第5話 好きだから聞きたいこと



「えみりちゃん、このくらいほんとに全然平気だよ?だってこれ水でしょ?夏だし!」



 トイレに入ったところで私が改めてそう言うと、



「しのぶちゃん!だめだよ!店長たちの前で私のこと見すぎだって!!」



 えみりちゃんがバッグからハンカチを取り出し、丁寧に私の服を拭いてくれながら言った。



「へ…?」


「水はわざとかけたの……ごめんね!でも、あのままじゃ完全に怪しまれちゃうと思って!しのぶちゃん、私から視線外す気配全然ないんだもん……」


「うそ!……水こぼしたのってわざとだったの?!えみりちゃんすごいねっ!!さすが俳優さん!!私、全然気づかなかったよ!!」



 生の演技力を肌で感じて、私はちょっとした興奮状態になった。



「……ありがと。嬉しいけど感心してる場合じゃないよ……。そう思ってくれてるのはしのぶちゃんだけ!かなり無理矢理だったし、千堂さんなんて感がいいからおかしいって察したかもしれない……」 


「えっ!?そうなの?」


「とにかく!今までのことはもう仕方ないから、これから気をつけよ!……私もしのぶちゃんのこと言えないし……」



 私に注意していたえみりちゃんは突然しおらしく反省するような顔をした。



「さっきはごめんね……?心が乱れてるの思いっきり態度に出しちゃって……。でも、私はしのぶちゃんの彼氏じゃなくて彼女なんだもん!」



 謝ってくれた割にはまだ納得がいってなさそうにほっぺを膨らませ、私を可愛くキッと睨む。



「あっ、ごめんね!でもあれは私が言ったんじゃなくて!」


「分かってる。分かってたんだけど……しのぶちゃんのことになると私、自分失っちゃうとこあるから……」



 そんなこと言ってくれてすごく嬉しいのと同時に、さっき心の中に生まれてからどうしても消えない不安が色濃くなってきた。



「……あの、えみりちゃん……?」


「どうしたの?」



 一変した私の雰囲気にえみりちゃんはすぐに気づいたようだった。肩のあたりにそっと手を添え、心配そうに首をかしげながら続く言葉を大切に聞こうとしてくれている。



「……どうしてえみりちゃんは私なの?」


「突然どうしたの?」


「……さっき千堂さんが言ってたの。えみりちゃんはどこ行っても周りがほっとかないって。そんなの言われなくてもいつも分かってることだけど、なんか急に不安になっちゃって……いつもえみりちゃんの周りにいる人たちは、みんな私なんかよりずっと綺麗で可愛い子たちばっかりなはずなのに……私なんか足元どころか、足の爪の先にも及ばないのに、どうしてえみりちゃんは私なんかといるんだろう……って。ていうか、本当に私なのかな?とか……。たまに言い寄られたりしてるみたいだし、だったらなおさら他の人に目移りとかしないのかな……とか思って……」



 付き合ってから、ここまで自分の気持ちを話したのは初めてだと思う。言ってしまってから、こんなこと言ってよかったのかな……?と急激に不安に襲われた。何も言ってくれないえみりちゃんの返事を待つ一秒一秒が何倍にも長く感じる。



「……しのぶちゃんは、私があんなにいつも好きって言ってるのに、私の気持ち信じられないの?」



 一番の原因は、もともと自分に自信がなさすぎるせいだと思う……。



 えみりちゃんを見るたび、本当に可愛すぎて、本当に綺麗すぎて、その魅力に毎回一瞬で酔った後、必ずやってくる自己嫌悪……。



 私なんかが絶対に釣り合うわけがない……。私が隣にいていいはずがない……。えみりちゃんの側にいれるのが嬉しくて普段は気づかないフリで閉じ込めているけど、心の中はいつも不安の煙で真っ白だった。



 それに加え、さっきはあんな見事な演技を真近で見せつけられて、しかもすっかり騙されてしまった。そのことも不安の後押しになっちゃってるのかもしれない。



 私の目に映るえみりちゃんは私のことを大好きでいてくれる女の子だけど、それも私がただそう見えているだけなのかもしれないと疑念が湧いてくる。



 たらたらと愚痴のようにこぼしたくせに、その後からもまだしつこく溢れてくるさらに屈折した想いは言葉に出来ず、すねた子どもみたいに私はただうつ向いて黙るだけだった。



 目の前にいるえみりちゃんは今、こんな私のことを面倒なヤツだと思って見下ろしているかもしれない……。そう思うと、なんだかやるせなくてだんだん泣きそうになってきた。

 


「いないよ!しのぶちゃんより可愛い子なんか絶対にいない!!」



 突然の大きな声にびっくりして、思わず顔を上げた。思ったよりも至近距離にいたえみりちゃんは、今まで見たことがないくらい真剣な目をしていた。



「……しのぶちゃんはね、私の腕の中でも収まっちゃうくらい細くて小っちゃくて、この深い黒の瞳も、長いまつ毛も、薄紅色の唇も、きめ細かい肌も、すべてが現実の人間とは思えないくらい綺麗なの!!……今時珍しい染めたことのない髪は信じられないくらい艶々つやつやで、いつまででも触ってたくなっちゃうし、子どもみたいにあどけない女の子らしい声も、たどたどしい話し方も、小動物みたいな挙動不審な仕草も、ぜんっぶぜんっぶ可愛いいんだから!!」



 身に余りすぎるセリフに恐れ多さで打ちのめされそうになった。だけど、えみりちゃんのその言葉に偽りがないことは、私のまたその奥を、今もまだ真っ直ぐに見つめてくるこの瞳が教えてくれている。



「……純粋でなんでもすぐ信じちゃったり、優しいから相手の反応に異様に敏感になっちゃったり……そうゆう、心が綺麗なところも好きだよ……。私のこと、いまだに自分から好きってあんまり言ってくれなくて寂しいところは正直あるけど、でも、そんなところだってすごく可愛いと思ってる……。そんなしのぶちゃんの笑顔を見るとね、私、本当に愛しさで壊れそうになっちゃうの……」



 安心出来るようなことを少しでも言ってもらえたらそれで……と内心期待はしていたけど、想像をはるかに超える言葉の波に襲われ、いよいよ恥ずかしさがMAXになり、視線をそらせないまま何も言えなくなってしまった。



 するとそんな私を見て、えみりちゃんはどこかの国のお姫様のようなお上品な仕草で、手で口元を隠しながら笑った。



「しのぶちゃん、耳真っ赤だよ?照れちゃったの?」



 そう言われて、とっさに両手を両耳に当てた。びっくりするほど耳が熱い……



「……ほんとだ……熱い……」



 えみりちゃんはうっとりとした表情で髪を撫でてから、少し強いくらいの力で私のことをぎゅうっと抱きしめてくれた。



「こんな可愛い子、どこにもいないよ……絶対に誰にも渡したくない……」



 耳元にえみりちゃんの声と息が届いてゾクっとした。



「……初めて会った日、私が『面接に来た人ですか?』って聞いたら、しのぶちゃん焦っちゃって『違います!』って言ったでしょ?……あの時、もし本当に面接じゃなかったとしても、きっと私、どうにかしてしのぶちゃんに声かけてた。あの瞬間を逃したらもう会えないかもしれないって思ったら、絶対そうしてたと思う。私、あの一瞬で恋に落ちちゃったの……。あんなこと初めてだった……。もちろん見た目だけじゃないよ?こんなに好きになれる人に出会えたのは運命だって毎日思ってる……。私はしのぶちゃんだけが好きなの。しのぶちゃん以外、誰も好きになんてならないよ」



 そこまで言ってもらったのに、むしろそこまで言われたからか、私は唐突にもっと欲しがりになってしまった。こんなこと普段の私ならあり得ない……。慣れない人たちと飲んでたから、いつもよりペースが上がって酔いが回ってるのかもしれない……。



 それでもその衝動を抑えられずに、私は抱きしめられた空間の中からえみりちゃんの顔を見上げた。



「えみりちゃん……」



 えみりちゃんは私が名前を呼んだだけで、何がしたいのか分かった顔をした。



「あっ、ダメ!!」



 急に焦って上半身を反らし、私から距離をとる。その行動に一瞬で思いっきり傷ついた。



「どうして……?」


「だって、今そんなことしたら、普通でいれなくなっちゃうから!!……だから、今は我慢して、今度二人の時にしよ……?」


「…………分かった!」



 えみりちゃんが言ってくれたことに、なぁ〜んだ、よかったぁ〜……と素直に納得して、私はトイレから出ようとした。すると、手首を掴まれてえみりちゃんに引き止められた。



「ちょっと待って!…私からも一つ聞きたいことがあるんたけど……」


 

 振り返ると、えみりちゃんはさっきとはまた様子の違う真剣な顔をしていた。



「……なに?」



 『聞きたいこと』がなんなのか全く予想がつかず、怯えながら初めの一言を待つ……



「……しのぶちゃんて、キスは出来てもやっぱりエッチは抵抗あるの……?」 



 えみりちゃんから出てきた言葉に私は思わず絶句した。



「しのぶちゃん、お願いしたら好きとは言ってくれるし、キスもしてくれるけど、私が部屋に誘うとそれだけはいつも必ず避けるでしょ……?……初めは恥ずかしいだけかなって思ってたけど、三ヶ月経ってもずっとそうだし……。やっぱり、付き合ってはくれても、私とそこまでの関係は求めてないのかなって……」


「あ、あの……それって……今、話すの!?」


「……今聞きたい」


「……えっと……違うの……そうゆうわけじゃなくて………」


「どう違うの?」



 えみりちゃんは覚悟を決めた表情で私の言葉を待っている。それを見て、私も覚悟を決めた……。



「……あのね、これは冗談でも嘘でもなくて、本気で本当の話なんだけど……信じてくれる?」


「……うん、しのぶちゃんの言うことはなんでも信じるよ」 


「……じゃあ言うね……あのね、私、えみりちゃんの部屋に泊まりに行ったら、多分死ぬの……」


「……なにそれ?」


「冗談じゃないんだよ!!本気だよ!!たぶん、命を落とすよ、私……」


「どうして!?」


「だってキスするだけで頭がくらくらして息も苦しくなって、心臓が破裂しそうになるんだもん!!だから…その……そうゆうこととか……」


「……エッチ?」 


「……そ、そうゆうの、するとかなったらほんとに体がもたなくなって、心臓止まっちゃうと思う……」



 やっぱり変だと思われたのか、えみりちゃんは不可解そうな顔をしている。



「……その、そうゆう心配以外には思うことないの……?嫌とか……」 


「嫌だなんて思うわけないよ!嫌どころか……実を言うと、更衣室でえみりちゃんが隣で着替えてるだけで……私、どうにかなりそうになってるから……」


「……そ、そうなの?!いつも全然そんなふうに見えないけど……」


「……それは、そんなふうに見てるって気づかれたら嫌われるかと思って精一杯普通にしてるから……。でも……その……そうゆうことするってなったら、もちろん全部脱ぐわけだし……、えみりちゃんの裸なんて見たら……本当に私……だめだと思う……だって、想像だけでもいつも…………あっ!……」


「…………想像してるんだ?私の裸……」


「えっと今のはっ!」 


「………」


「えっ!あっ!ごめんねっ!!」


「どうして謝るの?」


「その、えみりちゃんのこと好き勝手に想像して……そのそうゆう……」


「……もしかして、しのぶちゃん……私のこと想像して……したりしてる……?」


「えっ!?」



 思いっきり恥ずかしい秘密を露呈されて、自分の顔の温度がぐんぐん高くなっていくのが触れなくても分かった。今えみりちゃんの目に映る私は、梅干しくらい真っ赤なはずだ……

 まだ肯定も否定もしてないのに、えみりちゃんは全て受け止めたように微笑んだ。それを見て、もうごまかしが効くことはないと悟る。


 

「知らなかった……。しのぶちゃんて、私が思ってたよりずっとエッチだったんだ……」


「あーーもう!!!ごめんなさいっ!!」



 すると、えみりちゃんはもう一度私を強く抱きしめた。



「しのぶちゃん……そんなに私のこと好きなの……?」


「…………うん」


「……うれしい。私、ずっと不安だったの……。しのぶちゃんはそうゆうことに興味ないんじゃないかって……。でも、それを単刀直入に聞いて、もし本当にはっきり認められちゃったらって思うと、恐くてずっと聞けなくて………」



 それだけ言うと私の体から離れ、えみりちゃんはハンカチでこぼれてきた涙を拭いた。



 えっ!?私のこんな恥ずかしい話で泣くの!?と一瞬思ったけど、恐怖から解放されたように安心した顔で泣きながら笑うえみりちゃんを見て、私のせいでこんなに辛い思いをさせてたんだ……と、心から申し訳ない気持ちになった。



 すると、涙の止まったえみりちゃんがまたゆっくりと一歩私に近づいて、まだ潤んだ目でじっと見つめてきた。



「……自分でダメって言ったくせにキスしたくなっちゃった……ずるいよね?」 


「…………」


「ごめんね!もう行こ!さすがに長居しすぎちゃったよね、それこそ変に思われちゃう……」



 顔を背けて出ていこうとするえみりちゃんを今度は私が引き止めた。



「…………ずるいけど……でも、して欲しい……」



 私がそう言うと、えみりちゃんの呼吸はゆっくりと深くなった。



「しのぶちゃんのがずるいよ……。そんな顔で見られたら絶対拒否できない……」



 一秒でも急がなきゃいけない状況なのに、いつ誰が入ってくるかも分からないトイレの中、えみりちゃんは私に今までで一番長いキスをしてくれた……













  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る