第11話② 予算に勝てるとでも?
委員会を終え、咲月は侍専用の車に乗り込んだ。
混雑を避けながら外堀通りに出て堀川を渡って直進し、本町橋を渡って本町門を通って三の丸に入る。その辺りは官庁街となって、侍たちの本部庁舎は護国神社の側にあった。
鉄筋コンクリート造だが、平成初期に建造されたもので、既に五十年近く経過した古いビルとなる。中は改装されており、そこそこ快適な状態だ。
ここでも荷物を運ぼうとした咲月は志緒に怒られ、不満そうに頬を膨らませる。
「志野さんは厳しい」
「咲月様こそ、五斗蒔家のご令嬢という自覚をお持ち下さい」
「別にいいのに」
ぼやく咲月だが志野に睨まれて諦めた。
「皆、ごめんね。荷物を片付けたら、部屋で打ち合わせするから」
「了解でっす!」
咲月の言葉に、部下の一人である赤津ジャックが元気よく返事をした。
尾張藩には珍しく母親が外国系である。いろいろ苦労はあっただろうが、それを感じさせない調子の良い若者で、特務四課のムードメーカーとなっている。
「おっしゃー! 課長を待たせるな、一気に荷物を運ぶぞー! 野郎ども、やっちまえー!」
赤津の言葉に笑い交じりで応じる声があがり、委員会で使用した機材や資料などの荷物類を車から運び出す
特務四課の人員は総勢で十名だ。
課長である咲月に合わせて五斗蒔家に関係する者ばかり。さらに課長補佐の志野も女性であるように、大半が女性という状態だ。しかし赤津のような男性も遠慮無く打ち解け、和気藹々とした雰囲気である。
特務四課の部屋で、咲月がコップを掲げる。もちろん中身は麦茶だ。
「委員会が無事終わった事に乾杯! みんな、お疲れ」
「「「お疲れ様です!」」」
全員が唱和して麦茶を飲んで、一斉に拍手した。
「しかし、課長の受け答え見事でした。他の課長連中より、ずっと立派でした!」
大きな声で言う赤津に他の皆も頷いている。それは志野も同じなのだが、それどころかもっと意見があるらしい。
「そうです。あの委員会の老人たちの回りくどくって長ったらしい質問! あれに対して、すらすらと答えていく咲月様のお姿! 後で録画をコピーしておきます!」
「また始まった。そういうの、やめなさい」
「何をおっしゃいますか! 咲月様は、私の推しなんです。推し! この情熱は誰にも止められません!」
志野の言葉に咲月は困り顔となるのだが、厄介なことに他の課員も志野と同じ系統である。皆がわいわい咲月の受け答えの凜々しさや、素敵さを語りだした。
おかげで咲月は軽く頭を抱えてしまった。
「はぁ……もう、止めて。それより今日は四課が宿直当番なのよ」
即座に志野が引き受けると宣言して手を挙げた。
しかし咲月は静かに首を横に振る。
「今月の超勤予算、ほぼ限度額行ってるでしょ。だから私がやるわ」
こういった時は管理職の出番だ。
管理職でも災害対応であれば残業手当が出るが、それは深夜の間の割り増し分だけの支給となる。それを時給換算すれば二百円か三百円程度。日々の職務は、管理職の献身で成り立っているのが実態であった。
「うっ、ですが咲月様にそのような事はさせられません」
「予算に勝てるとでも?」
「力及ばず、申し訳ありません」
志野や赤津、そして四課の皆はさめざめと泣いてみせた。
宿直は夜間休日に職場に待機して、電話対応や幻獣災害発生時の連絡や出動体制の判断をする仕事だ。逆に言えば、それ以外はやらなくて良いとも言える。だから宿直の時は、のんびりと過ごす者が多い。
だが、咲月はそういった性格ではなかった。
「さて頑張ろ」
軽く腕まくりをして『幻獣白書』を広げる。
それは幻獣被害の実態や対策などの現状と将来への見通し、幻獣についての分析などを幕府が取りまとめた公表資料だ。ちょっとした図鑑並みの厚さがあるため、毎年発刊されるが、白書を真面目に読む者は僅少だろう。
だが、咲月はそれを読む。
自分のできる事をやろうと真面目に考え、知識を身に付けるための努力だ。誰も居ない執務室で白書を読み、メモを取っては頷き勉強を続けていく。
ようやく顔を上げた咲月は、目頭を揉んで大きく息を吐いた。
「あれ? もう二時間経ってた」
窓を見れば外は真っ暗だ。
鏡のようになった窓に映る自分の姿は侍の制服姿。今は紺瑠璃色の上着は脱いで白シャツ姿だが、すっかり大人になった自分。
そんな事を思ってしまうのは、久しぶりに慎之介に会ったせいだ。
母親同士が仲良かったので、最初は母に連れられて一緒に設楽家に行っていた。少し大きくなると、自分一人で行くようになって楽しい日々を過ごした。
あの頃から随分と時が過ぎてしまい――しかし不思議なもので、気分は少女時代と大差ない。二十歳を過ぎれば、もっと大人になると思っていたが、身体が成長して知識が増えただけで中身はあまり変わっていないと思えた。
「ふぅ……」
小さく息を吐いて窓に近寄る。
外から丸見えであるし、小さな羽虫や蛾が窓に体当たりを繰り返すので、部屋のあちこちのブラインドを下ろしていく。エアコンの空調も寒いぐらいなので調整した。
「うーん、家だったら絶対に食べられないわよね」
夕食は買い置きのカップラーメン、お湯を注げば三分で食べられるものだ。自宅では絶対に食べさせて貰えないもので、ちょっとだけ背徳感がある。
「でも、良かった。慎之介に会えて」
京都に留学していて、ここ最近会えていなかったが、少しも変わってなくて嬉しかった。しかも四課の活動に協力してくれて、また気軽に会えることも良かった。いろいろ言えて、言ってくれる気が置けない間柄。信用できて安心が出来るのだから。
「感謝として、食事でもご馳走した方が良いよね。うーん? それより気持ちを込めて、ご飯をつくるのが良いかな」
咲月は懐かしさに微笑した。
もう一度、子供の頃に設楽家に過ごした日々を思い出したのだ。慎之介の母から料理を習い、それを食べて無邪気に笑っていたあの時。それは咲月にとって大切な思い出だ。慎之介も同じ気持ちに違いないと、半分願いながら信じている。
「うん、そうしよう。それがいいよね」
三分経った。
軽く手を合わせ、カップラーメンによる夕食を始めた。
それからも白書を読むが、流石に夜中になると集中力が続かない。
「ふぁ……」
ちょっと眠くなって伸びをして、行儀悪く欠伸までする。
一応仮眠室もあるのだが、しかし咲月はそこを利用する気はない。男女兼用であって、たとえ自分一人しか居なくても利用するのは何となく嫌だ。そもそも置いてある毛布なども、いつ洗って干したのか分からない。
それであれば自分の席で自分のミニ毛布を使って、机に突っ伏した方が遙かに良いだろう。間違いない。
「でも、ぜーったいに。お肌に悪いわよね」
完全徹夜ではないが、それに近い半徹状態。幸いにして明日は日曜日なので、ゆっくりと休める。これが平日なら翌日の夕方まで勤務があるので、実質一日半も起きている状態になっていたところだ。
「侍も大変なのよ、うん」
咲月はテーブルに敷いたタオルに頭を預け、軽くぼやいた。
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