第4話
数時間後。
亀左衛門は緊張した面持ちで入廷した。法廷に並ぶ無機質なテーブルと椅子が亀左衛門の緊張を嫌でもあおる。
青い顔をした亀左衛門に、背後から田中が声を掛けた。
「そんなに緊張すると、具合悪くなっちゃいますよ。リラックス、リラックス。ほら、傍聴席見て下さい、可愛い子がいますよ。弁護士でも目指してるのかな」
亀左衛門が視線を向けると、既に傍聴席はそこそこ埋まっている。田中の言った通り、純真蜜と同い年くらいだろうか、並んで腰かけた娘が二人、熱心にメモを取っている。今時の娘は華やかだな、と肩から力を抜く亀左衛門に、田中は笑顔で頷き、右斜め前の弁護席へ腰を下ろした。
亀左衛門が田中の向かい側に目を向けると、鈴木が純真蜜に何やら耳打ちしている。視線に気付いた鈴木は亀左衛門から目を逸らしたが、純真蜜はじっと亀左衛門を見詰めている。
純真蜜の出で立ちは、死んだ時のままだった。金に近い茶髪にグレーのカラーコンタクト、オーバーサイズで背中の開いた白いシャツ、デニムのショートパンツ、両手足の爪先にしっかりネイルアートを施し、ヒールの高い厚底のエナメルのサンダルと、大胆な服装だ。
(考えてみたら、俺と純真蜜の目が合うのは初めてだよな)
生者と幽霊の己では、存在する次元がずれている。二十年を共に過ごしていても、純真蜜にとっては初対面に違いないのだ。穴が開く程見つめられて、居心地の悪さに目を逸らす。
一方田中は、純真蜜のいで立ちに、内心ほくそ笑んでいた。
(勝てる。こんなチャラい小娘が、
今日は美味い酒が飲めそうだ……自陣の勝利を確信し、鼻歌でも歌いだしそうな田中が入り口に目を遣ると、小柄で温厚な笑みを湛えた人物と、ひょろりとのっぽの人物が入廷してきた。ふたりは法廷に集う面々に軽く会釈すると、法壇へと向かった。
いよいよ裁判の始まりである。
*
小柄な人物がにっこりと微笑む。
「本日裁判官を務める、
「はい」
「では、原告。山本山、えー……
傍聴席も、純真蜜の服装と名前にひそひそと囁き合っている。そんな反応に慣れているのか、純真蜜はわざとらしく溜息を吐いた。鈴木が慌てて彼女の袖を引き、小声で注意する。
「山本山さん、落ち着いて。ちゃんと裁判官に返事をして下さい」
「本名でーす。何か問題ある? つか、皆、超カンジワルイんですけどー」
「ちょっと、山本山さん!」
鈴木が窘めるが、純真蜜はむすっとして周囲を見渡した。
「どーせ、名前恥ずかしくない? とか、名前で虐められたでしょ、とか聞くんでしょ? 残念、別に虐められてないしー。折角、お父さんとお母さんが付けてくれた名前だし、あーしは気に入ってるんだから」
裁判官の石地蔵が、申し訳なさそうに頭を下げた。
「珍しいお名前だったので確認したのですが、失礼な態度でしたね。申し訳ありません」
石地蔵の真摯な対応に、純真蜜も直ぐに態度を改めた。
「ううん、あーしの方こそごめんね。いっつも名前の事言われるから、ムキになっちゃった。そうだよね、裁判官さんのお仕事だもんね」
傍聴席からも小声で、そっか、ごめんねーなどと聞こえて来る。思いの外純真蜜に好意的な空気に、亀左衛門の弁護人である田中は、心の中で舌打ちする。
「では、改めて。原告、山本山純真蜜さんの死因、ドリアン落下による事故死は、守護霊である鶴元亀左衛門さんの職務放棄に因る処が大きく、未だ寿命の残る山本山さんには生き返る権利がある、という主張で間違いありませんか?」
裁判官の質問に、純真蜜が「はぁい」と、間延びした声で答えた。一方で、純真蜜の死因にじわじわと傍聴席に広がる「痛そう」「気の毒ぅ」という囁きに、亀左衛門と田中の表情が硬くなる。
「そう主張する根拠を提示して下さい」
「こちらの写真です」
鈴木が裁判官に提出したのは、亀左衛門と田中が先に見せられたのと同じ二枚の写真だった。傍聴席前のモニターにも、同じものが映し出されている。
「これは、山本山さんが事故にあった現場の写真です。まずこちらをご覧ください。山本山さんご本人が撮影したもので、立札が写っているのがお分りになると思います。こちらは、その写真の一部を引き延ばしたものです。鶴元さんは、この立札に気を取られて山本山さんの守護を怠ったと、ご自分で仰ってました」
「待って下さい。鶴元さんは守護を怠ったと言ったわけではありません。立札に注意が向いていたと仰っただけです」
挙手した田中が訂正した。裁判官は頷き「主観による発言は認めませんよ」と、鈴木に注意を促し、写真を手に取り立札の文字を読んだ。
「頭上注意と書いてありますね」
鈴木は頷く。
「この文章はシンプルで、難しいことは書いてありません。危険を知らせる文言を見掛けたら、普通なら、守護対象から目を離さない様にするものなのではありませんか? 鶴元さん、貴方は立札に気を取られたと仰ってましたが、それは真実ですか?」
亀左衛門が「はい」と小さく頷く。田中が挙手し、割って入った。
「江戸生まれの鶴元さんは英語に慣れていないのです。だからこそ『Caution』と書かれた立札の内容を念入りに確認したのであり、山本山さんの安全を想えばこその行為です。寧ろ、そんなシンプルな立札を無視した山本山さんの軽率な行動にこそ、非があります。守護霊が憑いていることが自衛を怠る言い訳にはなりません」
ここぞとばかりに、田中が畳みかける。
「そもそも、山本山さんの頭上に危険が迫っている時、鶴元さんは出来る限りの事をしています。答弁書の記述をお読みいただければ、決して守護霊の勤めを蔑ろにした訳ではないとご理解いただける筈です」
「確かに」
頷く裁判官に、田中が微笑む。鈴木は表情を変えず、すぐに次の写真を提出した。
「では、次の写真をご覧ください。先程の写真のすぐ後に撮られたものであり、山本山さんが撮った最後の写真でもあります」
「ブレてしまって、何が写っているのか判らないですね」
裁判官が目を細めた。田中が何か言いた気なのを察した鈴木が先んじる。
「これは、偶然シャッターが切れた写真であり、特定の何かを撮るつもりではなかったのです。角度的には、丁度背後を振り返った恰好で撮られたものですが、今見ていただきたいのは画像そのものではありません。これらの写真は全て、自動的に日時が入るように設定されてます。この写真の日時をご覧ください。そして、先程の写真をもう一度確認していただきたいのです」
裁判官と亀左衛門達は、鈴木に言われた通り写真を見比べた。
「同じ日付ですね。それが何か?」
裁判官の言葉に、鈴木が目を光らせた。
「よく見て下さい。二枚の写真には二分近くズレがあります」
裁判官は、「ああ、確かに」と小さく呟く。
鈴木は亀左衛門に問いかけた。
「鶴元さん、先程お会いした時に質問した事を憶えていますよね? 改めて、もう一度質問します。貴方が立札に気付いたのはどの時点でしたか?」
青ざめた亀左衛門に代わり、田中が答えた。
「その質問には、『はっきりとは憶えていない』と答えた筈です。鶴元さんがどう答えようと、記憶があやふやである以上、重要な証言とは言えない筈です」
「ふむ、そうですね。原告、その質問は本当に重要なのですか?」
裁判官の言葉に鈴木が頷く。
「非常に重要です。鶴元さんは、山本山さんが先の写真を撮った時と同時か、それよりも前に気付いたと仰ってました。果たして、この看板は二分もかけて読むものでしょうか?」
傍聴席が騒めく。田中は慌てて挙手した。
「先程も言いましたが、鶴元さんははっきりとは憶えていないのです。正確さに欠ける証言をあげつらっても、時間を浪費するに過ぎません」
「被告側の主張も一理あります。原告、結論を簡潔に述べて下さい」
裁判官の言葉に、鈴木は頷いた。
「わかりました。私は、鶴元さんが『何か』に目を奪われ、職務を怠ったと考えております。そして、その『何か』とは、鶴元さんが主張する立札ではない、ということです。山本山さんの行動に全く責任がないとは申しません。ですが、この事故は、鶴元さんに因る悪質な保護責任者遺棄に原因があると主張します。無論、そう考える根拠はあります。それがこの写真なのです」
鈴木は、酷くブレた写真を指した。
「何度見ても、何が写っているのかよく判らないのですが……」
裁判官は困惑し首を傾げた。亀左衛門と田中の面にも、石地蔵と同じ表情が浮かんでいる。
鈴木の眼が、眼鏡の奥で光った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます