第2話後編 箱入り娘の箱入り卵

 早朝からリーナの仕事は始まった。


 それは主に馬の世話。


 水を汲んで来たり、餌を与えたり、草を運んだり、馬を散歩させたり、掃除したり……


 ところがリーナは一つも満足に仕事をこなすことは出来なかった。

 水はこぼし、餌は転んでばら撒いて、草は風に飛ばされ、馬には置いて行かれ、掃除すればなぜか現状以上に汚くなり……

 そう、リーナはスキル無しの能無し、不器用。やる気や意欲はあっても、結果が伴わないのであった。


 昼過ぎにようやく一連の作業が終わり、作業着を泥だらけにしたリーナが、男に報告をする。


「ランバートさん、終わりました!」


 悪意のない屈託な笑顔のリーナに、さすがに苦笑いをする。


「あ、ああ……ご苦労様……」


「次は何をしましょう!」

「いや、もう大丈夫だから。お昼休憩でもしておいて……」


「はい! では休憩後は何を?」

「え? あ、ああ、そうだなぁ……馬のブラッシングでも……」


 何をするにも全力投球のリーナは、寝床である牧草の山に、倒れるようにして背中を預ける。


 しばらくすると、今朝の時のように使用人が朝食をリーナに持ってくるのだった。

 しかし今朝と違って食事を運んできてくれた人はハンナで、貴族のお嬢様のような可愛らしい青いドレスに包まれた小さな体で運んできたのだった。


「お嬢様!? このような所に! あれほど入ってきてはなりませんと!」


 そんな。の姿を見つけ、慌てて駆け寄る。


「いつものように、お父様には内緒ね」

「困ります。私が罰せられてしまいますので」

「私、リーナさんと一緒にお昼が食べたくて!」


 どうやらこの子は、ここのあるじの御令嬢のようである。

 身なりからもそれはうかがえて、この厩舎の立ち入りは諫められているようだった。


「ランバートさん。私もお話してみたくて。もしご主人に咎められるようなことがありましたら、私のせいにしてください」

「しかし……ですね」


 二人の美しい女性から懇願する眼差しを向けられ、は何も言えなくなってしまう。


「そう……ですか。では私は何も見ていなかったということで……」


 そう言うと、頭を掻きながら奥へと引っ込んで行ってしまった。

 ハンナはドレスが汚れるのも気にせず、リーナの横に腰を下ろす。


「リーナって、どこから来たの?」

「そうね……ここから遠くの……西の方からかしら?」


「そとの世界ってどうなってるの?」

「外の世界は、まず、広いわね」


「広いの? ここのお庭よりも?」

「そうね。ここよりも、公園よりも、もっと広いわね」


「へぇ――!!」


 獲物を見つけた子猫のように、目を大きくしてリーナの一言一言に興味を書き立てられる。


「外では、動物もたくさん暮らしてるのよ」

「どうぶつ!?」


「ウサギとか鹿とか、鳥なんかも」

「ほかには!? ほかには!?」


 幼いハンナにとっては、この屋敷の中の出来事が世界の全てであった。

 厩舎の出入りも制限されていた。なら、きっと屋外にも自由には行き来することはできなかったのだろう。

 そんな彼女にとって旅人というリーナの出現は、興味が掻き立てられじっとしていることが出来ない存在はだったのだ。


 それからというもの、暇さえあればこっそり厩舎に忍び込んでリーナと話をするハンナなのだった。


 馬の上納期限まで、残り3日。

 馬たちのコンディションは良好だった。

 リーナの仕事っぷりは相変わらずだったが、リーナの世話とブラッシングのお陰で、美しく上品な馬へと仕上がっていた。

 

 鹿毛の馬の背中を、優しく丁寧にブラシでさするリーナ。

 その様子を馬の頭を撫でながら眺めるランバート。感謝の言葉を述べる男。


「馬たちの機嫌もだいぶ良くなってきた。これもリーナ、君のお陰だよ」

「ありがとうございます。でも私、たいしたことしてませんが?」


「これだけでも大したもんだよ。馬ってやつは人の心が分かる生き物でね。気に入ったやつにしか自分の体を預けないんだよ。

 その点、君はどの馬からも好かれてる。こんなに大人しくブラッシングさせてくれるなんて、そうそうないからな」

「そうなんですか? みんないい子に見えますけどね」


 才能の無い少女が必死になって馬の世話をする。

 何度も失敗しても不平不満を漏らすことなく。

 なんとも不思議な魅力のある少女だと、ランバートは思っていた。


 そこでランバートは、気になっていた一つの疑問を問いかけるのだったた。


「君は大変だな。その……スキルも無くてこんな厳しい旅を続けているなんて」

「大変……かもしれませんが、辛いとか苦しいとか思ったことは、ないですね」


「尊敬するよ。君みたいに真っすぐ生きられるなんて。俺なんかは、自分にももっと良いスキルがあればと何度も思ったもんだが……」

「あら? ランバートさんも、とても素晴らしい能力をお持ちだと思いますが?」


「自分には馬を世話する能力しかないからな。だからこんな厩務員ということしかできなかったんだよ。

 本当はもっと収入の良い職について、家族に楽をさせてあげてればと……」

「立派な能力だと思いますよ。私の生まれ育った街には、これほどの数の馬たちの世話を出来る人はいませんでしたし。

 なによりも、この子たちが凄くランバートさんに懐いてますから」


 屈託のない笑顔で話すリーナの顔を見ていると、逆に励まされてしまうランバートだった。


「ところで少しお尋ねしたいのですが……」


 少し間を置いて、今度はリーナが質問をする。


「ハンナちゃんのことですが……」


「ああ、お嬢様のことで? あの子はこの屋敷の旦那様の一人娘で、大層可愛がられておいでで……」

「そのようですね」


「旦那様は若いころは大変苦労されて。一代でこの財を築いたお方です。馬のブリーダーとしての能力が高く……」

「それでこのような?」


「でも数年前、奥様は、お嬢様を出産されて間もなく、流行病で亡くなられまして。そのためお嬢様は屋敷の外へは一歩も出さずに……」

「それではお友達も、お勉強も?


「外部との接触はほとんど許されず、すべて屋敷の中で済ませておられます。なので同年代の友達と呼べる者も存在せず…… きっとそのせいで歳の近い女の子の君のところに頻繁に来てるんじゃないかね?」」

「それではハンナちゃんがあまりにも可哀想では?」

 

「私からは……何も申し上げる権限はございませんので……」


 その事は男も胸に抱いてはいたが、立場上、申し上げることが出来なかったのだった。


「では、ハンナちゃんの守護精の卵は……?」


「ええ、あれは旦那様が預かり、厳重に保管しているのです」


 その言葉に、リーナは顔をしかめる。


 卵は人がこの世に誕生すると同時に、一緒に抱えながらやってくるもの。

 それは神様から一人一人に贈られたギフト。

 その子の体の一部も同然。肌身離さず持ち歩き、共に経験し成長し、それが糧となりスキルとして孵化するものだ。

 それを子どもから引きはがし、親が管理するとは、よほどの事情があるに違いない。


「旦那様の配慮でしょう。無くしたり割ったりしないようにと」

「本来はハンナちゃんが、肌身離さず生活を共にするべきだと思いますが?」


「これも……旦那様の愛情の形なのでしょう」


 そう小さく言葉を捻りだすと、これ以上、この話題が続くことはなかった。


 厩舎の出入りを禁じられているのも、。

 外の世界に憧れを抱いていることも、

 友達と遊びにも、学校にも行けず、

 果ては卵を奪われ管理されるとは。


 ハンナの置かれた事情を把握したリーナは、今晩直接ハンナに尋ねることにしたのだった。



 夜になり、いつものように牧草に寝転ぶリーナ。


「さーて、今日はあのちびっ子、何を持ってきてくれんのかなー 肉かなー魚かなー」

「もー 食べることしか考えてないで! 今日一日中寝てたくせに!」


「しょーがねーだろ? やることねーんだし。俺たちが馬の前に出て行ったら、吠えられるだろ?」

「まったく! リーナ様からも何か言ってください……って、どうかしたんですか?」


「え? なんでもないわ」 


 今夜も小さな灯りを揺らしながら、ハンナがやって来るのだった。


「あのね、リーナお姉ちゃん、私ね……」

「ハンナちゃん。大事なこと聞いてもいいかしら?」


「あ、は、はい?」

「ハンナちゃんの卵はお父様が持っているの?」


「う、うん。部屋の金庫に大事に持ってるって……」

「その守護精の卵はハンナちゃんの物だからね。ハンナちゃんがいつも大事に持っていないといけないのよ」


「……うん。……それは」

「卵は身体の一部だから、いつも一緒にいないといけないの。一緒にいろんなことを体験して勉強しないと、健康なスキルは生まれないの」


「私も本当は……

 卵をなでてあげたいし……

 一緒に出かけたいし……

 でもお父様が危ないからって……」


「今度、私からもお願いしてみるわ。卵を返してもらえるように」

「ほんと?」


 喜ぶハンナに微笑んでうなずくリーナ。


 そこから夜遅くまで、二人の話が続くのだった。


「もうこんな時間、ハンナちゃん、もう戻らないと」

「また明日も、いっぱいお話聞かせてくれる?」


「ええ」

「ありがとう! じゃあ、お休みなさい!」


 元気よく挨拶すると、パタパタと楽しそうな足音を響かせて帰って行った。


「ふぅ~」

「あら、アダル、まだ起きてたの?」


 バックパックの中から首を出す二匹。


「こんな耳元で話されたら、寝れるわけねーよ。それに飯も食ってないし」

「ねえ、リーナ様? また変なこと考えてるのではないでしょうね?」


「変なことって?」

「……その……あの子の卵を親から取り返すとか、どうとか……」


「そうね、明日の朝のお仕事が終わったら、聞きに行きましょうか?」

「放っておけって。他人様のことなんて、どうだっていいじゃんか。それにそんなことして怒らせたら、ここに居られなくなっちまうぞ?」


「このままではハンナちゃんが可哀そうでしょ? 卵と引き離されて。外に遊びにも行けないなんて」


「アダル、もう無理よ。こうなっちゃったらリーナ様、なにも聞かないんですから」

「あーあ、明日からまた食い物無しか……」



 ――翌日――


 朝の務めをこなしたリーナは、昼休みにハンナの父親であるこの屋敷の主人に面会したいという旨を使用人に伝える。



「旦那様に、感謝の意を?」

「はい。寝床だけでなく食事までいただき、とても感謝しております。ぜひ一度ご挨拶をと思いまして」



 こうして使用人のとりなしで主人に挨拶をするという形で、リーナは直接言葉を交わせる機会を作ることに成功した。


 必死に引き止める二匹は、バックパックの中に忍び込み静かにしているから、せめて一緒に連れて行ってくれと願った。、


 顔を洗い、髪をとかし、身だしなみを整えたリーナはバックパック手に、案内する使用人の後について屋敷の中へと入って行く。


 初めて入る邸宅内はとても明るく華やかで、高価な陶器や絵画などが廊下に並べられていた。


 そして案内された一室は主人の書斎であり、奥中央に立派なデスクが置かれ、髭を生やし肉付きの良い体を持った貫禄ある男が座っていた。


 リーナは一礼すると、臆することなく口を開く。


「私、イデリーナと申します。この度はご当主様のご厚意により、夜床と食事を頂戴いたしまして、ありがとうございます」

「ああ、話は聞いてる。まあ、よく働いてくれてるそうじゃないか。残り二日だが、引き続き励んでくれ」


 主人は興味なさそうに、山のように積まれた書面に毛を取られ、リーナに目を合わせることなく言葉を返す。


「無礼を承知でお願いがございます。ハンナちゃんの卵を本人に返してあげてください」

「なっ!!?」


 突然で、あまりに直球すぎる予想外の発言に、周りの人間全員が驚きで硬直した。

 

「聞くところによりますと、ハンナちゃんは卵の取り上げられ、屋敷の外へも一歩も出られず……」

「貴様!! 何様のつもりだ!! 能無しの浮浪者のくせに!! こいつをつまみ出せ!!!」 


 立ち上がり激高する主人。


 そこからは、ほんの一瞬の出来事だった。


 使用人と執事に両脇を抱えられて部屋をつまみ出されたリーナは、そのまま屋敷の外へと連れ出され、放り投げられてしまった。

 さらに地面に倒れ込むリーナの上に、無造作に投げられたバックパックが落ちる。


「ぐうぇ」という潰れる悲鳴が中から洩れる。


「ほらー こうなった。どうすんだよ寝る場所と食い物!?」


 ゆっくりと立ち上がり、ほこりを払うリーナ。

 門の前まで向かうと、立ったまま無言の抗議を続ける。


「リーナ様……もう無理ですって。もうちょっと考えて行動してください」


 こうして半日、日が暮れてもリーナは微動だにしなかったのだった。



「いつまでいるつもりだよ……」

「……」


「リーナ様、今日は一度どこかで休んでから……」

「……」


 頑なに意思を曲げようとしないリーナを、二匹が説得している、その時だった。



「火事だ――!!」



 何処かから聞こえる悲鳴。


 行き交う人々が慌ただしくなる。


「火事かしら?」

「あ? そうなんじゃね? 俺たちには関係ねえけど」



「アダル? どこで火事が起きてるか見てきて! お願い!」

「あ――!? なんで!」


「ここまで燃え広がったら大変だから!」

「しゃーねーな――」


 仕方なくアダルは、夜空へと飛び上がる。

 上空から見た街で、火事の現場は一目瞭然だった。

 一カ所、ごうごうと火柱を上げて赤く染まっている場所がはっきりと分かったからだ。


 そこまで飛んでいくと、火事の現場に見覚えがあることに気付く。


「ここって……?」


 出火場所は、リーナが宿泊を断られ、その直後に金持ち夫婦が宿泊していった、あの宿屋だった。


 そして中から、服が黒く焦げたボロボロの状態で、命からがら這い出してきた金持ち夫婦の姿が。


「大丈夫か? おい?」

「これは、酷い火傷だ……」

「どうやら、こいつの部屋から火の手が上がったらしいぞ?」

「なんだ?こいつらの火の不始末のせいっていうのか!?」


 駆け寄った住民たちが、そのように騒いでいた。


 その様子を見聞きしたアダルは、

「ふ~~~~~ん」

 と唸り、リーナのもとへと戻っていった。


「どうだった? アダル?」

「別に。大したことねーんじゃね」

「……そうなの?」


 他人事のように報告するアダルではあったが、事態は思ったより深刻だった。

 夕食時で炊事の最中だった時間帯。

 日も沈みランプに火をともし始めた時間帯ということも相まって、混乱に乗じてあちらこちらで火の手が上がってしまう。

 大きな炎へと発達した火事は、瞬く間に街中に広がっていく。

 そしてその炎は、この屋敷まで迫ろうとしていた。


「おいおいおい? リーナ? いつまでいるつもりだよ? 俺たちも逃げないと!」

「今なら入れるかも」


「リーナ様!?」

「ハンナちゃんも、卵も気になるし」


「あいつらなら、勝手に逃げてることだって!」

「でも、ここにずっといても、誰も出てこないわよ。ねえ、二人とも、私を中に運んでくれる?」


「正気かよ!!」



 街中混乱し、屋敷中も騒めくのだった。


「ハンナ!」

「お父様!」


 自室で怯える愛娘を抱きしめる主人は、

「ここにいれば安全だ。心配いらないよ」

 と、恐怖で震える娘を落ち着かせる。


「旦那様! ここもいつ火の手がやってくるか! 早くここからお逃げください!」

「なんだと! この屋敷を見捨てろと! なんとかしろ!」


「しかし……」

「早く火を食い止めろと言っているのだ!」


 この屋敷には多くの調度品や美術品が置かれていた。

 それを灰にすることは、屋敷の当主として許されなかったのだ。


 非難を促す使用人や執事の聞く耳を持たず、あくまでこの場に残ろうとする主人。

 周りはどうすればいいのか分からず戸惑うばかり。


 そこへ厩務員のランバートが駆けつける。


「旦那様! このままでは厩舎にまで炎が! 馬たちを放ちます!」

「バカ者! 大事な商品を逃がすやつがあるか!」


「しかし!!」

「なんとしてでも火を食い止めるんだ!!」


「馬ごと燃えてしまいます!!」

「それをなんとかするのがお前たちの仕事だ!!」




 夜のはずの窓の外が、夕焼けのように真っ赤に染まる。



「いかん! このままでは旦那様が! お連れするのだ!」

「お前たち! なにをする!」


 業を煮やした執事が全員に号令し、主人とハンナを担ぎ屋敷から避難させるのだった。


 そして全員が屋敷の外へ出た瞬間、


 塀の高さを乗り越えた炎が屋敷の屋根に飛び移り、赤く燃え盛りはじめた。


 全員の目の前で炎に包まれる屋敷。


 皆、それを眺めることしかできなかった。


 ランバートは厩舎のことが気がかりではあったが、もう手遅れの状態だった。

 世話をしてきた馬たちは、無残にも炭となってしまうだろう。

 しかし、旦那様とお嬢様が無事であったことが不幸中の幸い。


 燃え盛る屋敷を、なにもできず呆然と眺める。

 

「お父様! 私の卵は! 卵!」

「ああ!!」


 そこにハンナの悲鳴が響き渡る。

 全員が屋敷のへと視線を戻す。


 ほとんどの者が逃げるので必死で手ぶらで避難していた。

 ハンナの卵が入った金庫のことまでは、注意が行き届かなかった。


 その時だった。


「ハンナ!!」


 父親の腕を振り払って、ハンナが自分の卵を取りに燃え盛る屋敷の中へと走り出したのだ!



 一人、燃え盛る屋敷の中へと入って行くハンナ。


 それを追おうとする主人を引き止める執事たち。


「旦那様、いけません!」

「なら、誰か助けに行くんだ!! ハンナが!!」


 火の手は早く、もう誰も助けに入れる状況でないのは明白だった。


 泣き叫ぶ主人を、泣く泣く引き止める使用人たち。


 しかし、その脇で一人の少女が豪華の中に突き進んでいくのを目にするランバート。


「あれは……リーナ?」



 炎に中、突き進んでいくリーナ。


「アダル、お願い!」

「なんだこれ? こんな炎で騒いでんのか? 俺の炎の方がよっぽどスゲーぜ!」


 炎を強力なブレスで吹き付け、火を火で消すという荒業。

 燃焼すべき酸素を全て燃やし尽くし、さらに延焼を防ぐため、周囲のものを一瞬に消し炭と化してしまう。


 ハンナと卵を探し回るリーナとアダル。


 そしてついに見つけ出す。


 書斎に置かれた小さなタンスほどの金庫。

 それを抱きかかえるようにして倒れ込んでいたハンナ。


「ハンナちゃん! 急いでアダル!」

「はいはい」


 アダルは意識のないハンナの首根っこをくわえて飛び立つ。

 そしてリーナは自分よりも重い金庫を引きずりながら、屋敷を脱出するのだった。


 だれもが庭先で絶望する中……



「あっ! あれは!?」


 一人の使用人が指さした先には、


「おお! ハンナ!!」


 そして謎の空を飛ぶ青い生き物。


 救出されたハンナだけでなく、さらに驚愕するものが?

 頭上に赤いドラゴンも飛んでいるではないか。


「ハン! 大丈夫だったか!?」


 主人が駆け寄り抱きかかえようとするが、


「ちょっと! 退きなさいって! 火傷してるんですから!」

 と、赤い竜が羽をバタつかせ遠ざける。


「お、お前は……?」


 

 驚く人たちを尻目に、デルマは意識のないハンナの上に舞い降りる。

 その瞬間、炎とは違った赤く温かい光に包まれる。

 するとハンナの赤く腫れあがった皮膚は、たちまちいつもの瑞々しく柔らかい肌へと回復していった。


「……ぅ……ぅぅ……」

「ハンナ!」 


 静かに息をするハンナを力いっぱいに抱きしめる父親。


 みんながハンナの無事に喜んでいるところで、リーナがボロボロになりながらも、金庫を引きずりながらようやく辿り着く。


「リーナ様!」


 急いでデルマが回復をする。


「私は大丈夫だから、この中の卵を…… アダル、壊してくれる?」

「これ……もう中身は……ゆで卵になってんじゃねーの?」


「アダル!!」

「はいはい」


 鋭い爪と牙でガリガリひっかくと、書類や宝石、貴金属に混じって、中から小さな箱が転がってくる。


「これねきっと!」


 箱を慎重に開けると、そこには薄黄色に輝くハンナの卵が。


「よかった無事で!」


 リーナはフラフラな足取りで、ハンナのもとへと歩み寄る。


「お、お前は!」

「これはハンナちゃんの卵です。本来の持ち主にお返ししますね」


 そう言うとまだ眠ったままのハンナの手を取り、卵を握らせる。


 心なしか卵の輝きが増し、一回り大きくなったような感じだするのだった。


 

 ◆◇◆◇◆◇




 真っ赤に燃えた夜が明けるころには火の勢いも衰え、さらなる延焼は防がれたが、街の3分の1を焼失するという大災害となった。

 逆に言えば、その後にアダルが吹き付けて回った炎のブレスによってそれ、これ以上の被害を防ぎ、これだけの損害で済んだともいえた。


 辺り一面に焦げた匂いのする街。


 憔悴しきった人々はその場に座り込み、怪我人は全焼した屋敷跡を先頭に、列をなしてデルマや医者、回復術師の治療を受けていた。


 全てを失い呆然とする主人。


「また、一からやり直しか……」


 いや、全てではなかった。

 両腕の中には、最愛の娘のハンナが。

 そして娘の手の中には卵が眠っていた。


「旦那様……」


 周りには仕えていた使用人やランバートの姿が。


「お前たち……お前たちに支払う賃金ももうない。好きにするがいい」

「お言葉ですが、旦那様。私たちも帰る場所はここにしかないのです」

「……そうだったな」


 この男が召し抱えていた使用人も恵まれなかった者たち。

 それを養う形で雇っていたのだった。


 そこへ遠くから馬の蹄の音が響いてくる。


「みなさん、こちらですよー」


 胸いっぱいに牧草を抱えたリーナを先頭に、厩舎にいたはずの馬たちが連なって戻って来たのだった。



「すみません。私の独断で馬たちを解き放っておりました」

「リーナ……」


 事前にリーナはデルマに頼んで、馬を小屋から放っていたのだった。


「愛されていた者たちは、大好きな場所に自然と戻ってくるものですよ。

 その証拠に、ちゃんとみんな戻ってきましたから」


 主人が改めて見渡せば、いつもの顔ぶれが一人欠けることもなく並んでいた。


 そして自分の手の中には……


「ハンナちゃんとその卵も、そんなに大事に囲わなくても、どこにも行ったりしませんから」


「……ん……」

「ハンナ?」


 ハンナは意識を取り戻し、ゆっくりとまぶたを持ち上げる。


「……ここは?」

「よかった! 本当によかった!」


「私、たしか、火の中で……卵は!?」


 その手の中には、黄色い卵


「よかった! 私の卵!」


 お姉ちゃんが、助けてくれたんだよね! お姉ちゃんと、きれいなドラゴンが!


 そこへ人参がいっぱい詰まったバケツを、口にくわえてやって来る青い竜。

 そして馬の前でバケツ後と落とすと、殺到する馬の首たち。


「おい! 俺の分も残しておけよ!」

「ねえ、私もお腹へったん出すけど。さっきから回復してばっかで……」


 そこに赤い竜もやって来て、馬と一緒に人参を食べ始める。


「あのドラゴンは? リーナの?」


 不思議そうに見つめるハンナ。


「そうよ。私の卵から誕生したのよ」


 優しく微笑みながら言うリーナ。

 そういって周囲を驚かすのだった。


 その様子を見て主人は呟くのだった。


 「そうか……大切なものは、また自ら戻ってくるというのか」




 ―――その後、街をあとにしたリーナたち―――


 いつものようにフードを深く被った小柄な旅人が、自分の体以上の大きさのあるバックパックを背負い、街道を歩く。


「なあ、急いで出る必要なかったんじゃねーか?」

「そうですよ。もう少しゆっくりしていっても」


「みんな復興で忙しそうでしたし。少しお手伝いしようかとも思いましたけども……」

「まあ確かに、リーナがいても、邪魔になるだけだしな。

 でもさあ、あんなに馬がたくさんいたんだから、一匹くらいもらえばよかったじゃんかよ」

「そうよ、馬を使えば旅だって、少しは楽に……」


「私、馬に乗れませんから」


 何故か誇らしげに胸を張って言うリーナ。


「これだからスキル無しは……」

「何かあったらどうするんです?」


「その時は……

 二人に運んでもらいます!」


「結局、俺たち頼みかよ」

「いつもと変わらないのね」

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