第3話 復命

 ウズメは、サダヒコと共に伊勢へと向かった。

 葦原中つ国の支配が及ぶ土地の中で、もっとも早く日が昇る、日輪の神にはふさわしい場所だ。ニニギがアマテラスから授かった鏡も、伊勢の伊須受いすずの宮に祀られている。


 海を望む浜に居を構え、ウズメはサダヒコと夫婦めおとになった。

「サダヒコは、吾と御合みあうこととなって不満はないの?」

 互いに手枕をしながらウズメが問うと、サダヒコは「ない」と言ったあと、いつもの調子で「なぜ」と返してきた。

 どうせこのねやの様子も、高天原に見張られているのだろう。ウズメは問いに答えず、無言でサダヒコに体を重ねた。


 翌朝、サダヒコは漁に出ると言って支度を始めた。

「海へ潜るのなら、取ってきて欲しいものがあるんだけど」

 髪にかんざしを挿しながら、ウズメは言った。

「このあたりには、光沢のある白い粒をもった貝がいるらしいの。かんざしの飾りにしたいから、探してくれないかしら」

白珠しろたまか。美しいものらしいな」

「なんでも、大きな二枚貝の中にあるから、貝の口が開いたときに手を入れて取るといいんですって」

 ウズメが体を寄せてほほえむと、サダヒコは「わかった」と短く答えて海へと向かった。

 腰に魚籠をつけたサダヒコの大きな体が、砂浜を歩き、だんだん海へと入っていく。その様子を、ウズメはただじっと見送る。脚が、腰が、肩が見えなくなり、最後に頭も蒼い海の中に消えた。

 波の音だけが浜辺に鳴り響く中、ウズメは「ああ」と力なくつぶやいて、砂浜にくずおれた。



「サルタヒコは海の中でヒラブ貝に手を挟まれ、そのまま溺れ死にました」

 ニニギの元に出向いたウズメは、抑揚のない声で復命した。


「サルタヒコが海底に沈んだときにソコドクミタマが、海水が泡だったときにツブタツミタマが、水面が泡で割れたときにアワサクミタマが生まれました」

 ニニギは片頬だけで笑っていたが、わざとらしく沈痛な面もちを作って言った。

「そうか。夫婦めおととなったばかりだったのに、残念なことである。やしろを建てて、サルタヒコの神を手厚くお祀りするように」

 白々しい命令に対して平伏したあと、ウズメはニニギに願い出た。

「吾は年老いました。常若とこわかをよしとする高天原においては、もうお役に立てそうもありません。……この上は、静かに余生を過ごしたく思います」

 天岩屋戸にこもった最高神アマテラスを誘い出す大役を担い、天孫降臨に随行した五供緒いつとものをの一柱であるにも関わらず、ウズメは引き留められなかった。

「よかろう。ただし、なれの若さや美しさを維持している特別の霊威は、高天原に返すように」

 結局自分は使い捨てだったのだな、とウズメは自嘲気味に笑って、数多の男神たちを虜にし、心身共に支配してきた、自らの霊威を返納した。


 伊勢の地に戻り、ウズメはサダヒコのいない住まいから蒼い海原を見つめた。あの海の中で、サルタヒコは溺れ死んだのだ。

 ウズメはかがみこんで、手水を汲んである器に自らの顔を映した。特別の霊威を失ったその顔は、目が細く、しもぶくれて、盛り上がった頬が滑稽なほど赤い。これが、美しさと度胸で名の知れていたアメノウズメかと思うと、泣きそうになる。


「なかなかよい姿だな、吾が妻よ」

 ウズメが振り返ると、そこには赤ら顔の大男がいた。鼻が異様に長く、目は金色に光っている。

「サダヒコ……」

 赤い顔の天狗が、いかめしい顔つきをごまかすように、ウズメへ笑いかけてくる。

「生き返ったのはいいが、少々異形になってしまってな」


 高天原に見張られているため、あのときねやで、ウズメは自らの気をサダヒコに入り込ませ、声を出さずに意志を通わせた。


――高天原からいましを殺すよう言われている。は死んだことにして、二人で逃げよう。


 口裏を合わせ、サダヒコの母・キサガイヒメにも協力してもらった。一度死んだ彼を、赤貝の粉で再生してもらったのだ。


 ウズメは立ち上がり、赤ら顔の大男を力一杯抱きしめた。

 生き返ってくれてよかった。サダヒコの姿を見るまでは、気が気ではなかった。

「どのような姿でも、サダヒコは大事な夫。……吾の方こそ、このような顔になってしまって恥ずかしい。見ないでおくれ」

 情けなくて顔を上げられないウズメの耳に、いつもの調子でサダヒコがささやいた。

「なぜ?」


 サルタヒコは用済みになった後、ウズメによって密かに殺されたらしい。そう高天原で噂される一方、二人は天狗とお多福に姿を変え、仲むつまじく暮らしたという。


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誰が殺したサルタヒコ 芦原瑞祥 @zuishou

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