無技巧を装いパリピのフリをするオタクとしての「感傷・叙情・エモ」

エモ短歌が流行っています。
「そんなのど〜でも良いです」と逆張りしたくなるのだけれど、たま〜に「なんじゃこりゃ〜(肯定的な意味で)」と言いたくなる「エモ短歌」を見かけます。

エモいって言われるものはだいたい「泣き」です。
ナニワ節の感傷性です。エモーショナルという言葉にダマされて「エモい、こりゃ〜『オカシ』とか『アハレ』とかに並ぶ喜怒哀楽全てを表現出来る言葉なんですナッッ」なんぞ言うアホジジイもしくはババアが沢山いますが間違っています。訂正しなさい。

あ゛ァ〜ダメだなァ〜と思う「エモ歌人」共の名前を挙げることはしませんが、良いと思うエモ歌人の名だけは挙げておくと、上篠翔さん。
若者言葉って漫画やゲームなどのオタク文化由来の「オタク語」を除けば大抵パリピやギャルが使うモンです。
エモ短歌ってのはじゃあギャル短歌のことなんだナと思いそうになるのですが、上篠翔さんは違ってオタク臭い。

この連作「感傷町三丁目」もまたオタク臭いです。
後悔を吐き出すための溜め息は風の最小単位とならん
う〜ん「後悔」「溜め息」とは見事な感傷アンニュイフェイス、エモ短歌です。
「ならん」で結ぶ歌、パリピやギャルには中々詠めません。詠めるとしたらそれは「オタクに優しいギャル」です。
「最小単位」、この単語もオタク臭いですね。

総じて良い連作だと思います。
わがままは言いませんただ欲しいだけ夢と希望とお金と愛と
なんかは極めて一般ウケしそうな短歌です。私は逆張りだからこの連作で一番嫌い。
「ただ欲しいだけ」以降を活かしながらイメージの跳躍をさせれば名歌とされている
サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい
とあんまり変わらないくらいの良い歌になるのではないかと思います。
ただ私は逆張りだから「サバンナの象のうんこ」も嫌い。うんこだけに、クソだと思う。