炎上

黒本聖南

◆◆◆

 本能寺の変、吉原大火、地獄変。

 火をつけるより、つけられる方が、誰かの記憶に残りやすい。

 ジャンヌダルクだってそうじゃないか。罪を着せられ焼かれた彼女は、数多の人間の記憶に留まり影響を与えた。

 希望は焦げても灰にはならない。残された人々によって道は続く。それが真っ直ぐだろうと歪んでいようと、道が道であることに変わりはない。


 画面越しに燃えていく赤坂あかさかは身を捩りながら絶叫していた。助けを求めていたのか、はたまた、何かしら言いたいことがあったのかもしれないが、どんなにパソコンの音量を上げても、それを聞き取ることはできなかった。


 椅子に縛り付けられていた赤坂は最初から目隠しも猿轡もされておらず、眠っている状態で画面に映っていた。そんな赤坂を起こしたのは黒尽くめの男、日本刀を思わせる背筋の伸び方をした細身の男だった。

 赤坂はその男のことを知らなかったようで、意識がはっきりしてからはしきりに、誰なのかと困惑した表情で男に訊ねていたが、男は何も答えず、赤坂の艶めいた長い黒髪を指先で弄んでいるだけだった。

 腕も脚も椅子に括りつけられていたが、それでも赤坂は顔を背けて抵抗する。何度も繰り返していると、苛立ったのか男は赤坂を殴りつけた。一度や二度ではなく何度でも。赤坂がぐったりした所で殴るのをやめると、一瞬画面から消え、戻ってきた時には赤いポリタンクを持っていた。

 赤坂の頭にその中身をある程度ぶっかけると、男はそのまま自分の頭上にも掛けて、そして、画面に近寄ってきた。

 髭の濃い男だ。目付きは狐を思わせる。気色悪いほどに無表情で、じっとこちらを凝視した後、その口を開いた。


「かさはら」


 かさはらと、男は何度もその名を口にする。淡々と、一定の間隔で。


「かさはら、かさはら、かさはら、かさはら、かさはら、かさはら、かさはら。……正直に言うとお前が羨ましくて仕方なかった。そうだろう、お前はいつでもこの方の小説を構想をいの一番に見聞きできた。にも関わらずお前はいつもどうでもよさそうにしやがってお前は自分がどれだけ恵まれた立場にいるのか分からないのか」


 分からせてやる。

 一息にそう言うと、男はどこからかジッポーライターを取り出した。


「この方の全てを持っていく。指を咥えて見ていろ」


 そうして、後ろ向きにライターをぶん投げた。何度確認してもよく見えなかったが、その時に蓋を開けたのかもしれない。ライターは赤坂の元に届き、赤坂は燃え上がった。間もなく、叫び声も聞こえてくる。

 男は赤坂に構わず、斜めを向いていた。そこにもう一台パソコンでもあるのか、手を忙しなく動かしている。しばらくして終わったのか、後ろを振り返るとそのまま赤坂の元に向かい、まだ叫んでいる赤坂を抱き締め、一緒に燃え上がる。

 部屋が燃えていく。赤坂と男は焦げていく。俺はそれを見ているだけ。できることが他にないのだ。これが過去の記録映像だから。

 男はこの映像を、とある動画投稿サイトで生配信していた。いくら消されようとも不死鳥のように復活する。どこぞの誰かがコピーしていたのだろうか。死ぬ間際にそんな依頼をしていたのかもしれない。


『作家・赤坂ひたちとファンの無理心中』


 どれもこれも似たようなタイトル。

 赤坂は何度も焼け死ぬ。

 誰かのパソコンの中で──俺のパソコンの中で。

 毎夜繰り返し再生してしまうのは、そこにありもしない答えを探したいからなのか。


◆◆◆


 赤坂は一軒家に住んでいた。生まれ育った生家であり、既に父親はおらず、母親は故郷に戻って赤坂の祖母の介護をしているらしい。兄弟姉妹もなく、嫁も恋人もいない赤坂は一人で暮らし、そこに男は乗り込んだ。

 家は全焼。両隣も若干焦げている。


「……」


 あれからそろそろ二ヶ月が経つ。葬式はとっくに済んでいるが、あまりよく覚えていない。思い返しても、あいつの墓の前で立ち尽くしている記憶しかなかった。

 二度も焼かれたあいつの骨は、さて、どんな形をしていたのだろう。

 納骨の日の再現みたいに空き地の前に立ち尽くす。本なり花なり菓子なり、供えられたそれらから視線を逸らして、空き地を眺めていると背中にいくつもの視線を感じるが無視してそのままでいた。

 無理心中は日付けが変わる前後に起きた。善良なる市民ならとこの中だろう。両隣の住人からすれば迷惑な話だ、怪我人も出たと耳にしたことがある。

 補修工事とかするんだろうか、それとも引っ越すのか。ここはもう曰くのある土地になってしまったし、もしかしたら他所に行きたくなるかもしれない。

 などと、どうでもいいことを考えながらぼんやり宙を眺め続けていると、控えめな声で「あの」と声を掛けられる。ついに注意をしに来たらしい。退くべきだろうが俺はまだここにいたかった。

 睨めば消えるだろうか。これでも目付きの悪さには苦労してきた、ここで利用しなくていつする。

 目に力を込めて振り返る。さてそこには小僧がいた。学校帰りらしく学ラン姿であり、真っ直ぐな黒髪はもう少しで肩に届きそうで、前髪は目元を隠してしまっている。


「あ、の。あの、あの……」


 効果覿面らしい。そこまで酷いかと若干食らいつつ、視線を空き地に戻した。赤坂を偲びに来たんだろうか。一人で勝手に偲んでくれ。


「あ……の……あのあのあの!」


 小僧は自棄になったみたいに繰り返す。何がどうしてそうなるのか。無理に話し掛ける必要がどこにある。無視をしたいが小僧の「あの」攻撃は止まらない。溜め息を溢して、今度は目に力を込めずに視線を向けると、小僧は小刻みに震えており、その口から溢れ出る声にも伝わっていた。


「あああなたも、あかさかさかさかせんせいのたたたたために」

「落ち着け、壊れたラジオ」


 俺が声を掛けると大袈裟なほどに小僧の肩は跳ねた。それだけで、だいぶここに来たことを後悔しはじめている。せめて違う日に来ていたなら。

 小僧は胸に手を当て、何度も深呼吸を繰り返した後、口を開いた。


「ぼ、ぼく、赤坂先生のファンなんです」

「そうか」

「その、あんなことになって、すっごくすごく悲しくて、もう何にもなくなっちゃったけど、つい、ここに来てしまうんです」

「……」


 悲しいからここに来た、か。

 ……俺も結局、そうなんだろうか。

 来る意味なんてないはずなのに、こんな所に来て、それで立ち尽くすだけで何もしない。きっと赤坂は、そして赤坂のファンや身内は、そんな俺を憎むんだろうな。

 不安そうに俺を見つめた後、小僧は動き出す。供え物の前に座り込み、カバンからよれよれの文庫本を取り出して供えた。

 そして静かに手を合わせ、顔を俯かせる。

 することもないからその光景を眺めていた。その姿にはどことなく神聖さすらあり、俺が同じことをしてもこうはならないだろう。

 どれくらい経ったのか。小僧はゆっくりと顔を上げて立ち上がり、俺に身体を向ける。


「もう、お済みですか?」


 そんな風に訊ねられる。もう悼んだのかとか、そういうことを訊きたいんだろうが、それをする権利は俺にはない。


「そうだな……」


 何て言えばいいか、そんな思いから溢れ出た言葉を小僧は勘違いしたようで、一歩俺の元に近寄ると楽しそうに語り出した。


「やっぱり、赤坂先生のファンに悪い人なんていませんよね! ぼくの周りに赤坂先生を好きな人いなくって、今までネットでしか呟けなくて物足りなかったんですよ。どうでしょう、どこかで赤坂先生のお話でもしませんか!」


 学校ではどんな指導をしているのか。知らない人とどこかに行ってはいけませんともっと強く言え。

 どうやら長居をしすぎたらしい。小僧に返事もせずに、背を向けて歩き出す。そうしたらまた「あの」だ。そう言って追い掛けてきた。ああ、面倒くさい。

 一切小僧に目を向けずに、これまで言わなかったことを告げる。


「俺は赤坂のファンじゃない」

「またまた! だってあなた、ここにいたじゃないですか」

「それは」

「こんな所に来るなんて、よっぽど赤坂先生のことが大好きなんじゃ」

「そっちじゃない」

「え?」


「俺は、塩城えんじょうあすまの死んだ場所を見にきただけだ」


「……えん、じょうって」

「じゃあな」


 小僧が足を止めた隙に、駆け足でこの場を去る。

 塩城あすま。

 それは、赤坂を焼き殺して自分も焼け死んだ男の名前であり──俺の従兄弟の名前でもある。


◆◆◆


 織田信長ではなく明智光秀、火をつけられる側ではなくつける側に、あいつはなった。

 ストーカーじみた男だった。

 あいつの部屋の中は赤坂の写真や本や雑誌の切り抜きでいっぱいで、壁という壁にやたらめったら貼り付け、うっとりと眺めているような奴だった。

 普段は一言二言しか喋らないくせに、その部屋の中ではひどく饒舌になり、ある種の気色悪さがあったが、それでもあいつは俺の従兄弟。可哀想な境遇で俺の家に引き取られ、共に育った奴なんだ、それなりの情は湧く。


「何でそんなに、赤坂の」

「赤坂先生」

「……赤坂先生のことが好きなんだ?」


 俺がそう訊ねると、汚ならしい髭面を笑みの形に歪めて、嬉しそうに語るのだ。


「あの方の描く人は誰も彼も苦悩を抱えていて、とても他人とは思えない親しみを感じる。そういった人々が何かを為して何者になるも良し、何者にもなれず路傍の石と成り果て死ぬも良し、一つとして同じ人生はなく、一人一人に向き合って命を消費してくださる様を見ていると、私の人生も委ねたくなるのです」


 何を言っているのかよく理解できなかったけれど、取り敢えず憧れがあるということはいいことなはずと、大して咎めたりはしなかった。

 好きな人の写真を部屋に飾り、好きな人の話を楽しそうにする、それだけで済んでいるのならいいかと。

 あいつは昔から暗い奴で、言葉を知らないのかというくらいほとんど声を出してこなかったものだから、その状態が健全であると勘違いしてしまったのだ。なんなら、赤坂と出会ってくれて良かったとすら思っていた。


 それがどうだ。


 多少明るくなったかと思ったあいつは、急にまた暗く、いや、静かに怒りを溜め込むようになった。どうしたと訊ねても答えない。あいつの口から出るのは赤坂のことばかり。


「赤坂先生の新作が読みたい。先生は少し筆が遅くていらっしゃる。もう少し速くしてほしい。誰よりも速く。……ああ、あの男はきっと今頃新作の構想を聞かせてもらっているんだ。何にも代え難い至福の時を真面目に過ごそうとしないんだ。ずるい。ずるい。ずるい。ずるい。ずるい。ずるい。ずるい。ずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるい」

「あすま!」


 肩を揺さぶって正気に戻せたのは最初の頃のみ。徐々に四六時中何か不明瞭な言葉を呟きだし、他の家族からは煙たがられるようになった。職場からもクビを言い渡されたらしく、ほとんど家に引きこもるようになり、あいつの話し相手は本当に俺しかいなくなってしまう。


「ずるい、ずるい、ずるい」

「そうだな、ずるいな」


 話し掛けても返事はなく、こちらが返事をするばかり。

 放っておけと言われて放っておけなかったのは、半ば意地になっていたからだ。あいつはまともだ。話下手で世渡り下手なだけでまともな奴なんだ。今は少し疲れているだけ。だって普段であれば俺の話に笑ってくれるから。あいつだけが俺のしょうもない話に笑ってくれるんだ。いっそやりすぎなくらいに。そんなに笑ってくれる人間は他にいない。少し休んだらまた笑ってくれる。きっとそうだ。

 俺が一番あいつのことを知っている。一番あいつと長く接してきたのは俺だから。そんな風に考えて、あいつの傍にいた。


 あの結末を回避できたのは、俺だけだったんだろうな。


 薬でも盛って病院に連れていくべきだった。自力で飯も食わなくなったあいつに食わしてやったりもしていたのだから。

 何であいつは好きな作家を燃やしたのだろう。何も残してくれなかったから推察することもできない。

 あいつの従兄弟が俺じゃなければ良かったのか。


 こんな従兄弟で、ごめんな。


◆◆◆


 万が一小僧に追いつかれないよう、前もろくに見ずに駆けていた。辺りが騒がしくなり、誰かとぶつかろうと構わずに。

 そうしていたらふいに──ちょっと! と強めに声を掛けられる。その声がどこか切羽詰まっていたものだから、はてと思い顔を上げて、気付いた。


 信号は赤色だった。

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