第3話後編 殻の中の卵
食事はリーナの希望で、部屋まで運んでもらうことにした。
テーブルに収まりきれない、用意された3人分の食事。日頃は一人分を3人で分けるのだが、今回は3人一食ずつという、これまでにない贅沢。
「久しぶりだぜ! ちゃんと一人前食えたのは!」
「しかも部屋の中でも、ゆっくり食べれるなんてね!」
二匹の竜は、子どものように目を輝かせる。
「二人とも、落ち着いてゆっくり食べてね」
リーナの忠告もそっちのけで、二匹はあっという間に料理を食べ尽くし、そのままベッドの中に潜り込むと、深い眠りについてしまった。
「二人とも疲れてたのね。いつもごめんなさい。お腹いっぱ食べさせてあげられなくて」
リーナな二匹に毛布を被せてあげると、部屋の窓を開け、闇夜に包まれた街を眺める。
時刻は深夜というほどでもないが、人が一人も出歩いていない。
冷たい無機物の石の道が伸び、物言わぬ石造りの家屋が建ち並ぶだけだった。
辺りは寝静まりかえり、人の話し声はおろか、服が擦れる生活音すらも耳に入ってこないほど、街は静寂に支配されていた。
そこに、部屋の戸をノックする音が響く。
「食器を回収しに伺いました」
宿屋の主人目だけを覗かせて、相変わらずレインコートのような薄手のコートを着ながらやって来た。
「ごちそうさまです。とても美味しかったです」
部屋に入った主人が見たものは、何一つ残らずきれいに平らげてあった食器たちであった。
こんな華奢な少女が3人分も?
と訝しむ主人ではあったが、そのようなことはどうでもよかった。
「その……少しよろしいでしょうか?」
「はい」
リーナに話しかけるも、なにか喉に詰まらせたような、煮え切らないような素振り。
うまく言葉を出せないでいる主人は、取りあえず椅子に腰かけると、リーナもベッドに腰を下ろす。
しばらく主人は唇をモゴモゴさせた後、ゆっくりと口を開く。
「その、なんと言いますか……不躾な質問で申し訳ないのですが、見たところ貴女はスキルもないのに、どうして一人で旅などしているのか……と思いましてね」
「そうですね、私自身、世界の多くのことを見てみたいという気持ちもありますし……
私の力が、少しでも多くの人たちの助けになれば、という思いで旅を続けているといったところでしょうか」
ためらい無く流れるように答えるリーナ。
スキルもない、こんなお嬢さんが?
多くの人たちの助けに?
と男は疑問を抱いたが、それ以上の魅力を感じさせる何かを、このリーナのいう少女は持ち合わせている。そんな錯覚に、彼女の目の前にいるだけで陥ってしまうのだった。
それゆえに、リーナの言葉には妙な説得力があり、男は納得してしまうのだった。
「その……この街に来て、何か気が付くことはありませんでしたか?」
「ええ、みなさん体を隠すようにして。まるで自分の能力を隠すかのように」
「……ええ、その通りなんです」
そうつぶやく男は天を仰ぎ、遥か彼方の昔話を思い出すかのように、語り始めた……
「かつてこの街周辺は、ある王家一族による王政の国に属しておりました。
しかし、何の能力もない貴族や、無能な王族により国は荒廃し、ついに国民が立ち上がったのです。
蜂起した民たちにより、王族、家臣たちは追放。そして優秀で、能力の高い者たちが集まって、合議して国を運営する今のシステムが確立されました。
そこまではよかったのです。そこまでは……」
リーナは黙って男の話に耳を傾ける。
「血筋や血統、家柄に関係なく、己の才能一つで成功できる。だれでも国の運営に携われるチャンスがあった。それで最初の頃はうまく機能していたのです。
ところが次第に政治は、
スキルや守護精の差によって新たな差別が始まったのです。
家系や血筋という古い呪縛から、生まれ持っての才能、スキルで左右されるという新しい束縛による社会に。
変えようのない、努力ではなんともし難い素質や才能によって、新たな階級制度が生まれてしまった。たいした役に立たない能力者は冷遇され、社会から見放されてしまう。
新たな弊害が生まれてしまったのです」
男の声は次第に強まり、体を震わせながら続ける。
「これでは以前の絶対王政時代と何ら変わらない! 本来的、人間はみな自由で平等なはずだ! 誰もが国政に携われるはずだと。
そこで私たちが取った手段は……」
「他人にスキルを見せないこと……ですか?」
リーナが主人の代わりに代弁し、男は静かにうなずく。
「こんなことになるのなら、スキルなど最初からないものとして考えればいいこと。
そうして私たちは、体を覆い、自らの能力を隠すことに勤めました。
相手のスキルを探ることもなければ、自分からさらけ出すこともない。
次第に他人と話すこともなくなり、交流することもなくなり……」
そして男は、
「こんなはずでは……」
と潰れた声で唸り、頭を抱えこむ。
「すみません、旅人の貴女には関係のない話でしたね。
スキルの無い、それでいて街の住人でない貴女を見たら、つい久しぶりに誰かに、このことを打ち明けてしまいたくなり……」
「辛い思いをされてきたのですね。話してくださり、ありがとうございます」
リーナの抱いていた、この街の不自然さは、これでようやく理解することが出来たのだった。
「この街のおかれた事情は理解できました。それぞれ考えがおありなのだと思います。
現在のこの状況は、相手を傷つけないための皆さんの苦渋の選択だったのですね」
リーナは主人に歩み寄ると、そっとその両手を握りしめる。
男は白い手袋をはめていたが、微かに中から守護精の光が漏れ出していた。
主人は恥ずかしさと、自分の守護精が見られることへの恐れで、慌てて手を引っ込めようとしたが、リーナの強い力で握られて、離すことができなかった。
「スキルは自慢する必要も、見せびらかす必要もないですが、隠したり捨てたりすることもないと思いますよ。自分のスキルがどんなものであろうと誇りをもち、相手のスキルがなんであろうと尊重する、それが大事なんだと思いますよ」
真っ直ぐ男の瞳を覗き込むリーナ。
そのあまりの純粋さに男は、胸から込み上げてくる熱い何かから逃れるように、手を振りほどいてしまう。
「実は私も、あいにくスキルは持ち合わせておりませんが、とても大切な仲間がいるんです」
そう言うとリーナはベッドの毛布を剥ぎ取った。
「なっ!? こ、これは!?」
そこには青赤の二匹のドラゴンが、寝息をたてながら横たわっていた。
思わず男は椅子から転げ落ちる。
「この子達は私の体の一部も同然の存在です。どうですか? この子達が私と一心同体だとしても、私のことを区別しますか?」
主人は目を見開き、口を半開きにしながら、首を横に振る。
「スキルも同じです。それによって本人の評価は左右されないと思います。ご主人にも立派な守護精のスキルをお持ちだと思います。どうかその事に、自信を持ってください。
あっ、でも、ごめんなさい。私も二人と一緒にいると、みんなが驚いたりするので、今回みたいに隠して旅をしたりしてますので……
私も、皆さんと同じですかね」
そう言うと「ふふふ」とリーナは可愛らしく笑い、それにつられて思わず主人も笑ってしまうのだった。
翌朝、リーナが頼まずとも3人分の朝食が部屋に運ばれた。
「朝飯まで食えるなんて! なんてついてるんだ!」
「ここの宿、ホント素敵ですね、リーナ様」
「ええ、そうね。料理も美味しいですし」
朝食を食べ終え、身仕度を済ませるとリーナ達は次の街へと旅立とうとする。
部屋を出てると、主人がわざわざ見送りに来てくれていた。
「ありがとうございました」
と、主人に挨拶するリーナ。
「いいえ、こちらこそ」
主人は昨日とは違い、あの体を覆うコートは身に付けていなかった。
素顔もあらわとなり、その表情はどこか晴れ晴れとした清々しい顔つきだった。
そして手袋の外された両手は、守護精のオーラで光に包まれていた。
「あの、最後に一つ。恥ずかしいのですが、私のスキルを見ていってもらえませんか?
ここ何十年も他人に見せたことのないスキルですが、よろしければ……」
「はい! ぜひ、拝見させてください!」
男が大事に持っていた細長い箱。
中には黄金色に輝く横笛が、丁寧に収められていた。
「本当に久しぶりで……昔はよく吹いたのですが」
そう前置きをして、横笛を口へと付ける。
長い眠りから覚めた横笛は、そのブランクを感じさせないほど、美しい音色を響き渡らせた。
まるで天から降りてきた天使たちの囁き声のような旋律。
森でお喋りする小鳥たち、
風が木々を揺らし、
川が水を優しく撫でる……
そんな美しい光景が広がるような、優しく柔らかい音色が、朝焼けと共にこの街を包み込んだ。
独奏が終わると、リーナは拍手を送る。
バックパックの中の二匹は、何が起きてるのかと首だけ出して、男の奏でる音色を聴いていた。
「久し振りにこうやって、人前で吹きましたけど……意外と体は覚えているものですね」
自由に伸び伸びと、好きなことをできた喜びは、主人の表情からも明らかに見てとることができる。
「とても素敵な能力だと思います。
これだけの才能、自分一人だけに秘めておくには勿体ないと思いますよ」
「そ、そうでしょうか?
こんな笛が吹けるだけの技術があっても、なんの収入にもなりませんし、狩りもできなければ、街づくりにも、政治にも全く関係ない。ゴミのようなスキルですが……?」
リーナは強い否定を込めて首を振る。
「そんなことはありませんよ。そのスキルは多くの人の心の支えになるはずです。現にその音色で、私の心を幸せにしてくれましたから」
「えっ?」
何かに気付いたように、主人は目を見開く。
「どうか自信をもって! そのスキルは多くの人に必要で、苦しむ人達の励ましにつながると思います」
「なるほど……分かりました、ありがとうございます。もう一度、頑張ってみます」
お互いにっこりと笑顔で見合わす。
顔を覆うことも、
声を遮ることも、
スキルを隠すことも、
もう二人の間には不必要となっていた。
「お世話になりました。またここに立ち寄った際には、素敵なメロディーを聴かせてください」
「またぜひ、お越しください」
主人の横笛を握る手に力が込められる。
そしてリーナは微笑みながら挨拶して、宿を後にした。
この前通ってきた出入口を抜け、リーナは街を出る。
相変わらず、細かい手続き無しで、すんなりと通してくれた。
「なあ、なんであの男、突然、笛なんか吹いたんだ?」
「お別れの挨拶なんじゃないの? この街の?」
狭いバックパックから抜け出した二人は、さっきの宿屋の主人の行動が、奇妙に思えて仕方がなかった。
「あんなことやって、なんか意味あんのか?」
「野蛮なアダルには、芸術は分からないのよ」
「はぁ!? 音楽で腹がふくれるかよ!」
「食べることしか考えてないアダルには、一生分からないわよ!」
言い争う二匹をなだめるようにリーナは言う。
「確かに綺麗な曲を聴いても、お腹は満たされないけど……
でも、心は満たされるわよね」
その言葉通り、リーナは今、とても幸せな気持ちで満たされていたのだった。
そうさせたのは、あの美しい音色のせいだけではなかった。
宿屋の主人が、今まで閉じ籠っていた殻を破り、新しい世界へと飛び立ったということが、まるで自分のことのように嬉しく感じていたのだった。
リーナは今一度、歩みを止め振り返る。
高くそびえる街の外壁。
それを飛び越えて、あの美しい旋律がここまで聴こえてくる……
そんな気がしてくるのだった。
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