第6話

 山本山純真蜜が目を覚ますと、まず、見覚えのない真っ白な天井が目に入った。次いで、彼女の手を握りしめていた父と母の、泣き出しそうな顔。

「……おはよう。どうしたの、お父さん、お母さん。ここ、どこ?」

 酷く掠れた純真蜜の声に、彼女の両親は安堵で泣き崩れた。

「よかった、本当によかった。おはよう、ハニーちゃん」

「ここは病院だ。お前、頭を打って、三日も意識が無かったんだぞ。一時は呼吸も止まって……外国に一人で旅行なんて、やっぱり引き止めればよかったって、どれ程後悔したか……ああ先生、娘を助けてくれてありがとうございます! あ、日本語じゃ駄目か。済みません、鈴木さん、通訳をお願いします」

 鈴木と呼ばれたスーツ姿の女が、流暢な英語で医師に話し掛けるのを、純真蜜はベッドの上から不思議そうな顔で眺めていた。

 それから暫く様々な検査をされ、すべて異常なしの結果が得られると、数時間後には純真蜜は退院を許された。

 慣れない外国の退院手続きの殆どを鈴木が済ませ、エントランスでタクシーを待つ間、純真蜜の両親は鈴木に封筒を差し出した。急いで用意したであろう謝礼入りの封筒を、鈴木は頑として受け取らない。

「私の仕事は、お困りの方を助けることです。正当な報酬だけで結構ですし、それは既に頂いております。よろしければ、その封筒の中身は、ちゃんとした保護団体等にでも寄付して下さい。お嬢さんが無事目覚めて、本当に良かったですね。純真蜜さん、危ないことをしてはいけませんよ。ご両親がどれ程心配なさったか、お解りですよね」

 念の為にと包帯を巻かれた頭を掻き、純真蜜は頷いた。

「うん、反省した。大人なら、もっと行動に責任持たなきゃだよね。お父さん、お母さん、心配かけてごめんね。鈴木さん、ありがと! お世話になりました」

「私は自分の仕事をしただけです。さあ、タクシーが来ましたよ。乗って下さい。ホテルの場所は、もう運転手に伝えてあります」

「鈴木さんは乗らないの?」

「申し訳ありませんが、次の仕事がありますので、ここでお別れです」

 タクシーのドアに手を掛けた鈴木を、純真蜜は見詰めた。

「ねえ鈴木さん、あーし達、前に会った事ある……?」

 それに答えず、鈴木は優しく微笑んでタクシーのドアを静かに閉めた。

「……ハニーちゃん、本当にもう大丈夫なの? 頭が痛いとか無い?」

 走り出したタクシーの中、純真蜜は小さくなっていく鈴木に手を振りながら、

「大丈夫だよ、前より調子いいかも。何かこう、『憑き物が落ちた』感じ? それにしても、鈴木さん、英語ペラペラで凄いよね。さすが弁護士さん」

 娘の言葉に、両親はきょとんとした。

「弁護士? 鈴木さんは、旅行会社の人が手配してくれた通訳者よ?」

「弁護士を雇う必要なんて無いだろ?」

「……あれ? ホントだ、何でそう思ってたんだろ?」

「夢でも見てたの?」

 純真蜜は首を捻った。

「えー、意識ない間も、夢って見るのかな? あ、でも、何か初めて会った気がしなかったし、もしかして、鈴木さんのお陰で生き返れたのかもよ? 鈴木さんの正体は、天国の弁護士かなんかでさぁ」

「ハニーが生き返れるように、弁護してくれたってことか? ウケるな、それ」

「もー、二人共、暢気ねぇ」

 三人の明るい笑い声が車内に響く。バックミラーにちらりと目を向けたドライバーが、僅かに首を傾げた。

 さっきまで病院の前に立っていた筈の鈴木の姿は、いつの間にか消えていた。


  *


 一方、静まり返った第五号法廷。

 裁判官と田中に挟まれた亀左衛門は額に脂汗を浮かべていた。

 石地蔵が「さて」と呟き、パンパンと手を叩くと、何時から待機していたのか、扉からスーツに身を包んだゴツイ赤鬼と青鬼が現れ、左右から亀左衛門の腕を掴み立ち上がらせた。

「おう、おっさん、エライこと仕出かしてくれたなぁ」

「仕事、舐めたらいかんじゃろ。あの世のメンツにかかわることじゃ。解っとるんか、コラ」

 握られた腕の痛みに、亀左衛門は悲鳴を上げる。

「痛い! 乱暴は止めてくれ! 田中さん、助けてくれ! 俺の弁護人だろ?」

 田中は爽やかな笑顔で、白い歯を煌めかせた。

「すいません、私、悪霊の弁護は専門外なんで」

「あ、あく、悪霊?」

 痛みで顔を歪めていた亀左衛門が、ポカンとする。

「あれ、お解りになりません? 立場を利用して覗きを繰り返す。己の欲望を優先して、守護対象の命を危険に晒す。弁護士にも本当の事を語らず、まるで自分の方が被害者だと言わんばかりに振舞う。これが悪霊でなくて何だと言うんですか。守護霊のイメージダウンですよ。マスコミは、さぞ大喜びでしょうね」

「そんな……いや、悪かった、ほんの出来心なんだ! そんなつもりじゃ」

「おう、兄ちゃん、話は済んだか?」

 赤鬼が、言いつのる亀左衛門を遮る。

 田中は頷き、「ご苦労様です」と、鬼達に向かって愛想よく会釈した。

「さて、次の案件に取り掛からなくちゃ。失礼しますよ、鶴元さん。報酬金が頂ける結果にならなくて、本当に残念です」

 田中は手にした書類にペンを走らせる。それを石地蔵に提出すると、重そうなブリーフケースを肩にかけ、一礼し出口に消えた。

 田中が提出した書類に目を落とした石地蔵が青鬼を手招く。青鬼は書類を受け取り、さっと目を通すと、片眉を上げた。

「なんじゃ、それは?」

 亀左衛門の腕を掴んだまま隣に来た赤鬼が、青鬼の手元を覗き込む。

「このおっさんの身上書の一部じゃ。弁護士の兄ちゃん、中々気が利くの」

「どれ、『人助けの功績により極楽行き』とな。なんじゃ、良いところもあるじゃないか……と、んん? 『風呂屋の火災に巻き込まれて死亡』……風呂屋、ねぇ」

 いよいよ青ざめた亀左衛門は、いや違うんだ、偶然で、と、もごもごと言い訳を始めたが、赤鬼に一睨みされ口を閉じた。

「オラ、おっさん、ワシ等も行くぞ」

「待ってくれ、いや、待って下さい、何処に行くんですか?」

 亀左衛門は腕の痛みと焦りで目に涙を滲ませ、鬼達を交互に見る。

 青鬼は「分からんか?」と言って、亀左衛門にぐっと顔を寄せ

「警察だよ、け、い、さ、つ。ワシ等は中有警察署の者じゃ。署で、お前を詳しく取り調べるんだよ。余罪もありそうじゃ、長丁場になるかもの」

「子孫と違って、お前にはたっぷり時間があるからな。生前の行いから、どんな手口で守護霊職に就けたかまで、キッチリと洗い直してやるぞ」

「安心せい、お前には、弁護士を雇う権利がある。さて、そろそろ行くぞ、赤いの」

「おうさ、青いの。まあ、弁護を引き受ける奴がおるかは別だがの」

 ガハハと笑い、鬼達は亀左衛門を引き摺って行く。

 青鬼よりも青い顔の亀左衛門に、裁判官は声を掛けた。

「次に法廷でお会いすることがあったら、もう一人の私をお目にかけますよ」

 出口を潜る直前、赤鬼と青鬼は裁判官に深々と頭を下げた。

「では失礼します、裁判官」

 扉が閉まる直前に亀左衛門の目に映ったのは、裁判官席に座る髭を蓄えた大男の姿だった。

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異議あり! 遠部右喬 @SnowChildA

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