【05】天使
王都の端に位置していた孤児院から、ハミルトン家へは、馬車で10日はかかる。
馬車の中は息が詰まりそうだった。
ミューラは自分でも涙が止められず、声は押し殺していたが、泣き続けていた。
「いつまで泣いているのかしら? もういいでしょう?」
「環境が変わるといっても良い方だ。そろそろ泣き止みなさい」
そんなミューラに両親は、ずっとため息交じりだった。
ミューラはそう言われる度に、すがるように彼らの顔を見たが、やはり自分を愛しているようには見えなかったし、彼らもミューラに優しい笑顔を向けることはなかった。
愛している、というのは……エドガーのような、そう思うとまた涙が溢れた。
しばらくすると両親は何も言わなくなり、たまにため息が聞こえた。
ずっと、想像していた両親の再会を思い出し、それがとてもチンケでバカバカしい想像だったと思えた。
あの想像はたまに寂しくなる時に自分を癒やしてくれた宝物でもあったのに。
「(――でも、ひょっとしたら)」
彼らも長旅で疲れているだけかもしれない。
お屋敷について、休憩して疲れが取れたら――笑顔を、愛情を向けてくれるかもしれない。
自分でもそれは望みが薄いと感じてはいたが、ミューラは小さなその希望に縋らずにいられなかった。
◆
途中、ハミルトン夫妻は王都の城下町へ立ち寄り、帽子屋や靴などの小物店へとあちこち回った。
ミューラもワンピースを買い与えられ、着替えさせられ髪を整えられた。
鏡を見ると、『孤児』から『ご令嬢』になっていた。
ワンピースは、今まで感じたことないような、とても心地よい着心地だった。
「(なんだか……ふわふわしてる。生地も……なんかしっかりしてる? 高いお洋服ってこんなに違うものなんだ)」
嬉しくはあったが、こんな服を自分が着てもいいのか、という思いが大きかった。
「あら、ちゃんとした服を着せて髪も整えたら、ハミルトン家の者に見えるわね」
「ふむ。たしかに血筋は感じるね。……ああ、そういえば約束だった」
約束だったから、と人形を買ってもらえた。
孤児の時では見たこともないような綺麗で立派な人形だった。
金髪にガラス玉でできた青い瞳。人形にも関わらず質の良い豪華なワンピースにボンネット帽子。
どこかのご令嬢のような人形だった。
だが、ミューラは孤児院でずっと一緒だった人形が恋しかった。
『アン』に会いたい……。
ただ、新しい人形も、せっかく自分のところへ来てくれたのだから、新しい友だちができたと思うことにした。
「(『アン』には会いたいけど、この子だってこれから私の友達になってくれるのだものね)」
馬車の中で、涙が止まったあとは、ずっとその人形の瞳と見つめ合っていた。
◆
馬車はやがて、格子向こうに立派な庭園の見える大きな屋敷の手前で止まった。
「やれやれ、結構な長旅だった」
「そうね。でも、ついでに王都で買い物もできましたわ」
美しい庭園を両親について歩き、大きなドアをくぐると、広いエントランス、見上げると大きなシャンデリアがあった。
高そうな壺や絵画が飾られており、ミューラは、いつか学校の授業で訪れた美術館のようだ、と思った。
「おかえりなさいませ、旦那様、奥様」
メイド長だと思われる年配の女性が綺麗な姿勢で、ハミルトン夫妻を迎えた。
「ああ。留守番ご苦労だった、マァラメイド長。ところで、この娘の部屋は用意できているかね」
「はい、ご用意してお待ちしておりました。その、お名前は……エレナ様でよろしいのですか?」
「(そういえば、私の本当の名前はエレナだって言ってたわね。これからはエレナ、なんだ)」
「いや、ミューラだ」
「(……え)」
「そうね、今までミューラで過ごしてきたのだし、それに――」
「旦那様、奥様……それは」
その時、エントランスに鈴を転がすような声が響いた。
「お父さま、お母さま!! おかえりなさい!!」
そう可愛らしく大きな声を上げながら、エントランスの中央にある広い階段を、笑顔で降りてきたのは――。
「(天使……?)」
ミューラはひと目でそう思った。
階段を降りるたびにふわりと広がるハニーブロンドに抜けるような白い肌。
髪と同じ色の長く豊かなまつげに縁取られた大きな瞳は、宝石のような綺麗な青色。
白いレースで彩られた豪華なピンクのワンピースに、緩くウェーブのかかったその髪をサイドを編み込みし後頭部でまとめたハープアップは白いリボンでまとめられていた。
まるで、ミューラがいま手にしている人形が、そのまま人間になったのかと思うような――いや、むしろ人形よりもはるかに美しい。
そんな少女が、体重を感じさせない軽やかさで階段を駆け下りてきた。
「お父さまぁ!! おかえりなさい!! 会いたかった!!」
少女は、ハミルトン男爵に抱きついた。
ハミルトン男爵の顔に満面の笑みが浮かぶ。
「ははは、私もだよ。――私の天使、エレナ」
ハミルトン男爵も、彼女を抱き上げると、彼女は男爵の頬にキスをして、男爵も彼女の頬にキスをした。
傍へ夫人も寄って、同じく親愛のキスを彼女と交わす。
……エレナ。
ああ、そうか。
取り違えだといっていた。
つまり、私の本当の名前エレナは――この子が使っているのね。
だから私をミューラのままに……。そっか……。
ミューラがずっと想像していた親子の再会、その理想そのものが目の前で繰り広げられている。
「(家族愛の空間が広がってる)」
男爵夫妻は疲れているのだと思いたかったが、ずいぶんとエレナとミューラの扱いに差を感じた。
「(道中、私にはあんな笑顔一度も向けてくれなかった)」
本当の我が家についたばかりだと言うのに、ミューラは自分がその場で浮いている異物のように感じた。
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