第8話 反撃
えみりちゃんの質問に千堂さんは一瞬たじろいだように見えたけど、すぐに受け入れた様子で深く息を吐き、テーブルの上に上半身をせり出して私たち二人を手招いた。
私たちは顔を見合わせてから二人同時に千堂さんの体勢を真似た。内緒話の要領で口元に添えた千堂さんの手に耳を傾け、静かに次の言葉を待つ。
「……ここだけの話、実は……付き合ってる人いるんだよね……」
「えっ!?!」
誰よりも早く大きな声で反応したのは、輪に加わっていなかったマネージャーだった。身を寄せ合った私たち3人は、声と同時にマネージャーを振り返った。
「あ……ごめんなさい……ちょっと、びっくりして……」
「やった!なかなか見れないマネージャーのリアクションが見れた!」
千堂さんが自分の発言そっちのけにおもしろがると、マネージャーはまとめた髪のうなじの生え際あたりに手を添えて、イメージに似つかわしくないリアクションをしてしまったことを恥ずかしそうにしていた。
「え?……てことは、今のは冗談ですか?」
えみりちゃんがぬかりなくすかさず千堂さんに確認をする。
「ううん、それはほんと!」
「わー!ほんとなんだ!?もしかして相手、うちの店の誰かですか!?」
「それは内緒」
「えー?でも、内緒って言う時点で絶対そうですよね?違うなら違うって言うはずだし!」
「どうかなー?」
「もー!じゃあせめてどんな人かだけでも教えで下さいよ!」
千堂さんののらりくらりとした返答にも、シッポを逃がすまいと、えみりちゃんは一生懸命食らいついて頑張っている。
人の
「どんな人ねぇ……そうだな〜、一言で言うと、ダメな人……かな」
「ダメな人って?」
「外見は完璧なんだけど、中身はだらしなくてダメな人なんだよねー。性悪だし、公私混同するし」
「え……千堂さんてダメな人に惹かれちゃうタイプなんですか?…心配だなぁ……」
「なんでそんな人と付き合うのよ!?」
えみりちゃんが困った顔で心配を口にした後、マネージャーがごもっともな疑問をぶつけた。
「ダメな人が好きなんじゃなくて、好きな人がダメな人だったんですもん!でも結果的に今はそうゆうとこも全部好きだからいいんですよ。あと料理が上手で美味しいもの作ってくれるから、それで全部許せちゃうみたいな」
「…………」
反論する気も失せたのか、マネージャーは黙ってしまった。
「……ちょっと待って下さい……それってもしかして……」
えみりちゃんが閃いたように言った。きっとえみりちゃんが今思い浮かんだその人は、私の頭の中に出てきた人と同じ人だと思った。
「察しついた?」
千堂さんがお酒を飲みながらイタズラに笑い、
千堂さんの話を聞いて思いつくのは、スーシェフの
佐伯さんはとても純日本人には見えないほど彫りの深い顔立ちをしていて、身長も日本人離れしているほど高い、三十代半ばの男の社員さんだ。
うちの店が雑誌に紹介された時には、写真に映った佐伯さん目当てで女性のお客さんがしばらくの間耐えなかったくらいだから、外見のレベルは相当なんだと思う。
だけど、そんな佐伯さんには決定的な欠点があった。それは、とにかくチャラいこと。
別にセクハラしてくるとか、そこまでたちが悪いことをするわけじゃないけど、ナチュラルにとにかく女の人が好きな、ジローラモみたいな人。
佐伯さんと顔を合わせると、それが女の子なら、必ず余計な話を振られて捕まる。いつ、どこで、どんな状況でもだ。忙しい営業の中、急いで料理を取りにキッチンへ行く時も例外じゃない。正直、それで迷惑を被っているバイトの子はいっぱいいるけど、言ってもスーシェフというキッチンでは2番手という立場に、ほとんどの人間が物申せない。
まさに公私混同だ。
注意出来るのはその上のシェフか、もしくはいわゆる店長の立場のマネージャーだけだけど、シェフには気づかれないよう上手いことやってるし、マネージャーには注意されるたびにヘラヘラと笑いながら謝り、その場をやり過ごしている。
そしてその姿が見えなくなると「マネージャーって厳しすぎんだよなー」なんて愚痴をこぼしている。
結局はマネージャーも注意すること以上のことは出来ない分かっていて、とりあえず謝っておけばいいというスタンスなのは、こんな小娘の私にも分かっていた。
そんな佐伯さんだけど、料理人としては、フランスの名店でもスーシェフとして何年も働いていた経歴があり、国内外で受賞歴もあり、それを素人でも納得出来てしまうほど、まかないは誰が作るよりもとにかく美味しい。
確か今日バイトのみんなが大絶賛していたカレーも、佐伯さんが作ったと言っていたっけ。
料理の腕も経歴も申し分ない。だけど何年立ってもシェフに昇格しないのは、勤務態度といつまでも直らない遅刻グセのせい。
見事にさっき千堂さんが言っていた情報が全て当てはまる……。
まさにだらしなくて性悪で公私混同で、ダメな人だ。そして、料理が上手。
そんな佐伯さんが普段から特にかまうのが千堂さんだった。千堂さんは勝ち気な性格だから、不必要な佐伯さんの絡みにはピシャっとシャッターを下ろす。だけど、千堂さんにそんな冷たい反応をされるたび、佐伯さんはむしろそれを喜んでいるかのように笑っている。
しかも、数いる女性の従業員の中で、唯一千堂さんのことだけを「
「……その……きっかけって、お相手の
えみりちゃんが上手にどんどん深掘りしてくれる。
「前から向こうが気になってくれてるのは分かってたけど、実際付き合いませんか?って言ったのは私の方だよ。好きになったのもたぶん私が先なんじゃないかなー?」
「えっ!!そうなんですか!?」
しばらく二人の会話を見守っていた私だけど、意外すぎる話につい声を張り上げてしまった。
話し始めると千堂さんは意外にオープンで、はっきり正体をつきとめようとしない限り、なんでも話してくれた。私は、やっぱり千堂さんと言えども、恋をしてるとノロケたくなるのかな……?と思った。
私だって実のところ、もしも話せる相手がいるのなら、えみりちゃんの大好きなところ、可愛いところ、休みに出かけたデートのこと、ちょっとした二人の失敗談なんかを延々と話したいって思う。
ただ話せる相手がいないだけで、本当はすごく話したい。だから、千堂さんのそんな様子は私にはすごく理解出来た。
「とにかく、なんか色んな魅力があり過ぎて私イチコロだったからね」
えみりちゃんは大好物な恋愛話をツマミにして、心配になるくらいガンガンとお酒が進んでいた。
「魅力ってどんな魅力ですか?」
「ギャップとか。みんなの前だとカッコいい感じだけど、本当の姿はかわいくて……」
「かわいいんだぁ〜?」
「そう!料理以外はなんにも出来ない甘えん坊って感じ?」
「…………いい加減、聞くに耐えないんだけど」
言葉の通り、本当に聞くに耐えなさそうな険しい顔をしてマネージャーが制止に入った。
マネージャーがそうなるのも無理はないと思う。私も佐伯さんのかわいい話はちょっと聞いていられない……。
すると、だいぶ酔っているのか、逆ギレ気味の態度で千堂さん言い返した。
「今私のターンなんで、マネージャーは黙って耐えててもらえますか?」
「………」
見事マネージャーを黙らせて、千堂さんのノロケ話は聞き上手のえみりちゃん相手に続いた。
やっぱり佐伯さんのそんな話はあんまり聞けたもんじゃなかったけど、相手を思い浮かべるように
「幸せそうで何よりです!」
私は心からの気持ちを言葉にした。
「そうだよね!ステキだよね!」
えみりちゃんが珍しく私の方をしっかりと見て笑顔で賛同した。
「ありがとー!二人とも!」
そう返した千堂さんはやっぱり綺麗でキラキラと輝いて見えた。
一方、ピシャリと言われてしまったマネージャーは、まるで別席のように静かに一人飲み食いをしていた。
その姿をなんとなく見ていたらふと目が合い、それを機に私は聞いてみたかったことを質問してみた。
「……マネージャーはご結婚とかされてるんですか?」
一瞬にしてテーブルが凍りつく。
「……私くらいの歳の女にそんな質問するなんて、やっぱり千堂ちゃんが言うように、諸星さんはなかなかのチャレンジャーよねぇ?」
「わっ!すみませんでした!!」
慌てて丁重に謝ったけど、マネージャーはそんな私を見て吹き出すように笑ってくれたので、ひとまず安心した。
「冗談よ!気にしないで。私はね、残念ながら独身なの。この歳まで運命の人に巡り会えなくてねー……」
「マネージャー、まだ運命の人なんて待ってるんですかー?少女だなー」
「悪いの?」
「やだなぁ、否定してるんじゃないですって!大丈夫!マネージャーならいつか絶対幸せになれますよ!」
千堂さんがポテトフライをくわえながら適当な調子で励ました。
「あなたに言われても信憑性ないけどね」
「そうですか?でも私、案外手相とか見るの得意なんですよ?どれ、見てあげますよ!」
千堂さんは無理矢理マネージャーの両手を取って、まじまじと診断を始めた。
「あ、ダメだこれ。……結婚出来ないわ……」
「なっ!」
いつも穏やかなマネージャーが思わず不服満載の声を上げた。
「それ、日頃の恨みの嫌がらせじゃないでしょうね?」
「そんな
「マネージャーすごーい!大恋愛が待ってるんですね!」
えみりちゃんが拍手をしたので、私も一緒に手を叩きながら聞いた。
「相手はどんな人なんですか?」
「さすがに手相でそこまでは分からないよ!」
千堂さんが馬鹿な私の質問にまた笑った。
「そっか!そりゃそうですよね……」
「てゆうか、大恋愛したところで結婚線はないんでしょ?なら、その恋も結局は終わるってことなんじゃないの……?」
マネージャーがごもっともなことを言う。
「…………」
「………」
「……」
「誰かなんか言いなさいよ!」
「あっ!じゃあマネージャーにも聞きたいです!マネージャーはどんな人がタイプなんですか?」
えみりちゃんが空気を変えつつ、興味津々に聞いた。
「マネージャーのタイプかー!興味あるなー!聞きたい!聞きたい!」
千堂さんは体ごとマネージャーの方を向いて、詰め寄るような体勢になるった。
マネージャーは背が高くてスタイルが良くて、誰が見ても素直に綺麗だと言える美人だ。
お世辞抜きで、仕事中に姿勢よく歩く姿はまるでプロのモデルさんみたいに見える。
かと言ってお高く止まる性格ではなく、優しくて落ち着いていて、とても温かい人柄。
正直、どうしてここまでの人がその歳まで独身なのが不思議でしょうがないくらい。よく言う高嶺の花ってやつで逆に近寄り難がられるんだろうか…?
普段自分のプライベートを全く話さないマネージャーの言葉を、私たちは異様に真剣な表情で待った。
「そんなにみんなで構えられたら話しにくいんだけど。あなた達、おばさんのタイプなんか聞いて何が楽しいの?」
「おばさんなんてとんでもないですよ!マネージャーは、とっても綺麗なお姉さんですっ!」
私が正直な気持ちを口にすると、掘りごたつのテーブルの下、左太ももに拳がガンッ!と衝突してきた。
隣のえみりちゃんを見ると笑顔をキープしたまま唇の端を軽く噛んで、マネージャーたちの会話に相づちを打っている。
……もしかして、嫉妬してる……?
私がマネージャーを褒めたから、嫉妬してるの!?
私の胸はキュインキュインと激しく鳴った。
私のたった一言であんなに嫉妬しちゃうところも、それを我慢してる顔も可愛すぎて、見てるだけで本当に体が震えてくる。
えみりちゃんに不快な思いをさせたのにも関わらず、嬉しさが隠しきれずに半ニヤケしてしまった。
「もったいぶらないで早くー!」
千堂さんが煽ると、マネージャーは少し恥じらうように話し始めた。その姿が少女らしくてなんだか微笑ましい。
「私は……」
なかなか聞けないマネージャーの話に3人揃って息を飲む……
「……
かいじゅう……?
怪獣してくれるって……怪獣になりきってくれるような人ってこと……?
よく分からないけど、思い切って告白したマネージャーはなんだか嬉しそうにしている。
よっぽど怪獣が好きなんだろうか……?
「……さすが!マネージャーは言うことがやっぱり大人の女性ですね!」
えみりちゃんの言葉にますます分からなくなった。怪獣好きはむしろ子どもでしょ?それとも最近、大人の女の人に怪獣ブームが来てるの?流行りに疎い私が知らないだけ……?
「なんかマネージャーがそうゆうこと言うとちょっとエロいですよねー」
千堂さんが横目でマネージャーを見てニタリと笑う。
「ど、どうしてよ?!」
「なーんかね……」
ちょっと待って……これはいよいよ違うな、分かってないの、私だけだな……
恥ずかしいけど意味が気になる……
だって、大人の女っぽくてエロいってどうゆうこと!?
聞くは一時の恥!聞かぬは一時の恥だ!
「すみません!」
右手を垂直に上げ、教室で先生にするように正当な手段で質問した。
「『かいじゅう』ってどうゆう意味ですか?」
3人が一斉に私を見る。
「あ!さては諸星さん、知らないのに知ってるフリしてたでしょー?」
千堂さんが本当に余計なことを言う。
「もしかして諸星さん、こっちの『怪獣』だと思ったんじゃない?」
えみりちゃんが両手を垂らすようにして上持ち上げ、世界一可愛い怪獣になった。
……それにしてもなんでバレたんだろう……。、
「……うん、実は……。でも、話が噛み合わないなって思って……」
「もー!諸星さん可愛すぎ!!」
えみりちゃんは楽しそうに私の肩を叩きながら笑った。
えっ……!?なんか解禁されたの…?そんな反応、ちょっとストレート過ぎる気が……
「難しい言い方してごめんね?懐柔っていうのは……なんてゆうか、上手く従わせられるみたいな、手なづけなられるとか、そうゆう意味!」
マネージャーが丁寧に教えてくれた。確かに……なんか、エッチな気がした……
「要するに、マネージャーはドMってことですね?」
「どうしてそうなるのよ」
「だって、懐柔されたいんでしょ?懐柔されて、怪獣になってほしいんでしょ?」
千堂さんがくだらないことを言ってヒャッヒャッと笑い、マネージャーをからかう。
「でもちょっと納得します!だってマネージャーって普段は人の上に立つ人だから、心を許せる人の前では逆の立場を求めるのかな……?とか」
「青山さん、さすが鋭いなー!絶対そうだよね!やっぱり人間、反動ってあるもんね!」
千堂さんが賛同する。
「……まぁ……そうとこあるのかしらね」
マネージャーは素直に認めた。
「ってことは、やっぱり歳上の人がいいんですか?」
えみりちゃんが聞くと、
「甘いな、青山さん!25越えたら精神年齢と実年齢なんてぐっちゃぐちゃだから!全然歳下もあり得るでしょ!」
そう豪語する千堂さんを冷たい目でチラリと見て、
「でもやっぱり歳上の人がいいかなー」
とマネージャーが否定した。
「それはどうかなぁ……?」
千堂さんがすかさず否定を重ねる。
「マネージャーより歳上ってなったら……ねぇ…?」
「何が言いたいのよ?」
「いや、それってもはやおじいちゃ……」
「それ以上言ったらその口塞ぐわよ?」
「いいですよ?マネージャーのキスで塞いでくれるなら」
「えっ!!?」
千堂さんの発言にびっくりしすぎて、言われた当の本人のマネージャーよりも反応してしまった。
「ごめんなさい!びっくりして……」
「軽い冗談だってば!諸星さんいちいちピュアすぎ!ほんとウケるわー!からかい甲斐あるー」
あーまたやっちゃったなぁ……
何度目か分からない反省をしていると、
「私トイレ!」
千堂さんがいきなり切り替えて、素早い動きで席を立った。
残された私たちは少女のようにそのまま三人で恋の話していると、しばらくしてマネージャーの電話が鳴った。
画面を確認したマネージャーは眉をひそめ、「ちょっとごめんね」と言い残して席を外した。
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