第5話


 旦那様に着いて行った私は、応接室に待機させられ、暫くして旦那様が奥様を連れて戻ってきた。今は正面にお2人が座って私のことを見てくる。少し怖い。

 奥様がニコニコと微笑んでいるのがもっと怖い。


「さて、じゃあ燈矢についての報告を聞かせてくれ」


「はい。旦那様、奥様、先ずは急なお願いにも関わらず、就寝前の貴重な時間を下さりありがとうございます」


 そう言って私は立ち上がり、一礼する。


「いや、構わないよ。さっきも言ったが燈矢の事なのだろう?話を聞かない理由がないからね」


「えぇ、私もですよ、美弥。貴方にはいつも燈矢を見守って貰っていて感謝しているの。私達も、もっと燈矢と一緒に居たいけどまだ忙しくてね。苦労をかけるわ」


「旦那様、ありがとうございます。それと奥様。燈矢様のお世話は私自身が望んでお世話をさせて頂いております。苦労など微塵もありません」


「ふふ。そう言って貰えると嬉しいわぁ。けど、いくら燈矢が可愛いからって結婚はダメよ?」


「そッ!そのような事は考えていません!!燈矢様には、メイドの私などよりも、もっと相応しい方が──」


「── 分かってるわ、冗談よ」


 怖い、奥さまの冗談は本当に心臓に悪い。それに私は、燈矢様に対して結婚願望など抱いていない。燈矢様は2歳だし、私ももうすぐ22だ。幾ら私が未だに相手がいないからといって、20も離れた相手に懸想を抱くなどありえない。

 だが、傍から見ればそう見えてしまう程に、私は燈矢様に魅入られているのだろう。だがこの感情は恋幕では無い。燈矢様の成長を見届けたい。笑顔で健やかに育って欲しい。奥様には悪いが、自分にとっても息子の様な存在だ。

 奥様は、その気持ちを、私が燈矢様に対して異常に気に掛けている事が分かっている。だが奥底までは分かっていない。だから万が一を考えて釘を刺しに来たのだろう。今も私の反応を見て、燈矢様に対して害となるか否かを見極めている筈だ。うん。ニコニコしていて分かりにくいが、そのはずだ。


「さて、世間話は後にして、先ずは聞かせてくれないかい?」


 そう言って旦那様が軌道修正をして下さる。


「ごめんない、少しからかいすぎたわね」


「いえ、私の方が、申し訳ありません」


「いや、いいよ。それで?いい話かな、悪い話なのかな」


「そうですね、良くもあり、悪くもあるかと思います」


「そうか、教えてくれ」

 

 悪くもあるという言葉を聞いて旦那様の顔が少し引き締まる。奥様はニコニコしているが、心做しか雰囲気がきつくなった。


「はい。結論からお伝えしますと、燈矢様が魔法を発現しました。本日の午後6時にお散歩で眠ってしまった燈矢様を起こしに向かいましたが、その際に燈矢様の寝室より大きな声が聞こえた為どうしたのかと思い声をかけ、入室許可を頂いてから寝室へと入りました。そして中に入ると燈矢様が立った状態で床と下半身が濡れており、私が漏らしてしまったのかと思い対処しようとしたところ、燈矢様が魔法を使い水を出したら嬉しさのあまり床に落としてしまったと仰いました。そこで1つ確認ですが、旦那様と奥様は魔法を教えてはいないのですよね」


「そうだね、私は教えていないよ。君も知っての通り5歳にならないと魔力暴走の危険や血管の破裂など様々なリスクがある。だからそこは徹底しているつもりだ。一応魔法書だって資料室からも抜いてあるしね」


「私も教えてないわねぇ。あぁけど、1度魔法ってどんな感覚なのって聞かれたから、抽象的に伝えたわ」


「抽象的に?」


「えぇ、こう、グッ、ブワァ〜、ビュンッて伝えたわ。もしかしてこれで分かったのかしら、もしそうなら本物の天才ね」


「そうか、相変わらずだね、君は。っと、すまない、話の途中だったね。聞いての通りに僕たちは魔法を教えていないよ」


「ありがとうございます。話を戻しますが、燈矢様が魔法を使用したと仰った際に失礼ながら疑ってしまいました。私達使用人も魔法を教えるのはご法度となっていますし、何より私や旦那様方の目を盗んで教えるのは難しい。その為私は再度確認しました。本当に魔法を使い、水を出したのかと。そしてたら燈矢様は目を瞑り魔力を高め始め、詠唱を無しに手の平から片手ほどの大きさの水球を作りだりました。」


「待て、詠唱をなしに?聴き逃した可能性は無いのかい」


 やはりそういう反応になるだろう。実際詠唱を聴き逃した可能性も無くはない。燈矢様が魔力を高め始めた時点で私は驚いてしまった為、その可能性もあるだろう。しかし、あの時そこそこ近い位置にいたし顔も見えていた。詠唱していれば口は動くし、言っている言葉が分からなくても呟いていることは分かるだろう。


「はい。実際に近い距離にいましたが、口は動かず、呟きも聞こえませんでした」


「君が私達に嘘をつく理由がない。恐らく本当のことなんだろう。……なるほど、どうやら私達の子は本当に天才だった様だね、亜衣夏」


「そうねぇ、誰も教えていないのに魔法を使い、更に無詠唱。ふふ。将来が楽しみね」


「そうだね。実際簡単な魔法なら私達にも無詠唱は可能だ。国全体で見れば無詠唱自体をできる人はそこそこいるだろう。だが幼少の頃から、しかも初めての魔法が無詠唱となると話は別だ。楽しみでもあるが、同時に怖くもあるね」


 いや、簡単な魔法の無詠唱と言うが、それは旦那様方のような英雄レベルの物凄い使い手だけだ。普通の人は無詠唱なんてやりたくても出来ないまま寿命を迎えるだろう。

 私も無詠唱に憧れているし、暇な時間を見つけて練習しているが、一向にできる気配がない。


「それで、確かに緊急の要件ではあるけど、君の話はこれだけじゃないだろう」


 来た。やはり、旦那様方には見破られてしまっている。なら、遠回しにしないで真っ直ぐと伝えた方が良いだろう。


「はい。今回はこのご報告に加え、お願いをしに参りました」


「まぁ、予想がつくけど、いいよ。いってごらん」


「はい。私、旦那様、奥様、それと魔法が得意な者で燈矢様に魔法をおし──」


「── 却下だ。理由は、わかるね?」


「はい。幼い故の魔力暴走や自律神経の乱れ、魔力中毒や過度な魔法行使による血管の破裂。最悪の場合命に関わります。デメリットを上げればキリがありません」


「分かっているなら、何故燈矢にそんな危険な事をさせようとしてるんだい」


「燈矢様の今後の為です」


「ふざけているのか?」


 旦那様の魔力が少し高まる。睨まれただけで押し潰されてしまいそうな物凄い圧だ。だが、私もここで折れる訳にはいかない。冷や汗を掻きながら言葉を発する。


「ッ…… 違います。燈矢様は必ず英雄となります。その素質がある。2歳とは思えぬ思考、文字や言葉の飲み込みの速さ、教えもしないで行使する魔法。これだけ揃えば本物の天才でしょう。まるで過去の賢者様や勇者様の生まれ変わりと言われても違和感がありません。

 ですが、燈矢様は年相応の我儘を言う子供でもあります。私達に魔法を教えてくれと懇願していたのもそうです。今日はあれを食いたい、庭に行ってお昼寝がしたい、もっと面白い本が読みたい。こういう我儘を言う、普通の子供です。少し要求がそうでない時もありますが、人の子から産まれた普通の人の子です。

 そして私達大人は魔法に対してずっと頑なに教えないと言い続けました。5歳になるまでダメだと。私は理由を教えていませんでしたが、旦那様方は何故ダメなのか燈矢様にご説明しましたか?」


 この言葉を聞いて2人は首を横に振る。


「失礼を承知で申し上げますが、私たちは上から抑えつけてしまいました。その結果、燈矢様は何故魔法を使ってはいけないのか分からないまま、教えて貰えないなら自力でという発想になったのです。私達は自力で出来るわけがないと思っていましたが、出来てしまった。そうなると、先程旦那様が却下なされたように、魔法の使用を禁止、又は制限を掛けるのが良いでしょう。

 ですが、燈矢様のお気持ちはどうでしょうか、なぜダメなのか聞かされず、興味のままご自分で努力し魔法を使えるようになったのに、直ぐに禁止される。

 私に魔法を見せて下さった燈矢様の顔は本当に嬉しそうでした。キラキラと輝いていて、魔法を使える事がほんとうに嬉しいと、そんな顔です。恐らくリスクを説明しても、ご自分で隠れて使われると思います。ガチガチに監視してしまえばストレスとなり、要らぬ不和をもたらす原因にもなります。それでしたら、私達の目の届く範囲で魔法を教え、何かあった際は直ぐに対処できるようにしておくのが最前かと私は思います。長々と発言してしまい、申し訳ありません」


 席をたち、頭を下げながら思う。熱くなりすぎた。感情に任せて言ってしまった。だが同時に思った事をそのままぶつけられた為後悔はしていない。

 チラリと旦那様の顔を伺うと難しそうな顔をしている。奥様はニコニコとしていた表情から能面のような無表情へと変化している。物凄く、と言うかこの方にあってから今が一番怖い。


「……ふぅ。なるほどね。美弥の考えは分かったよ。確かに私達は説明不足だったかもね。説明しても子供だから理解できないだろうと判断していたが、それでもダメな理由を伝えるべきだった。それを怠った結果が今回の魔法行使。そして1度使える喜びを知ったら子供故に我慢できないで今後も使うだろうと。

 ……そうだね。隠れて使われて手遅れになるより、私達の見える範囲で使ってもらい対処し、正しい使い方を教える。うん。直ぐには無理だけど、できないことは無い。雇っている治癒士には苦労をかけるが、体制を敷いて実行できるね。亜衣夏はどう思う?」


 予想通り、旦那様は乗ってきた。問題は奥様だ。


「私は反対ですよ。私達が考えるべきは子供の健やかな成長。確かに説明不足だった私達の落ち度は認め、反省するべきでしょう。それに魔法を今から教えるのも将来に役立つ良いことです。もしかしたら世界で最も強い魔法士になれるかもしれませんね。ですが、対策が失敗したら?もし魔法を使うことにトラウマを覚えれば、日常動作でも魔法を使用できないなんてことになる可能性もありますし、そういう患者を私は見てきました。そうなったらどうするのです。

 あぁ、武力を磨く道もありますね。ですが、この緋野家も私の実家も代々魔法士の血筋で武闘家はおりません。その道を行くのは苦労が多いでしょうね。

 ですが、命があればその武力も目指せますが、命を落としたらどうするのですか?確かに緋野家の雇っている治癒士は優秀ですし、私も生の魔法はこの国でも上位だと自負しています。それでも人間死ぬ時は呆気なく死にますし、なんでも治せるわけではありません。尚且つ死者の蘇生なんて神の所業です。そうなったらどうすると?また私達が燈矢に変わる子を産めば良いと?ふざけないでください。

 美弥、確かに貴方の言う通り燈矢は賢い子です。英雄になる素質もあるでしょう。そこは私も同意します。ですが、貴方の本心は、燈矢に自由に生きて欲しいなど言いつつ、自分の欲望を正当化しているだけです。英雄の成長をみたい、物語のようなことを成す姿を近くでみたい。そのような浅ましい思いがあることなど見えすいています。

 そんな貴方の欲望に、私の可愛い燈矢を巻き込まないでくれないかしら」


 やはり私は、この方が世界で1番恐ろしい。

 先程の冗談は、私に釘を刺しているのだと思っていた。「万が一にでも邪な感情を抱いてはいけませんよ」とそう言われていると思っていたが、全く違った。

 奥様は私ですら気が付いていない本音に気が付いていたのだ。燈矢様の為と言いながら、物語の主人公のような姿をみたい。その人を支える一部になりたい。確かに奥様のおっしゃる通りだ。私は燈矢様の為という言葉を免罪符に自分の欲望を押し付けそうになっていたのだ。

 だから奥様は、私のそんな本音など分かっていると遠回しに冗談を言って伝えてきたのだ。


 流石は最優の聖女、最も優しく、過去現在を含めて魔法の実力や勉学など様々な分野で最高記録を叩き出した、最も優秀な聖女と言われるお方だ。


 本当に、恐ろしい。


「……はぁ。ですが、貴方の言う事も一理あります。1度喜びを知ればまた繰り返すでしょう。魔法を教えることは反対ですが、それで隠れて使われ、手遅れになっては遅い。

 恐らく今回の問答に答えは無いでしょうね。どちらをとってもメリットがありデメリットがある。ならばデメリットが少ないと思われる方を選ぶ方が懸命ですね。

 良いでしょう。美弥、貴方の提案に私も賛同します」


「ありがとうございます。奥さ──」


「── ただし、1つ条件があります。必ず私が同席する事とします。そのための時間は調整し捻出してみせますし、最悪引退してでも燈矢の魔法を私が見ます。それで良いですね」


「うん。良いんじゃないかな。聖女である亜衣夏が居れば大抵は安心だし、魔法の教え方も亜衣夏は上手い。燈矢も喜ぶと思うよ。私も時間があれば見に行きたいしね」


「分かりました。ありがとうございます。旦那様、奥様」


「うん。いいよ。それと明日は燈矢と話し合って、本人の意思を確認しよう。ちゃんとメリットとデメリットを伝えて、それで魔法をやりたいと言うなら数日だけ我慢してもらい、体制を整える。それから亜衣夏同伴で魔法を教えることとしよう。他に何かあるかい?」


「いえ、私の方からは以上となります」


「そうか、亜衣夏もそれでいいね?」


「はい。問題ありませんよ」


「よし。なら今日はもう夜遅い。みんなゆっくり休むとしよう」


「旦那様、奥様。本日は貴重お時間を頂き、本当にありがとうございました」


 私は深く頭を下げ感謝の言葉を伝える。


「こちらこそ、ありがとうね。お休み」


「美弥、色々と意地悪言ってごめんなさいね。けど、このままだと貴方、悪い方向に行ってしまいそうだったから。これからも燈矢の事をよろしくね。おやすみなさい」


「こちらこそ、自分が至らぬ所為で燈矢様に取り返しのつかない事をしそうになっていました。教えて下さり本当に感謝しています。ありがとうございました」


 奥様の言葉にお礼を言い、退室するのを見守る。


「はあぁぁぁ……」


 物凄く緊張したし、怖かった。けど、自分の至らぬ点などが分かった事は本当に収穫になった。後は自分の心を制御しつつ何が燈矢様にとって最前になるか考えなければ。


 明日も早い、私も早く寝よう。


 私は1人、待機室で寝るために歩き出した。





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