみりちゃんを支えながらベッドまで行くと、自動的に奥の間接照明にやわらかいオレンジの灯りが灯った。



「わっ!すごい!自動なんだ!」



 私がそれに驚いている間に、えみりちゃんは私の腕からするりと抜けて仰向けにベッドに倒れ込んだ。

 


「えみりちゃん……?」



 寝ちゃったのか、苦しいのか、目をつぶったまま動かない……。



「……ど、どうしよう……」



 このままにして帰るのも心配だけど、このまま勝手に居座るのも……



 ベッドの足元で私は口元に手を当てて、しばらくの間どうしたものかとあたふたしていた。すると、




「…………しのぶちゃん……」




 やっと声になったような声でえみりちゃんが私を呼んだ。

 よかった!意識はあるみたいだ!



 私はベッドの脇まで行って、横からえみりちゃんに話しかけた。



「大丈夫?お水とか飲む?」


「…………こっち……て……」



 


 こっち来て……?って言ったのかな……

  



 綺麗に整えられたベッドにためらいながらも片膝だけ乗らせてもらい、えみりちゃんの体を挟むように両手を着いて、さらによく様子を伺った。 



「……えみりちゃん……?」



 真上から見るえみりちゃんはリアル白雪姫みたいで、この世のものとは思えない美しさだった……。

 不謹慎にもその顔を見つめていると、私の心臓は爆発しそうにドックドックと、どんどんどんどん大きく高鳴っていった。



 その時だった……。



 目をつぶったまま、えみりちゃんは私の体に腕を回してそのまま自分に引き寄せた。

 その衝撃で支えを無くした私はえみりちゃんに思いっきり覆い被さってしまった。



「わっ!!ごっ、ごめん!!」



 自分のせいじゃないのに思わず謝る。慌てて離れようとするけど、えみりちゃんの腕がロックしてきて動けない。



「……やだ……行かないで……しばらくこのままでいて……」



 

 耳に唇がかするくらいの距離でそんなことを言われ、高揚しすぎてもはや鼓膜が破れそうになる……



 だめだ……このままじゃ本当に死んじゃう…… 

 だって!だって!

 胸が思いっきり当たっちゃってるし!!




「あ、あの……えみりちゃん……?具合悪いんだから、ゆっくり休んだ方が……」



 えみりちゃんは具合が悪いんだ……

 正しい行動を取らなきゃ……と、私は必死に自分を奮い立たせた。

 


「…………ふふ」


「…………ん?」



 私の体に顔を埋めたえみりちゃんから笑い声が聞こえた。



「……え?どうしたの?!大丈夫?!」


「……しのぶちゃん、まだ気づかないの……?」


「えっ!?なっ、なに!?どうゆうこと!?」


「私、全然平気だよ?具合なんて悪くないよ?」


「えーーっ!?全部演技だったの?!!」


「全部じゃないけどね!お店出た時は本当に具合悪かった……。でもタクシー乗るまでにはもうだいぶ平気だった」


「そ、そうだよね……タクシーの中、大丈夫そうだったもんね……?」


「最後の最後で演技しちゃった!もしかして今チャンスかなー?って、タクシーの中でふと思いついちゃって。……だって、こうでもしないとしのぶちゃん、うちに泊まりに来てくれないんだもん……」


「……そのために……?」


「そうだよ?」




 えみりちゃんは悪びれもなく嬉しそうに笑った。

 頭が吹っ飛びそうになる……




「……ねぇ、しのぶちゃん……今日は朝まで一緒にいよう?……嫌なわけじゃないってさっき言ってくれたよね……?」


「……それは言ったけど……」


「……いつも私の裸妄想してたんでしょ……?今日は本物の私の体、見せてあげるから……ね?」


 





 ……あぁ神さま、朝が来るまでにきっと私の命は終わります……



 こんな可愛い子を前にして、私の頼りない心臓はとてもじゃないけど持ちません……



 だけど悔いはありません……



 このまま死ねるなら本望です……



 短い人生の中で、えみりちゃんと出会わせてくれて、本当にありがとうございました……



 


 えみりちゃんがとろんとした目で私を見ながらシャツのボタンを上からひとつづつ外していく間、私は本気でそんなことを考えていた……








































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