第1話中編 守護精の卵、未だ孵化せず


 うそ!!

 卵が孵化しない私が!

 身売りに!?


 いっこうに卵が孵化しない私に嫌気がさしたのか、お父様お母様がそのようなことを考えていただなんて!?


 あんなに優しかった二人が……

 そんなことを……


 全身の力が抜け、全ての血液が流れ出してしまうような感覚……


 抑え込めない嗚咽……


 とめどなく溢れる涙……


 そこから自室までどうやって戻ってきたのか覚えていません。


 真っ暗な部屋で毛布にくるまり、ただ震えながら明るくなるのを待っていました。


 結局……


 私は誰にも必要とされていなかった……


 この深い悲しみと絶望は、次第に怒りに代わり手の中の卵へと向けられてしまいます。


 この卵さえなければ!


 この卵のせいで!!


 そのまま強く握りしめ、投げつけよう……


 ……として、思いとどまります。


 今までの人生、一緒に過ごしてきた私の体の一部のようなもの。

 そんな卵を今さら捨てる事なんて……


 ……私には出来ませんでした。


 次の日、二人はいつものように接してくれましたが、私は顔を会わせるのが辛かったです。

 私もできる限り平静を保っていましたが、一人になったときは声を抑えながら涙しました。

 大好きで尊敬していた、最後まで味方だと思っていた人に見捨てられてしまったのだと。


 そして私は自分の運命を悟り、全てを捨てるつもりで、身の回りのものを整理し、いつでも奉仕に向かえるように身支度を整えました。


 高貴なお屋敷への仕様人として出稼ぎに行くことは、私から提案することにしました。

 自分から願い出れば、お父様達の罪悪感は少なくなるはずです。

 私の意志でこの家を、街を出たとなれば、私だけの責任となりますので。


 これが能無しの私にできる最大限の親孝行だと思ったからです。



 その日を明後日の夜と決めた、次の日のことでした……



「大変だ! 黒龍が現れたぞ!」


 森へと狩りに出ていた者たちが、慌てて街へと逃げもどってきます。


「黒竜だと!?」

「西の森で現れたんだよ!」


 街中が騒がしいく、人々が慌ただしく行き交いし始めました。


「眠りから覚めたのかもしれん。そうなると厄介だぞ!」

「エサを求めて、ここまで!?」


 私は家の窓から身をのりだし、道行く人々の話し声に聞き耳をたてます。


 どうやら黒竜が永い眠りから目覚め、こちらの街にやって来ているようでした。


 黒龍とは守護精の卵を好物とし、子どもごと食い尽くすといわれる恐ろしいモンスターです。

 見たことはありませんでしたが、子どもの頃から昔話として聞かされてきました。

 多くの子ども達にトラウマを植えつけてきた恐怖の対象です。

 神話上の生き物だと思ってましたが、まさか実在し、しかも今ここまで近づいてきているとは!?


「リーナ! こんなところにいたのか! 早く逃げるぞ!」


 部屋にお父様が駆けつけ、私とお母様と一緒に避難することに。


 取り急ぎ荷物をまとめ、家を出て逃げる途中、遠くに動く黒竜の姿が垣間見れました。

 家よりも巨大な体で、歩くたびに木や建物をなぎ倒すその様子は、まさしく恐怖の対象でした。


 あんなモンスターがここまで!?


 竜の硬い鱗は通常の武器では歯が立たないと聞きます。

 私たち一般市民は、逃げるしかありません。


「警備兵はどうした!」

「早く王宮へ兵を要請しろ!!」


 街中が騒然としています。

 すでに多くの人たちが家を放棄して逃げ出しています。


 人が洪水のように流れていきます。

 私も両親とはぐれないように、そして胸に抱えた卵を割らないように、必死についていきます。


 ここからでも、空を切り裂くような甲高い竜の鳴き声が聞こえてきます。

 竜が歩くたびに地響きがし、まっすぐ走ることが出来ずに、倒れ……


 逃げ惑う人々に小突かれながらも、


 あっ!

 た、卵は!?


 胸に大事にしまった卵の安否を確認します。

 幸い割れてはいません。


 身体や心は傷ついても治ります。

 でも、守護精の卵は割れたら終わりです。


 なんとかして、この命と共に守り抜かなくては……


 住民は街の外れの丘にある、教会へと向かいます。

 教会なら建物も頑丈で、神様の御加護により幾ばかりかの魔法防御も施されているはず。


 人々は一本の太い縄のように入り乱れながら束になり、教会の狭い入り口に殺到します。


「黒竜は子どもたちの卵が好物だ! 優先的に教会内に!」

「子どもと女性は先に!」

「動けるやつは武器を取れ! このままでは街は崩壊する! 何とかして追い返すんだ!!」


 人混みの中には、卵を抱えたまだ幼い子ども達もいます。


 大人たちは、押し寄せてきた人混みを選り分け、子どもたちを優先的に避難させます。


 卵を持った私も、いつ黒竜のその牙が向けられるか……

 恐怖でもつれる足を、なんとか前に出しながら入り口へと辿り着きます。


 悲鳴や怒号が飛び交う中、街の兵士と教会の聖職者が整理をします。


「冷静に!!」

「落ち着きなさい!」

「順番だ! 順番を守れ!!」


 そこへ私たち家族もやって来ますが、



 一人の兵士が私を見て言います……



「スペースに限りがあるんだ。お前のはもう孵化しないだろ?」



「え?」



「お前の卵はもう孵化などしないだろ!? 避難する必要ないだろ!」


一斉にこちらを見て、ざわめく人達。


「そうだ! お前が囮になって黒龍を遠ざけろ」

「ちょうどいい! その卵を持ちながら、街を出ればいい!!」

「そうだそうだ!!」



 いつの間にか私は取り囲まれて、罵声を浴びせられていました。



「……私が……囮に……?」



 それは要するに、

 能無しの私には、

 みんなの囮になって……



 死んでくれと…………?



「お父様、お母様!?」



 私は救いを求めるように、目の前の両親に視線を送りますが……



「すまない」

「……ごめんなさい、リーナ……」


 二人はたった一言、そう投げかけると、そのまま振り返り、教会の中へと消えてい……



 あぁ……



 わたしは……



 もう……



 本当に一人ぼっちになってしまった私。



「ほら、早く行かんか!」


 兵士に蹴り飛ばされ、転げ落ちる私……


 全身だけでなく心も傷ついた私には、立ち上がる気力もありませんでした。


 そこで初めて私は後ろを振り返ります。

 小高い丘から見下ろす街の中央には、ここからでもはっきりと見える黒竜の禍々しい姿が、こちらに迫っているのでした。



 そう……

 もう私の居場所は無いのです。

 全ての人に見放されてしまったのです。


 街の人や、


 友達から、


 そして実の肉親からも……



 その場で座り込み、涙が溢れ出るのでした。


 いっそのこと、もうこのままここで死んでしまえば……


「そんなところに座ってたら、囮の意味がないだろ! 早くここから遠ざかれ!!」


 遠くの教会の敷地中から、そんな声が飛んできます。



 どうせ死ぬのなら、最後はみんなのために。

 私一人犠牲になって、みんなの未来が救えるのなら。


 私は涙を拭き、決心します。

 自ら生贄(いけにえ)になることを。


 迫り来る黒龍はとても恐ろしく足が震えましたが、最後の力を振り絞って立ち上がり、街から離れるように逃げます。


 ところどころ崩壊した壁や瓦礫を通り抜けて……

 兵士が奮戦する脇をすり抜け……


 ワザと黒竜の目の前を横切ります。


「君、早く避難を!」

「私が囮になります!」


 竜の目の前に躍り出て、私は自分の卵を高々と掲げます。


「あなたが欲しいのはこれでしょ!

 さあ、欲しければ取ってみなさい!!」


 黒竜は首を大きく上げて、今まで聞いたことのない大きな鳴き声を上げます。


 それを聞いて私は必死で逃げます。



 どこをどう走ったか、


 喉が焼けるように痛く、


 呼吸するのも辛く、


 足もおぼつかず、


 とにかく遠くへ、


 街から離れるように、


 走れるだけ走って……


 振り返る必要はありませんでした。

 背後から迫る足音と息遣いで、すぐそこまで迫っていることを背中の皮膚で感じられたからです。


 私が道沿いに走るも、一直線に建物を破壊しながら迫ってきます。


 もしかしたら今すぐにでも。

 一口で食べられてしまうかも。

 踏みつぶされてしまうかも。


 黒竜とともに死への恐怖が迫っていました。


 でも、それ以上に生きることに絶望していた私は、

 最後まで、できるだけ遠くに離れて、誰にも知られることなく消えてしまおうと。

 それだけを考えて走っていました。



「……だ、だれ……か……たす……けて」


「えっ? だれ?」


 逃げる私の耳に、今、どこかから小さな声が聞こえました。


「どこ? どこにいるの?」


 足を止め、声の主を探す私は、道の脇で瓦礫に埋まって身動きが取れない二人の子どもを見つけます


「どうしたのこんなところで!」


「からだが……うごけない……よお」


 急いで駆け寄って、覆いかぶさったがれきを取り除こうとした瞬間、



 周囲は大きな影に包まれて……


 振り返ると、


 そこには、あの黒竜の真っ赤な口が……



 あっ!

 食べられる!


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