実は技巧派

カクヨムの小説はテンポ感が私に合わないことが多い。
大抵は会話文は長すぎ、地の文は短すぎる。
すると状況の説明を読み飛ばしてしまい場面が変わったことに気が付かないことがよくある。

大体、皆「テンポが良い」と言って喜んでいるが人間の時間感覚なんぞ言う程スピーディではない。
小説を読むのは時間がかかる。
時間をかけて読むうちに時間の感覚を通して主人公や語り手と一体化していく。
それを可能にする魔術的な装置こそが重厚な地の文なのだ。

本作は丁寧に地の文を書き込んでいる。
絶妙な遅さが心地よい。
カクヨム内ではテンポが遅い方に入るが小説一般に関して言えば普通だろう。

それでいて五千文字という尺に綺麗に話が納まっているのはまさに技巧を発揮した結果だ。
小説は〈過去〉に撮影された動画を再生することから始まる。
そして〈現在〉に戻るところから話が本格的に展開される。
この作品は実は一場面しか描いていないのではないか。
動画を再生することから始まる回想シーンを除けば「主人公が焼けた家の前にいる」という〈現在〉の〈場〉しか残らないのである。

話の繋ぎを巧みに省略しつつ、描くべき箇所は丁寧に描くという技術を備えている作者は(カクヨムに限って言えば)貴重だ。