第10話 協力
マリンは畑にいても、自分のおもちゃに困らない。猫じゃらしによく似たエノコログサを数本ほど土にさしておけば、しばらくそれで遊んでいる。
「今日もマリンちゃん来とるんね?」
親子で作業していると、離れたところからでも声がかかる。マリンのリードを繋ぐ杭を一振りで埋め込んでくれた小林さんが近づいてきていた。その手にはおやつらしきものが握られていた。
マリンを指さすと、小林さんの視界にも入ったらしく、その方向へちゅーるを振り回している。おやつがもらえると察したマリンは、立ち上がって小林さんが近づくのを待ち構えている。
小林さんは有名なCMソングを歌いながら、マリンの頭を撫でているのだが、マリンはその手にあるちゅーるしか目に入っていなさそうだ。ここに来る途中のコンビニで目に入ったから買ってきたという小林さんは、夢中でおやつを舐め続けるマリンに「美味いか。美味いか。」と満足そうに声をかけている。
「ほんまに猫ってちゅーるが好きなんじゃの。」
実は犬派な小林さんは自宅で3匹の小型犬を飼っているそうだ。それでもマリンがいるとなにかと気にしてくれる優しい人だ。
「みなさんのおかげですよ。」
母がそう答えて、互いのペット談義に発展している。
我が家の畑ももうすぐ除草が終わりそうだ。そろそろ次の段階のことも気になると同時に心配していることがあった。それを小林さんに相談するタイミングを図っていた。
「草むしりも後すこしじゃな。二人でよう頑張りさったな。」
畑の端で雑草が背を伸ばしている畑を一望していた。
「あの一帯が終わったら、次は土おこしになりますね。まずは石灰を撒いて耕せばいいとは聞いています。」
小林さんはうんうんと頷いて、除草が終わった後の段取りについて詳しく教えてくれた。
「その頃になったら、マリンは連れてこない方がいいかもって思ってまして。」
リードを繋ぐ杭を作ってくれた一人なだけに一言は言っておきたかった。既に志田さんからも、土を耕す時にはマリンを巻き込まないようにと冗談まじりに言われていた。
マリンと遊んでくれる斎藤さんを始め、挨拶を交わす人達から可愛がってもらえるのはありがたいのだが、まさか怪我をさせては本末転倒だ。
小林さんは真顔で頷く。ましては石灰や堆肥を土に混ぜていく作業に入ると猫にはよろしくない。マリンにお留守番をさせるのが一番だと勧めてくれた。
「この頃、斎藤さんも元気になってきたし、ええんちゃうかな。」
猫カフェのまるちゃんが卒業していた話も小林さんは知っていて、やっぱりと腑に落ちた。小林さん達がマリンを連れてくることを黙って見守っていてくれたのは、しばらく消沈していた斎藤さんを気遣っていたからだ。
「斎藤さんとは、何かお付き合いが長いの?」
遠慮なく聞ける母を驚きと尊敬で見てしまう。聞こうか聞くまいか、私はずっと悩んでいたというのに。
実際の付き合いがあるのは、斎藤さん自身ではなく義理の兄の方だった。その義理の兄のことを小林さんは、松尾さんと呼んでいた。何気なく、斎藤さんの離婚前の苗字を知ってしまったことになる。斎藤さんの前では知らなかったことにしておこうと思いながら、小林さんの話を聞いていた。
小林さんは松尾さんの勤める会社と取引がある関係だった。今の現場でも松尾さんと一緒に仕事をしている最中らしい。斎藤さんが松尾さんの義妹だったと知ったのは、最近のことでふらりと畑に現れたのを見かけた時からだという。
松尾さんは義理の妹だったといえ、斎藤さんの事を今でも気遣っているのだろう。
「斎藤さんもな。弟の方じゃなくて、松尾さんだったら幸せだったろうにと思うんじゃが、人の縁はわからんもんよの。」
「そりゃ、結果論ってやつですよ。」
確かにと笑って続けた小林さんの言葉は、ちょっと酷い。
「松尾さんは一本気で中身はいい男なんだがな。野暮ったいし、仕事以外は口下手で、どこにもモテる要素がないもんなぁ。」
「本人が聞いたら、傷つきますよ?」
会ったことが無い人の話だとしても流石にフォローしたくなる言いぐさだ。
「大丈夫。本人が一番自覚してる。だから独りもんなんやて。」
全く遠慮してないなと小林さんを見る。
「そんなにいい人だったら、斎藤さんもお義兄さんとやり直せばいいのにね。」
母よ。そんな短絡的な問題ではないだろうにと、薄睨みを向けてみた。
「ほうよ。松尾さんにそんな度胸がありゃ、越したことないんだがね。無理じゃろなあ。志田さんなんて、今、松尾さんのことをどう呼んでいるか教えちゃろか。」
無法松……
志田さんがつけたあだ名はすこぶる古い映画から来ているのは明白だ。未亡人になった女性に想いを秘めながら世話をするのだが、結局はその思いを告げられずに立ち去ってしまう話だった気がする。
礼儀正しい印象しかなかった志田さんが、よくもこんなあだ名をつけたものだと思ったのだが、世の中はつくづく狭いものだと知る。志田さんは松尾さんの元上司だったのだ。つけたあだ名を聞いただけで、遠慮も配慮もない関係だったに違いないと察してしまう。
もうパワハラとモラハラとセクハラ。ハラスメントのフルコースを缶詰にしたようなあだ名だ。会ったこともない松尾さんが傷ついていないようにとしか祈れなかった。
今日の斎藤さんはなかなか現れなかった。そのうちに気温が高くなってしまったので、マリンが暑さ負けしてしまわぬように連れて帰ることにした。
お昼までは引き続き作業をすると母が言うので、私もまた畑に戻ると斎藤さんが来ていた。マリンと入れ違いになったことを残念がる斎藤さんに、母はお昼を一緒にしないかと家に誘った。こういう時の母は何故か頼もしい。
斎藤さんの車を先導しながら運転している合間、松尾さんの無法松というあだ名は気の毒に思うと母に話した。
「裕子はいい歳して、無粋だねぇ。」とくすくす笑う。
「なにそれ。」
全く意味が分からない。結局、家につくまで、無粋だとあざけられた意味ははぐらかされたままになった。
それでも斎藤さんを初めて家へ招いた昼食は女子会のように賑やかになった。おかげで楽しい時間を過ごした。
やがて、我が家の畑も除草が終わってしまい、マリンを畑に連れていくことを控えるようになった。その代わりに斎藤さんが家に訪れて、マリンを中心に開かれる女子会は私達の楽しみになった。
ガレージに車が止まる音が聞こえると、マリンは颯爽と玄関に向かっていく。すっかり斎藤さんに懐いている。なんだか微笑ましい光景だ。
「裕子が帰ってくる時もあんな感じよ。るんたった。はぁとってな後姿なんだから。」
母は胸の前でハートの形を作ってお道化ている。
「母さんが帰ってきた時もそうよ。」
玄関が開いて、斎藤さんが入ってきた。
「こんにちは。あれ? おかあさん、なんだか嬉しそう。」
たった今のことを上機嫌に話す母と一緒にダイニングへ向かう。さて、これから女子会のスタートだ。
斎藤さんの畑ではそろそろジャガイモを収穫出来そうな頃合いになってきている。近々、子供食堂のイベントを開催する喫茶店オーナーに食材提供するのだそうだ。
「へぇ、それは素敵だわね。うちの畑は種を植えたばかりだし、何も提供ないのは残念だわ。」
母は本気で残念がっている。
「お菓子なんかも出せたらいいなって、オーナーが言っていたのですけど……私は生憎そういうのが苦手で」
斎藤さんの言葉に即座に反応して、母は私に向かって手招きをする。
「クッキーでも焼けって言いたいのでしょ。」
母はニヤリと笑ってご名答と指を差してくる。
「恵理ちゃん。実は我が子ながらいうのもアレだけど、裕子の焼くクッキーは美味しいの。」
なんて斎藤さんにいうものだから、私へ向けられる尊敬の目線が気恥ずかしい。しかも斎藤さんの名前を気安く呼び始めているのもどうかと焦ってしまう。
斎藤さんは気にするようすもなく、クッキー提供案にすっかり乗り気だ。
「あのね? 焼くの私ですよ? それにオーナーさんも受け入れてくれるのかしら。」
ちゃんと水は差しておこう。だが、斎藤さんは自信満々に「ほぼ間違いなく歓迎される」とガッツポーズだ。ならば、頑張って焼きますか。
しばらくして、子供食堂の開催日の前日がやってきた。
我が家の畑に植えた作物達はすっかり芽を出して畑らしい姿になっている。水を撒き終わった頃、斎藤さんが大きめのカゴを持ってやってきた。
私は斎藤さんの後を追って、彼女の畑に入る。収穫する場所を斎藤さんから教えてもらった後、食材収穫の手伝いが始まった。菜園仲間もそれぞれが出せる作物を斎藤さんに預けている。この収穫が終わった後には、母から自慢されてしまったクッキーを焼く予定だ。
ふいにジャガイモのつるから手が滑った。直後、私は短い悲鳴と共に見事な尻もちをついていた。悲鳴を耳にした志田さんも小林さんもこちらに驚いてこちらに顔をむけた後、揃って大笑いしている。
斎藤さんも笑いながら近づいてくる。尻もちをつくなんて、何十年ぶりだろう。お尻の下に柔らかい土の感触がするのが心地よかった。
「裕子さん、大丈夫?」
見上げると斎藤さんが手を差し伸べてくれていた。大丈夫?と聞いたわりには大きな口を開けて笑っている。普段着の時しか見ないその笑顔はまぶしい。私も下の名前で呼んでもいいだろうか。
私は差し出された恵理さんの手を取った。
【終】
猫とおひとり様 錦戸琴音 @windbell383
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