第5話

 鈴木は、ここで更に一枚の写真を提出した。

「この写真の日時をご確認下さい。看板が写った写真の、約五分前に撮られたものです。歩道がカーブしている為まだ見えていませんが、この先に先程の看板が立っています。そして、此岸の人には判らないでしょうが、我々彼岸の住人には、鶴元さんの後ろ姿が写っているのが判ります。先程の二枚と共に、撮られた順に、

一、鶴元さんの後ろ姿が写り込んだ写真

二、立札の写った写真

三、ぶれた写真……としておきましょう」

 確かに一の写真には、草叢の中を左にカーブする歩道と、亀左衛門の後ろ姿が着物の柄まではっきりと写り込んでいる。それ自体は問題ではなく、所謂心霊写真とは違い、こういった写真は珍しいものではない。此岸の人間でも見る者が見れば、亀左衛門の姿を認識できるだろうが、そんな生者は何万人に一人も居らず、殆どの者にとってはごく普通のスナップ写真だ。

 鈴木は三の写真を示した。

「では改めて、三の写真の左端を見て下さい。一の写真を見た後ならば、写っているのは鶴元さんの後ろ姿であることが着物の柄から判ります。二の写真の立札は、右に写っているこれでしょう」

 鈴木は、裁判官も傍聴席の人々も頷いたのを確認し、亀左衛門に質問した。

「おかしくありませんか。鶴元さんはずっと立札を見ていたと仰ってました。だとしたら三の写真の鶴元さんの顔は、立札のある方角を向いていて、横顔が写っている筈です。ですが実際に写っているのは真っ黒、つまり後頭部です。ほぼ真後ろを向いていて立札を見ていないことが、写真がぶれていてもお判りいただけるでしょう。では、鶴元さんは何処を見ていたのでしょう」

 亀左衛門は俯き、何も答えない。写真に写る何かに気付いたらしい田中が、慌てて挙手した。

「それは貴女の憶測でょう? こんな写真が証拠になる訳がない」

「それは、貴方が判断することではありません」

 裁判官ににべも無くいなされ、田中は内心歯噛みしながら手を下す。鈴木が三の写真の一点を指し、畳みかける。

「鶴元さんはお答え出来ない様ですから、代わりにお答えします。写真の鶴元さんの顔の角度から、見ているものの見当が付きます。この色彩に見覚えはありませんか? 二の写真にも写っています」

 法廷が騒めく。

 黄色地に、赤や緑の鮮やかな色彩。肩や背中の露出した、如何にも南国な衣装を身に付けた、豊満なボディラインの地元女性。

「貴方はこの女性に見惚れていて、山本山さんの事故に気付くのが遅れたんですよね? 三の写真がこれほどブレている理由は、これがドリアンとの衝突時に、偶然シャッターが押されたものだからです。そして、偶然に鶴元さんの後ろ姿を捉えた。貴方は確かに山本山さんを助けようとはしたのでしょう。ですが、それは片手間な仕事だった。なぜなら、この期に及んでなお、女性に見惚れていたのですから」

 それまで黙って、青い顔で俯く亀左衛門をじっと見ていた純真蜜が、唐突に立ち上がった。

「あー、やっぱ、そうだ!」

 亀左衛門も田中も、裁判官も、鈴木ですらも驚く。

「山本山さん、どうしたんですか、急に。座って下さ……」

 鈴木が純真蜜を座らせようと手を引くが、彼女は構わず、亀左衛門を指差した。

「おっさんの顔、子供の頃から何回か見た事ある! やっぱ、あれって気のせいじゃなかったんだ」

 皆があっけにとられる中、いち早く反応したのは田中だった。

「そうです、この方は、貴女が産まれてからずっと護り続けてくれていた、守護霊の鶴元亀……」

 純真蜜は、田中の声を無視して続ける。

「あーしがお風呂入ろうとする時とか、偶に見掛けたわー。そういや、修学旅行の時、大風呂とかでも見たっけ。誰も気付いてなかったし、皆を怖がらせたらヤバイと思って言わなかったケド」

 法廷内が静まり返り、すぐに静かな騒めきが広がった。傍聴席のあちこちから冷たい視線が亀左衛門に刺さる。流石に田中も動揺を隠せないようで、小さくなった亀左衛門を励ます言葉もかけず、おろおろと周囲に視線を彷徨わせる。

「皆さん、お静かに」

 裁判官の静かだが圧のある声に、騒めきが止む。

「山本山さん、それは本当の事ですか?」

 裁判官の問いかけに、純真蜜は頷く。

「うん、何時でも見えるって訳じゃないけど。そうだ、プール行った時とかにも見た。これって霊感てヤツ? ウケるー」

 穏やかだった裁判官の顔が険しくなった。

「成程、よく判りました。どうやら、被告が守護霊の職務を果たしていなかったという原告側の主張は、大いに考慮の余地があるようですね」

 我に返った田中は、一瞬、冷たい視線を亀左衛門に向けたが、己の務めを果たすべく立ち上がる。

「お待ち下さい。山本山さんの話と本件は、別のものとして考えるべきです。重要なのは、山本山さんの生き返る権利の有無です」

 すかさず鈴木も立ち上がる。

「当然、山本山さんにはその権利があります。鶴元さん以外の方が守護霊なら、事故に遭わなかった可能性があるのですから。直接的な証拠ではなくても、彼女の証言は無視するべきではありません……正直、私もこんな話が出て来るとは思っていませんでしたが」

 火花を散らす田中と鈴木、「これっていつまで続くの?」と鈴木に問いかける純真蜜、黙って俯き続ける亀左衛門。

 再びざわつく傍聴人たち。

 裁判官が、すっと片手を挙げた。それだけで法廷の空気が張り詰める。静まり返った部屋に、裁判官の声が響いた。

「被告、反論はありますか? ただし、ここは此岸の裁判所とは違います。偽証をすればどうなるか、お解りですね?」

 亀左衛門は、震えた声で「ありません……」と、答えるのがやっとだった。

 裁判官は、ギャベルを叩いた。

「判決を言い渡します。主文、原告・山本山純真蜜の本来の寿命の大幅な短縮は、被告・鶴元亀左衛門の保護責任者遺棄に起因するものと認め、山本山さんの生き返りを許可します。鈴木弁護士と山本山さんはこのまま退出し、早急に手続きを行って下さい。尚、鈴木弁護士には、山本山さんに新たな守護霊をつける手続きもお願いします」

「はい」

 鈴木は純真蜜を促し、立ち上がる。

「え、これで終わり? あーし、もしかして生き返れるの?」

「そうですよ。タイミング次第では手続きに数日かかりますから、急ぎましょう。石地蔵裁判官、有難うございました」

「やった! きっと、お父さんとお母さんが心配してるから、早く生き返らなくちゃ。いしじぞーさん、有難うございました」

 口調はともかく、きちんと頭を下げる純真蜜に、裁判官は苦笑しつつ「どういたしまして」と会釈した。

 純真蜜の退出と共に、傍聴人も次々と退席してゆく。いつの間にか書記官も姿を消し、亀左衛門と田中と裁判官だけが法廷に残された。


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