第18話「深田の狙い」

・この話の主な登場人物

「富岡 政樹(とみおか まさき)」二十五歳:鳥海美咲の従兄でマネージャー、元ミュージシャン

「鳥海 美咲(とりうみ みさき)」十九歳:女優、政樹の従妹

「盾ノ内 凡司(たてのうち ぼんじ)」二十五歳:警視庁刑事、巡査、政樹の同級生

「道内 佳澄(どうない かすみ)」三十五歳:警視庁刑事、警部、凡司の先輩

「奥屋 紗知(おくや さち)」二十六歳:週刊ターゲットの記者

「深田 光憲(ふかだ こうけん)」三十八歳:外務省のアジア大洋州局に勤務

「宮ノ前 朱里(みやのまえ あかり)」三十二歳:外務省の経済局に勤務、深田光憲と同省

「赤田 満(あかだ みつる)」二十一歳:通称あかまん、動画サイトのミュージシャン





 道内佳澄警部と盾ノ内凡司巡査の刑事ふたりは、オーストランドへ向かっている飛行機の機内にいた。


「マサには内緒で良かったんスかね」


「良いでしょう。彼にこれ以上の情報は、今後の私たちの捜査にも影響を及ぼしかねないでしょ」


「ですよね・・・にしてもマサがパスワードを解析してくれて、すぐに俺たちに連絡してくれて良かったっスよね。マサがあのファイルの中身を全部読んでしまっていたら、あいつの動揺はあんなもんじゃなかったはずっスから」


 凡司がこう言うには理由があった。


 前話で紹介した、雪夜の本音が記されていた文面には、実は続きが存在していたのである。


 雪夜の本音の、そのあとの文面は、ほとんど箇条書きに近いものであった。


 退院の日取り、飛行機会社と便名、現地の空港からの移動手段、コーディネーターの名前、入館コード、担当医の名前など。


 これらの文面は、家妻雪夜の転落事故の発生日以降の日付で記載されていたものであり、明らかに家妻雪夜が転落したとされる日のあと、実際は生存していたかもと想定しうる、確固たる証拠になる文面だったのだ。





 これ以外にも、警視庁の彼らは新しい情報を手に入れていたのだ。それは深田光憲と宮ノ前朱里の関係についてである。


 宮ノ前のパソコン解析の結果、彼女は深田と共謀して薬物の売買、売春の斡旋を行っていたとされるメールや、メッセージのやり取りが残されていた。


 深田と宮ノ前の間で、何らかのトラブルがあったことは明らかで、家妻雪夜と宮ノ前朱里がすり替えられた経緯と、大きく関係していると彼らは睨んでいた。


 深田は、奥屋記者を襲撃したとされる数日後に日本を出国していた。そして入国した先はイギリスだった。しかし、最終的に向かっているのはオーストランドに決まっている。だがそのあと深田がイギリスを出国したという記録はない。


 警部の推察では、深田は恐らく偽名を使い偽装パスポートを利用しているのだろう。そして、とうに深田はイギリスから、さらに別国を経由してオーストランドに入国していると見ていた。


 雪夜の本音を読んだあと佳澄警部は、雪夜の転落事故の発生日、その近辺の渡航記録を洗い直していた。家妻雪夜が転落したとされたあの日、日本からオーストランドへの直行便の名簿の中に「Miyuki Nagai」の名があった。「永井 水雪(ながい みゆき)」は雪夜の本名である。雪夜が芸能人ならではの盲点になるが、恐らく深田光憲に誘導されるがままに、家妻雪夜はあの日に日本を出国しているに違いない。そう警部は推測していたのだった。





「ねぇ、マアちゃん。私ね、マアちゃんに言ってなかったことがあるの」


「は?・・・なんだよ、いきなり」


 仕事の帰り道、東京へ戻る途中で高速道路を走行中だった。いつもの通り後部座席にいる美咲は、政樹の背中に向かって唐突に、こんな言葉を投げてきた。


「前にさ、私のことで騒ぎになっちゃったじゃん?・・・そのときに奥屋さんから、私のスマホに連絡があったじゃない?」


「あぁ、あれな。・・・どうしたんだ、今さらそんな話」


「実はね、あの男と付き合っているの?とか、そんな内容を聞かれたわけじゃなかったのよ」


「ん?・・・だからそれがどうしたんだよ」


「あの男ね・・・う~ん、名前を言いたくないけど、赤田ね。あいつが薬物をやってないかって。奥屋さん、そっちを調べていたらしいの」


「薬物!?・・・あの赤田が?」


「そう。でも奴が私と会ったときには、そんな素振りはまったく無かったから、そこは正直に奥屋さんに話したのね。そのときに、奴とは関わらないほうが良いよって言われて・・・それでさ、奥屋さんが調べてるのって、マアちゃんと同じで家妻雪夜さんのことでしょ?この前に奥屋さんが怪我を負わされたのって、薬物の売買絡みの取材中でって言ってたじゃない?・・・なにか関係があったのかなって、ずっと気になっちゃってて・・・だってまだ犯人は捕まっていないんだよね?」


「その話、本当なのか?」


 夜間の空いている高速道路だったので、政樹が気が付いたときには車のスピードが法定速度を超えてしまっていた。ハッとした彼は、アクセルから一旦足を離し、信用のない自身のアクセルワークに不安を覚え、オートクルーズモードに切り替えた。


「なんか嫌な予感がするなぁ。一応、ボンには伝えておいたほうが良いかな・・・すぐが良いよな。このあとのサービスエリアでメールしておくか」


 手元のフォルダーにあるコーヒーカップを取ろうとする政樹の手が、微かに震えていた。彼の手の震えには、様々な要因があった。やはり一番には、家妻雪夜が生きているかも知れないという不明瞭な憶測。この憶測がハッキリしない解明しない限り、政樹の心が晴れることはない。彼本人からすれば、いまさら赤田が薬物をやっていようがいまいが、知ったことじゃない気分だったのだ。


 それともうひとつ、政樹は以前から気になっていたことがあった。


 雪夜が転落したとされている日に関わる、どうにも気になって仕方がないことがあった。それは彼が単に推理小説が大好きだったことも、少なからず影響しているのかも知れなかった。自分だけが置いてけぼりを食っている今、自分にもやれることがあるんじゃないか。常識人の亀裂から、そんな感情が吹いて出て止められなかった。





 両刑事がオーストランドに入国した直後、凡司のスマートフォンに政樹からメッセージが飛んで来た。


「?・・・赤田満という動画ミュージシャン?・・・あぁ、美咲ちゃんに一杯食わせたあの野郎か。先輩、ちょっとこれ見て・・・」


「赤田がどうかしたんですか?」


 凡司の横から、いきなり奥屋記者が話かけてきたので「おぉ!?・・・奥屋さん!?いつからここに!?」と数歩だけ後ずさりした。


「ずっと機内で一緒だったわよ。私たちの席の五列後ろに居たの、ボンくん気付いてなかったの?」と佳澄警部が口を挟んだ。


「マジっスか!?」


「マジっスよ。で、それで赤田がどうしたんですか?」と奥屋記者。


「え・・・いや、なんかマサから連絡があって・・・」


「どうせ彼女ならば知っているわよ。話しても問題ないでしょ」とまた警部が口を挟んだ。


「薬物の件ですか?・・・赤田はその件でも我々はマークしてましたからね。事実、あの美咲ちゃんとの記事で交際が確かであれば、第二弾か第三弾の記事では、赤田の薬物疑惑を打ち出す予定だったんですよねぇ」


 こうサラッと奥屋が言うものなので、警部は思わず「下衆ね・・・」と呟いてしまった。


「え!?道内さん?いまなにか言いました?」と、すかさず突っ込んだが、佳澄警部は知らない振りをして、空港ロビーをどんどん進んで行った。


「ってことは、深田の情報筋の薬物購入者って、その赤田なんスか?」


「まさか、それはまた別人です。でも赤田の件の情報も、その人からのものですけど」


「警察としては、聞き捨てならないっスけどね、その人のことも」


「まぁそれはそれで・・・今はこれからのことを進めなきゃでしょ!」


「そっスね・・・あ~先輩、もうあんな先まで歩いて行っちゃってるよ~」





 彼ら三人は、空港からタクシーに乗り込み、郊外にある病院都市、ノスタルジア病院群へ向かった。


 佳澄警部はとにかく急いでいた。早く家妻雪夜の無事を確認したかったのである。奥屋記者のように、どこよりも先に死んだとされる人が、実は生存していたという事実確認をしたかったわけではない。警部の急ぐ理由とは、新たな犠牲者を出してしまう危険があり、彼女に向かっている毒牙を食い止めるため、誰よりも先に家妻雪夜のもとへ急がなければならないという、かなり切迫していたものが警部を突き動かしていたのだった。


 つまり深田光憲は、家妻雪夜の命を狙っているのではないか。


 佳澄の読みは、核心のところを突いていた。





「ネットで調べてもノスタルジア病院のことって、ほとんど載ってないんですよね。警察ではなにか分かってるんですか?」


「ある程度のことしか分からないんスよ。一応、大使館のほうから俺ら捜査員が入るっていう打診は入れてるんスけどね」


「え~。それって私は含まれてます?」


「俺らは警視庁の捜査員っスから。最終的には警察手帳がものを言うんスよ?・・・奥屋さんは待機で!」


「え~?・・・景色はメチャクチャ良いところみたいだけど、べつに風景を見に来たわけじゃないからなぁ」


 ふてくされながらも奥屋記者は後部座席から、オーストランドの広大な風景をスマートフォンのカメラにおさめていた。





 タクシーはしばらく走ると高速道路を下り、真っ青な空ばかりの、だだっ広い荒野の一本道を進んで行く。


「そう言えば、家妻雪夜さんの件って、警察内では騒ぎになってないんですか?」


「騒ぎも騒ぎで、大騒ぎになってますよ。当初の捜査に関わっていた人たちなんて喧々諤々っス。・・・あ、警視庁の記者クラブの人たちも、訝しげな顔をして嗅ぎまわり始めてましたよ」


「うわ~、いよいよそこまで来たか~!新聞社に出て来られるのが、一番嫌なんだよなぁ~」


 タクシーの後部座席で、こんなやり取りをしていた刑事と記者だったが、助手席に構えていた先輩刑事が、急に運転手に向かって吠え立てた。


「どこへ向かう気!?病院都市はこっちの道じゃないでしょ!?」


 もちろん警部は英語でこれを叫んだのだが、凡司は英語がまったく話せないので驚いて固まってしまったが、片言なら英語が話せる奥屋記者は、それがどんな状況なのか理解できた。


「すぐに車を停めなさい!!」


 再び警部の呼びかけにも、帽子を目深にかぶった運転手は、すんとも応えようとはせず、むしろグングンと車のスピードを上げ始めた。


 本来のルートであるアスファルトで舗装された道ではなく、そこから外れた舗装されていない荒れた砂利道を猛スピードで走っているため、とんでもない振動で車が不規則に激しく揺れている。


「ひ、ひえぇ~~~!!」と凡司にしがみつく奥屋記者。


「先輩!!こいつ、なにを考えてるんスか!?」


 ドア上部に付いている取っ手を両手で掴み、ふたり分の重力の揺れを必死に耐えていた凡司がこう叫んだ。


「ボンくん!!後ろからこの運転手の首を極められる!?」


「はい!!・・・奥屋さん!ちょっと邪魔っスよ!!」


 そう言われても、奥屋紗知は凡司の胴体にしがみついて離れそうにない。


 次の瞬間、車の右の前輪が大きな石を踏んだため、車体の右側が大きく浮き上がり片輪走行になったが、咄嗟に運転手が右にハンドルを切り、右側の車輪が強く接地し、車輌が大きくバウンドした。その衝撃で、乗員全員の身体が一瞬だけ宙に浮き、その直後、座席に叩き付けられる格好になったが、それがちょうど良く、凡司と紗知の身体を切り離し、彼の身体を自由にさせた。


「おらぁ!!てめえ!!!」


 凡司は運転席の背後から両腕を伸ばして、運転手の首を締めあげた。間髪、佳澄警部が助手席から運転手の眉間あたりに、帽子の上から肘鉄をお見舞いした。帽子がすっ飛び、気を失った運転手の足からアクセルペダルが離れた様子で、車の加速はおさまっていった。警部が助手席からハンドルを握り、巡査が後部座席から腕を伸ばして、ギアをパーキングに押し込んだ。


 全員が前方につんのめり、車はアンコントロールに陥るところだったが、警部はなんとかハンドルを微調整して横転は免れた。砂煙をあげて車体は斜めに滑り、車はようやく停止した。


 停止した場所は台地の突端だった。


 後方のバンパーの数メートル先は、谷底が数十メートルの断崖絶壁になっていて、その後背には広大なオーストランドの荒野が大きく広がっている。

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