第9話 家庭菜園

 家庭菜園を始めることを斎藤さんに相談すると、彼女は色々と教えてくれた。申し込み方法から、空いている畑の良し悪しに必要な道具まで。それを元に母と耕す畑を決めて、必要なものは取りそろえた。


 園芸が好きな母がいるとはいっても、野菜となると勝手が違う。まして、私に至っては母の頼みで庭の花木に水を撒く程度しかしたことがない。斎藤さんの助言は頼もしかった。


 始めたばかりの我が家の畑には、まだ茫々と雑草が生えている。午前中に母が、仕事が終わった後に私がと半ば交代制のローテーションで除草作業を進めている。少しずつ土の面積が広がっていくのを眺めていると、未開の地を開墾しているような錯覚さえする。

バカバカしい錯覚だけど、ただの草むしりを楽しめているのは確かだ。


 自分の畑の世話ついでに、斎藤さんも手伝ってくれる。その時の為に車の中にはミルクティーを常備するようになった。今日は斎藤さんがナスを何本か持って、声をかけてきた。どうしたのか、どこか寂しそうにみえた。


 特に疲れたわけではないけど、手を休めて斎藤さんと立ち話を始めた。ふと二人で出かけた猫カフェの話題になると、斎藤さんのお気に入りだったまるちゃんが引き取られたことを聞いて驚いた。


 確かに猫カフェにいる猫達に引き取り先が見つかれば、新しい飼い主の所へと卒業していく話は聞いた。しかし、10歳を超えたシニア猫のまるちゃんに引き取り先が見つかるとは思っていなかった。


 元の飼い主のご家族がまるちゃんの状況を知って、引き取りに来たのだそうだ。

「まるちゃんとは、私が離婚したばかりの頃に出会ってね。まるちゃんも来たばかりだったから、他の猫と距離をおいてポツンとあの店で過ごしていたの。他に仲間がいるといってもなんだか心細そうでね。自分と似ているような気になったんだと思う。」

 斎藤さんもまるちゃんも、それぞれの事情で家族と離れてしまった不安や孤独感が共鳴していたのだろう。


 それから斎藤さんが離婚に至った経緯をぽつりぽつりと話してくれた。斎藤さんは、義理のお母さんを介護していて、仕事人間のご主人は実母の介護を斎藤さんに任せっきりだったそうだ。


 さぞご主人を恨んだだろうと思ったのだが、割と姑との関係がよかったおかげで介護を任されることは苦労だとは思わなかったと斎藤さんは微笑む。しかし、その姑さんを看取った後、存在が明らかになった遺言で亀裂が走ったのだという。


「遺留分ってあるでしょ? そこにね、私への分割分が書いてあったらしいの。」

斎藤さんには十分その遺留分での分割があってもいい話だったが、遺言に残されているケースは珍しいのではないか。そう思いながら黙って話の続きを聞いた。


「別れた旦那は遺言書の内容自体には、すんなり認めたの。旦那の実家とか不動産もあったし、いろいろ申請って面倒でしょ。それで義理の兄は相続手続きを姑が遺言を依頼した司法書士さんにそのまま任せたのね。」

 斎藤さんは空に向かって、強めの溜め息を一つ吐き出した。


「司法書士さんから、分与された相続金を振り込まれた後、私に分与されたものは、自分のお金だから渡せって旦那がいったのよ。もうね、どういうことよって。自分は何もしなかった癖にと思ったら、余計に腹が立ってきてね。」

そりゃそうだ。私は大いに同感していた。遺留分でもらったものは斎藤さんの財産だ。


「お義母さんの葬式時にね。義理の兄が、まぁ、一応長男ってことで、取り仕切る形にはなったんだけどね。その兄は独り者だったもんだから、私も手伝うことにしてね。あ、旦那はそういうの、お兄さん以上に疎いから。その時に義理の兄から、お義母さんの介護をしてきてくれてありがとうって言ってもらえたの。」


そこまで話した斎藤さんは、諦めきった目を下に向けた。

「私…… その言葉を旦那から聞きたかった。」

「斎藤さんがどれほど献身してきたか、旦那さんが一番近くでみていたはずなのにね。」

斎藤さんはコクリと頷いた。


「さすがに旦那の言いようは酷いからね。義理の兄に相談したら、『アイツの頭の中には金しかないから、もう自由になったらどうか』って背中押してくれたの。多分、お兄さんに相談してた時には、離婚を心の中で決めてたのかも。」

「理解あるお兄さんでよかったね。」

斎藤さんは穏やかな表情にもどって、ゆっくりと頷いた。


「旦那ってそんなにお金が大事だったのかなぁ。そりゃ、仕事も大変だし、食わしてもらっていた立場だから…… 仕事に専念できるようにって、そうやってきたのが間違いだったのかなぁ。」

そんなことはない。私は目が回るほど首を振った。それを見て、斎藤さんは吹き出す。


 カラスの鳴き声が辺りに響いて、気がつけば陽も落ちかけている。斎藤さんは話に付き合わせてしまってと謝っていたが、草むしりを手伝ってくれたこともあるのだから、お互い様だ。斎藤さんから少し信頼してもらえたような気にもなった。だから話を聞かせてくれてありがとうと伝えると、照れながら持ってきたナスを差し出してくれた。


 斎藤さんのくれたナスを母に手渡しながら、猫カフェのまるちゃんが引き取られたという話をした。そりゃ、寂しいだろうね。と同情する母に、休日にはマリンも連れて畑にいかないかと提案してみた。


 家の外を出たことがないマリンが畑で落ち着いていられるかどうかも心配する。しかし、母も何故かマリンの外出に前向きに考えていた。夕飯を食べながら、親子でマリン外出計画を練っている。当のマリンは隣に来て、相変わらず人の食事を覗き込みに来ていた。

 次の休日には、外出予定のマリン。どうなるだろうと母と一緒にマリンを見守った


 休日、いつも起こしにくるマリンはまだ来ない。子猫用のハーネスを握ってダイニングに向かう途中で、マリンと出くわした。

「あら、寝坊助がめずらしく早い。」

からかってくる母は私のコーヒーを注ぎはじめた。

「畑いかなきゃいけないんだもん。」と口をとがらせてみた。マリンは自分の食事に戻っている。


 食事が終わったマリンを母が抱いて車に乗り込む。そわそわしてはいるが、意外にも怯える様子がないことに親子揃って胸を撫でおろす。

 畑についたマリンは初めて土の上を歩いた。見知らぬ場所に体を低くして周囲を嗅ぎまわる。


 もう顔見知りになった周囲の人達も挨拶ついでに子猫がいることに気づく。マリンは肝が据わっているようで、見知らぬ人にも物怖じしない。そんなマリンを眺めてそれぞれの区画に向かっていく顔は、にこやかだ。そのうちに斎藤さんもやってきた。


 マリンにも挨拶している斎藤さんは人差し指を差し出したり、親指と人差し指を擦り合わせて見せては指先をマリンに嗅がせていた。

「マリンちゃんを連れてきてくださるなら、言ってくれればよかったのに。」

 斎藤さんに明るい笑顔が戻っている。


「あら、どうして。」と母も会話に入ってくる。

「知っていたら、チュールでも買ってきましたよ。もう楠木さんの意地悪。」

 への字口で拗ねる斎藤さんに、口を突き出して小首を傾げてみせた。そうだろうと思っていたから内緒にしていた。

「サプライズ。」

 私は親指を立てて見せると、母もそれに合わせた。


 そこに志田さんが一本の杭を持って戻ってきた。それは頭を丸く曲げられた金属製の太い杭だった。志田さんはこの畑の指南役といった存在で、不慣れな初心者からは頼りにされている。

 さっきもマリンの前にしゃがみこんで、「まだちっちゃいのう。」と目を細めて撫でてくれていた。


 志田さん曰く、我が家の区画の端に持ってきた杭を埋めておけば、猫のリード繋いでおけるとのことで、わざわざ自分の畑から余りの杭を持ってきてくれたのだ。


 早速、志田さんは黒ずんだ木材を使って打ち込んでいく。それを見守りながら、斎藤さんが声を弾ませていう。

「その杭があったら、マリンちゃんも自由に遊べるね。いつでも監督さんに来れちゃうかも。」

 志田さんは、「おうよ。」と返事をして杭をうち続けていた。


 すると、大きな槌を担いだ小林さんが近づいてくる。

「志田さんよ。それじゃ疲れてしまうだけでえ。」

見上げた志田さんがニカっと笑って、その場を離れる。小林さんは建設業をしていて、この後も現場に向かうのだそうだ。


 おかげさまでマリンを繋ぐ場所があっさりと出来上がった。ここの畑に集まっている人達に色々と助けられていることがありがたい。家から持ってきたスポーツドリンクをみんなで飲みながら、マリンの様子を見守る。


 リードでつながれたマリンは、掘り起こされて日が浅い土の上で、取りこぼした草の根を見つけてはおもちゃにしている。見知らぬ場所を恐れるかと心配していたが、マリンは予想外にも逞しかった。

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