第3話

 何時から話を聞いていたのか、ノックもせず田中の言葉を遮って入室して来た女性が、テーブルの上に一枚の写真を置いた。

 眼鏡をかけ、地味なスーツを身に纏った女性は、あっけにとられる二人に名刺を差し出し名乗った。

「失礼します。山本山純真蜜さんの弁護を担当する、鈴木すずき千代ちよと申します」

 亀左衛門と田中も急いで立ち上がり名刺交換に応じる。二人に促され、鈴木は空いているパイプ椅子席に腰を下ろすと、早速テーブルの上の写真を指差した。

「こちらの写真は、山本山さんが事故にあう直前に撮影したものです。写真の端には確かに立札が写っていますが、先程仰っていたのはこちらのことでしょうか……巨大という程でもないように思えますが」

 写真は、躍動感ある一枚だった。

 南国特有の開放的で色鮮やかな服に身を包んだ人々が、緩やかなカーブを描く小道を行き交い、その間を縫うように可愛らしい小鳥が飛びかっている。小鳥に焦点が合っている為に細かな部分は分かり辛いが、一・五m程の幅の小道の左右には大人の腰まで伸びた草が疎らに生え、その草叢も更に奥では植生が代わり、太さのある樹々が密になっているのが分かる。小道の際に立つ立札も、行きかう人々の間に十分確認出来た。

 頷く亀左衛門に、鈴木が訊ねた。

「鶴元さんはこの立札に何時気付いたんですか?」

「……はっきりと憶えてはいないが、純真蜜がこの写真を撮ってる時か、その少し前だと思う」

 鈴木は写真をもう一枚バッグから取り出した。

「こちらはその写真の一部を拡大し、見やすいように少々加工を施したものです」

 画像は荒く、地元住人だろうか、黄色地に鮮やかな花柄の、肩や腹が覗く開放的なデザインの服を身に付けた女性が立札の一部に被ってしまっていたが、幸い、そこに書かれた文字は隠れていない。


 Caution!

 It's not safe from here on

 Watch your head


「『頭上注意』……先程、立札の内容は憶えていないとおっしゃってましたが、こんなに短い、しかも守護対象の死因に関連する言葉、全く覚えていないなどということがあるものですか? 随分と記憶力に難がおありのようですね」

 おろおろとする亀左衛門に代わり、田中が口を開いた。

「鶴元さんは江戸のお生まれです、外国語はそれほど得意ではないのですよ。慌てていて記憶の混乱もあるでしょう……それよりも、あまり挑発的な物言いは如何なものでしょうか。それに、山本山さんはどちらにいらっしゃるんです?」

 鈴木は悪びれた様子も無く「これは失礼しました」と、田中を軽くいなす。

「では、単刀直入に。山本山さんには、別室でお待ちいただいてます。全てを私に一任されてらっしゃいますので、問題は無いかと思います。そして、私共は、告訴を取り下げる心算はございません。ご承知頂いてる通り、純真蜜さんの死因の責任は鶴元さんにある、と考えております。法廷で真実を明らかにし、山本山さんの生きる権利を取り戻す、これは、正当な主張であると同時に……」

「ちょっと待って下さい!」

 鈴木の言葉を田中が遮った。

「随分と一方的じゃありませんか。貴女だけで我々に会いに来ることを、本当に山本山さんは了承しているんですか?」

 鈴木は「当然でしょう」と、淡々と言った。

「仰りたいことはそれだけですか? ああ、そうそう、他にも山本山さんが旅行中や事故現場で撮った写真、焼き増しですが全てお渡ししておきます。隠す様なものでもありませんし、勿論、そちらは画像加工は一切しておりません。存分に見分なさって下さい。では、次は法廷でお会いしましょう。失礼します」

 鈴木は、鞄から取り出した分厚い封筒をテーブルに置くと、亀左衛門を一睨みし、さっさと部屋を出て行った。

 鈴木の礼儀知らずともいえる態度にあっけにとられていた田中だったが、我に返ると、残された封筒に手を伸ばし、写真を一枚一枚確認しながら言った。

「きっと、山本山さんが裁判を起こしたのは彼女の入れ知恵だな。仕方ない、覚悟を決めましょう。ほう、純真蜜さんの撮った写真、味がありますね。ほら、この小鳥の飛び立つ瞬間なんか、めちゃくちゃエモいですよ……あれ、最後の一枚だけ凄いブレてる。ちょっと勿体ないですね」

 亀左衛門はしかめっ面で、

「『エモい』って、田中さんは若者言葉に詳しいな。それにしても、あの女弁護士さん、随分とつんけんしてたな。元は悪くなさそうなんだし、もっと愛想が良い方が色々と円滑に進むんじゃないかねえ」

「今時、女性は愛想良く、なんて言おうもんなら、あちこちからフルボッコですよ。でも確かに、鈴木弁護士、やけに自信満々だったな……おっと、そんなにご心配なさらず。まずは答弁書を片付けましょう。なに、時間が無いのはあちらも同じです。こちらが不利とは限りません」

 二人はしばし書類を片付けることに専念し、その後は念入りに裁判のロールプレイングを行った。だがその間も、亀左衛門の胸騒ぎは増す一方だった。

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