第2話「女優とマネージャー」

・この話の主な登場人物

「富岡 政樹(とみおか まさき)」二十五歳:鳥海美咲のマネージャー、元ミュージシャン

「鳥海 美咲(とりうみ みさき)」十九歳:女優

「奥屋 紗知(おくや さち)」二十六歳:週刊ターゲットの記者

「家妻 雪夜(かづま ゆきよ)」二十九歳(享年):シンガーソングライター




 控え室に戻った政樹は、一安心している美咲にスマートフォンを手渡す際、奥屋記者からの着信のことは知らない素振りをするために、思わずスマートフォンを裏返して渡してしまった。それがかえって不自然に写ったかも知れないことに、彼は一瞬だけ焦ったが、それよりも、スマートフォンの画面を見た時の美咲の表情を、彼は見逃すまいと注視した。そして彼は、画面を確認した美咲の表情が、一瞬だけ曇ったことを見逃さなかったのである。





「鳥海さん、ご準備宜しいでしょうか」


 スタッフの声がけに演者のスイッチが入った美咲は、さすがに気持ちを切り替えて撮影に臨んでいった風だった。


 政樹はこの隙に、奥屋記者に何の用事があって美咲に電話を入れてきたのか、それの確認すべきなのかを悩んでいた。





 そもそも週刊ターゲットという雑誌は、大物政治家だろうが有名芸能人だろうが遠慮無く、情け容赦ない徹底的な取材攻勢で素性や秘密を暴き出し、一旦それらの種を寝かしてから、その対象人物が脚光を浴びそうなタイミングで雑誌に掲載し、世論に疑いや、失望の百花を咲かす手法で出版数を伸ばしている一流週刊誌である。しかもこの週刊誌、当該取材対象者が異論反論、否定などしようものならば第二、第三の矢を放つという徹底抗戦に入る。


 過去にはこの週刊誌の掲載によって、政治家では大臣の汚職を暴き出した挙げ句に失脚したり、ある大物芸能人は不倫をすっぱ抜かれ仕事を失い、自殺に追い込まれた過去もある。世の中から過剰だ、やり過ぎだとの反感の声も多いが、過激な内容なだけに、それを好む購読者の数が多いのも事実。


 ただし、週刊ターゲット自身は、いわゆる話題に尾ひれはひれを付けて大袈裟には報道しない。事実をありのままに、包み隠さず報道することをモットーとして「新聞より深く」を信条としている報道機関だと自負している。


 しかし人は他人の人生の失墜や堕落を無責任に好む傾向があるのも事実。


 人の不幸は蜜の味。


 昔から耳にする言葉であるが、大抵の人は日常において無意識にその甘露を舌舐めずりして、恍惚の思惑を裏の顔に押し隠している者が多い。


 週刊ターゲットとは、そんな読者を標的(ターゲット)にしている週刊誌なのである。


 つまり睨まれるとロクなことにならない。


 そういったイメージによって、週刊ターゲットに強い警戒心が政樹にはあったので、いまここで奥屋記者に確認の電話をするのはヤブ蛇であると、躊躇せざるを得なかった訳だ。





 CM撮影中の美咲は、そんな政樹の不安を意識することなく、堂々とした姿でカメラに向かっていた。数年前と生活が激変した彼女にいまあるのは、充実感と優越感、それと疲労感の三つしかないのだろうか。


 撮影用のモニター越しに見える鳥海美咲は清純派はなんのその、あざとくすら見えて、人を惑わすような目付きを演じていた。


 そんな姿を遠巻きから眺めていた政樹の心持ちは、まさか週刊誌の記者に目をつけられるような、例えば恋愛沙汰などは美咲に限っては有り得ないという思いだった。マネージャーである政樹は、美咲を完全に監視できているという自覚があった。しかし幼少期より、猜疑心と懐疑心が植え付けられている彼とって、この疑惑とは、形容できないモヤモヤとした緊張感に似た胸騒ぎのようなものが肺に溜まり、何度も溜め息をついても吐き出し切ることができずにいたのだった。





 仕事が終わり、ふたりは政樹が運転する車で美咲が住むマンションに到着したのは、もう深夜に差し掛かっていた。


「着いたよ。お疲れ様、ゆっくり休むんだぞ」


 政樹は後部座席へ振り返ると「あ、ちょっと眠っちゃった。・・・う~ん、疲れたなぁ」と美咲はシートベルトを外し、両手を組んで腕を前に伸ばした。


「明日の予定はなにかな・・・と」


 バッグの中に手を突っ込んで手帳を探っている、先ほどとは違うスッピンの美咲は、とても現在大活躍している十九歳の女優とは思えず、いつか政樹が見たことのあった、ランドセルの中に有るはずなのに無い物を探っているころと同じで、長い睫毛と小さな鼻、少しだけ上唇を突き出してうつむいている、あのときの少女の姿のままだった。


「明日は、ファッション雑誌○○と都市型情報雑誌の○○のインタビュー取材。・・・明日こそ朝七時の迎えだぞ。両方とも撮影があるから顔はむくませないように、早く休んでくれよな」と美咲が手帳を探し当てる前に、政樹は先手を打って明日のスケジュールを伝えた。


「あいあい。・・・では明日も宜しくお願いしま~す!」とおどけて、美咲はドアノブに手を掛けた。


「あっ、美咲!」


 政樹がこう言って彼女を呼び止めたのは、例の奥屋紗知からの電話について聞こうと思っていたからだ。


 奥屋記者とどんなやり取りをしているのか、いつからやり取りを始めていたのかを聞き出したかったのだ。しかし知っておかなくてはならない立場の自分と、知らない方が良いと困惑している自分とが葛藤をしていて、次の一言が出せずにいた。


 そんな優柔不断になっている政樹を、キョトンとして止まって見ていた美咲が「・・・え?で、マアちゃんなんなの?」と声を掛けた。


 政樹は「あ、いやなんでもない」と借問を自制した。そしてすぐに「じゃあお疲れ様、おやすみ」と突っ張って、ちょっと不思議そうな顔をしている美咲を車から降ろした。


 政樹は美咲に聞くよりも、自分が直接、奥屋記者に電話した方が簡単だと、姑息に自分を納得させていた。


 しかし持ち前の猜疑心と懐疑心から、政樹は危ない橋は渡らない。彼は石橋を何回でも叩いてから渡るタイプなのだ。


 だからきっと、彼の方から奥屋記者に連絡を入れることはしないだろう。少なくとも、自分からはこの件に関しては首を突っ込むようなことはしたくない。自らが「ここだ」というタイミングが来ない限り、自分からは動かない。先にも記述したが、ヤブ蛇なことはしたくないタイプなのだ。





 彼はこの晩、どうにも真っすぐ帰宅する気にはなれず、とある名も知らない橋の上に車を停めた。


 その場所からは、彼が憧れた東京のシンボルと呼ばれる大きなタワーが見える、とても展望の良い場所だった。


 しかし車から降りることはなく、運転席からただぼんやりと夜景を見ているふうだったが、頭ではまったく他のことを考えていたので、別に場所は何処でも構わなかった。


 こんなときは大抵、彼は家妻雪夜の歌を車内に流す。冒頭の感傷的なアルペジオの音色は、政樹本人のギターが奏でていた。


 雪夜が作詞、政樹が作曲したこの楽曲は「南十字星と初恋」という曲名で、ピアノで弾き語りの雪夜と、政樹のギター、バックにストリングスで編成されたバラード曲で、彼女の最後の作品になった八作目のアルバム(ちなみにこのアルバムは百九十六万枚売れ、雪夜の死後にさらに三十三万枚売れた)の七曲目に収録されている。


 しかし彼は決まってこの曲を最後まで聞こうとはせず、途中まで聞いて止めてしまう。そうなってしまうのは、やはり雪夜が三年前に亡くなってしまっていることが大きく、それに加えて音楽を捨ててしまった自分自身には耐えられないからなのだろう。


 やはりこのときも途中で音楽を止めた。そして少しだけリクライニングを倒して目を閉じたが、明日の朝が早いこともあるので、少々の間をおいてから車を走らせ帰宅した。





 物語から少し脱線するが、ここで政樹と美咲の関係をはっきりさせておく。


 政樹は美咲のマネージャーでもあり「いとこ」でもある。政樹の父と、美咲の母は実の兄妹。なので幼少期のころから、ふたりは旧知の仲なのだ。


 政樹は中学生からバンド活動を開始して、高校を卒業と同時に上京。二十歳ころにバンドを解散してからは、作曲活動をしながらスタジオミュージシャンとして作曲、レコーディングなどで生計をなしていた。しかし数年前に音楽から決別し、その後に失業中でフラフラしている政樹を、美咲は自身のマネージャーに誘った。


 美咲の先代の女性マネージャーは、彼女と別のタレントとを掛け持ちしており、そのタレントの多忙によって掛け持ちが厳しくなっていたので、政樹のマネージャー就任は偶然と言えば偶然になるが、縁があったと言ってしまえば、多分こちらの方が聞こえが良いだろう。


 しかし昨今の鳥海美咲の活躍ぶりを考えると、政樹のマネージャー就任は運命だったと、むしろこう言った方が劇的な解説なのかも知れない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る