第8話「女刑事登場」

・この話の主な登場人物

「富岡 政樹(とみおか まさき)」二十五歳:鳥海美咲の従兄でマネージャー、元ミュージシャン

「奥屋 紗知(おくや さち)」二十六歳:週刊ターゲットの記者

「盾ノ内 凡司(たてのうち ぼんじ)」二十五歳:警視庁刑事、巡査、政樹の同級生

「道内 佳澄(どうない かすみ)」三十五歳:警視庁刑事、警部、凡司の先輩

「深田 光憲(ふかだ こうけん)」三十八歳:外務省のアジア大洋州局に勤務




「富岡さん、お待たせしました」


「いえ、僕もいまさっき来たところです」


 週刊ターゲットの奥屋記者は、コーヒーを頼んだウエイトレスが水とおしぼりを置いて去るのを待ってから、満を持して話出した話題はやはり鳥海美咲のことだった。


「すごいですね、美咲ちゃんには驚きましたよ。もちろん驚いたのは私だけではなく、世間全般の人もそうだろうけど。うちの社内でもあの舞台挨拶での一幕で、彼女へのイメージは格段に上がりました。だって赤裸々過ぎません?自分は処女です!って。・・・実際には言いたくても言えない女優とかアイドルだらけですからね。本来なら人気を暴落させる記事だったのに、あれを逆手に取られるなんて、完全に我が社は白旗降参ですよ」


 奥屋紗知は紙ナプキンを持って、パタパタと旗を振るような素振りをみせた。


「ちなみに!・・・あの記事を書いた同僚は事務に異動です、飛ばされちゃいました。・・・あ、ちゃんと謝罪と訂正の記事も読んでもらえましたよね?・・・富岡さんの事務所的にはどうなんですか?美咲ちゃん、大丈夫ですかね?」


「まったく大丈夫ですよ。そもそも戦略的に逆手を取った訳ではないし。単に美咲は、ああいう人物だったということでしょう。事務所的にも別に変わりはありませんよ。仕事が減った感じもしないし、逆に増えた様子もなく。・・・プラスマイナスゼロっていったところですかね」


「でも世間では美咲ちゃんに対する見方は変わりましたよ。あんなこと、あの場で普通は言えないですよ。美咲ちゃん、これから本当に時代を代表するような怪物女優になるかもですねぇ」


「怪物女優ですか?ははは、だったら面白いけどね。・・・当人の人間性と女優としての能力は別評価だからなぁ」


 少し冷めたような反応をした政樹は、こう言ってから熱々のコーヒーをすすった。


 もちろん彼自身も、美咲がいずれ怪物女優になるのではという期待が大ありだったが、それでもこの場であえて冷めておいたのは、いつか美咲にも本当の恋人ができて、それをこの奥屋記者の週刊ターゲットにスッパ抜かれるときがくるかも知れないから、彼らしい警戒心で、奥屋紗知にワザと予防線を張っての振る舞いだった。





「で、富岡さんのほうは、家妻さんの件で進展はありましたか?」


「いえ。・・・ですが友人の楯ノ内というのが、このたび本庁の刑事になって、もしかしたら彼の方から、当時の捜査資料なんかの情報を近々得られるかも知れないです」


「それは前進しそうですね!私のほうは、家妻さんの交友関係をまた洗い直してみていたのですが、ちょっと気になる人物が・・・」


 奥屋記者は使い込まれいる手帳を開くと、一枚の写真を政樹に差し出した。


「この人は外務省のアジア大洋州局に勤務をしている深田 光憲(ふかだ こうけん)といって、将来の幹部候補だとか。いわゆるエリートですね」


「雪夜さんの交友関係に、外務省の人がいたんですね。・・・で、この人は雪夜さんとは、どんな関係だったんですか?」


 深田と名乗る写真の男は、いかにもエリートといった堅苦しい七三分けな男ではなく、IT企業の会社でも経営してるような、ちょっとした軽さを持ち合わせたような、そんな第一印象を政樹は感じたが、なにやらまたしても嫌な予感がしてならなかった。


「探り始めたばかりなので、まだ確証はありませんが・・・どうやらこの深田さんと家妻さんは交際していたかも・・・と」


 嫌な予感が的中したとき、自分が望んでいなかった悪い方向へ物事がぶち当たった場合、フーッと全身の血の気が引くような感じがして、そのあとはドキドキと鼓動が強くなる。政樹からすると、先の美咲の一件もあって免疫作用が多少なり働いたが、わずかではあったが、気を取り直す時間は案外早かった。


「付き合っていたんですか?・・・雪夜さんが、この人と?」


「定かではないですよ。家妻さんのマネージャーの中瀬さんに確認を取りましたが、マネージャーの彼女でさえ、家妻さんのプライベートまでは把握してなかったとか。・・・でも家妻さんの普段の様子から、交際している男性がいるような、そんな場面が時折あったそうなんですよ」


「え・・・、んと・・・つまりふたりが一緒にいるところを見かけたとか、そんな話では無いんですよね?」


「無いです。ですが先日、この深田さんに直接電話で取材を申し込んだんです。で、単刀直入に、家妻雪夜との交際について取材したいと揺さぶったんですが、そういうと途端に『何も話すことなんか無い』と一方的に電話を切られてしまいました。おかしいですよね?まったく関係が無いのなら『話すことなんか無い』じゃなくて『そんな人は知らない』とか『会ったことも無い』とかって答えますよね?」


 そんな話を聞いた政樹は、深田の写真を前に、テーブルに肘を付き、握った拳を口元へ当て、ロダンの考える人のポーズになってしまっていた。写真の深田の顔から視線を外すことができずにいたので、奥屋紗知は話を続けることにしたのだが・・・。


「おおっと!!ちょっと待ってください!!」


 と、いきなり大きな声を政樹が出したので、それに驚いた奥屋記者は、慌てて口に人差し指を立てて、目を丸くしながらシーッとやった。


 政樹は「あ、ごめんなさい。・・・その前にひとつだけ教えてください。紗知さんは、そもそもどうやって深田さんの存在を知ったんですか?」と今度は小声で返した。


「全部人伝いですよ。家妻さんについて取材を進めている中で、人から人へ。そしてまた人から人へ。それでようやくある都内のバーで、家妻さんと男性が会っていたっていう情報が。でもそれ、実際にはふたりきりではなくて男女数人のグループだったとか。で、ようやくそのバーのマスターから聞き出すことができたんです。ほんとにめちゃくちゃ大変でしたよぉ。ただマスター曰く、やっぱり雪夜さんを含んでの数名のグループだったそうです。その内の男性ひとりが深田さんだったかという確証は掴めませんでした。・・・マスターに写真を見せたら、こんな感じの人だったかなぁ、という反応でしたね」


 パンッと手帳を閉じると、直後にウエイトレスが背後から奥屋記者の前にコーヒーを置いた。余談だが奥屋紗知は甘党なのだ。スティック状の砂糖を四本も入れて、さらにミルクをたっぷりと注いで、しつこいくらいにグルグルとかき混ぜた。そんな紗知の一連の動作を見守ってから、政樹はこう質問を切り出した。


「マネージャーの中瀬さんがいう、雪夜さんと交際している男性がいるような・・・というのは、どんな場面だったんですか?」


「そこなんですが・・・携帯電話で親密そうに『コウさんに時間合わせますよ』とか『コウさんと会えるの楽しみです』というような会話を何回か聞いたらしいですが、それが深田さんとの電話だったのか、そこまでは中瀬さんも不明だったそうで・・・」


 そこで奥屋紗知の話が詰まると、彼女は持っているボールペンで自身の鼻の頭を擦った。


「なるほど。・・・あ、すみません。話の腰を折ってしまって。で、なんでしたっけ?さっきの話で、その深田さんに電話取材をして?」


「あぁ、それは良いですよ。とりあえずまた今度にでも、深田さんに取材交渉をしてみようと思います。なにか家妻さんについて分かるかも知れませんからね」


 すると、ふたりの会話の切れ目にタイミングを合わせたように、刑事になって大忙しな楯ノ内から久しぶりにコールが鳴った。政樹は「例の楯ノ内からです。ちょっと失礼」と言って席を立ち、喫茶店のドアを抜けて街道を目の前にして電話に出た。





「マサ!時間がかかっていて申し訳ない。久しぶりなんだけど、ちょっと時間がない。悪いが用件だけ伝えるな」


「お、おぉ。いや、こっちこそ忙しいのに悪いな。なんだったらメールとかでも・・・」


「いや、書面やデータで残るのは都合が悪い。だから極力会って話したいんだけど、それは今度に。で、手短に言うぞ」


「わ、分かった!」と政樹は返事をしたが、慌ててスマートフォンの録音機能を作動させた。なにせ昔から楯ノ内凡司という男は早口で知られていて、立て板に水のような流暢な話かたをするので、こちらの記憶力が追っつかないからだ。


「家妻雪夜の捜査資料の内容に関しては、おおかたマスコミから世間に公表されている内容と違いはなかった。しかし参考として押収されているノートパソコンがまだこっちに保管されている。家妻雪夜は親族もいないから、誰からも返還要請がないので未だに警視庁にあるんだ。しかし残念ながらパスワードが分からないので、内部のデータまでは不明だ。だがこれに何かあるんじゃないかと、俺とコンビの先輩が言うんだ」


「先輩?・・・大丈夫なのか?こんなことを警察の先輩に話なんかして」


「大丈夫だ。今度この先輩にも会わせるよ。っていうか先輩が、この件について異様に興味を示してくれてな。近々お前にも会いたがっている。ちなみに週刊ターゲットの奥屋記者にも会いたがっている。なぁに心配するな。先輩はちょっと変わり者だが、間違いなく俺たちの力になってくれる人だから。この先輩は凄いんだ。これまで難事件と言われる案件だったり、解決までに時間がかかりそうな事件をスピード解決したり。今回のことだって、俺が家妻雪夜の事件をコソコソ調べているのをすぐに見破ってきたしな。あ・・・これは俺の脇が甘かったんだが。ははは」


 こう言われても疑り深い政樹ゆえに、にわかに信じられなかったが、そこまで言うのなら、凡司の先輩にでも少々の期待もせざるを得ない状況だっただけに、政樹はあえて信用することにした。


 が、これが運命と言えるのだろう。楯ノ内の先輩刑事との出会いがこの事件の解決に欠かせなかったことは、楯ノ内が言う通り、本当に間違いはなかったのだ。


 そしてメンバーが一堂に会したのは、この電話から間もなくのことだった。





 相変わらず超多忙を極める若手女優、鳥海美咲のマネージャーである富岡政樹は、彼女がドラマの台本の台詞合わせをする数時間の合間をぬって待ち合わせ場所の和食店に急いだ。彼がその店の個室へ到着すると、もうそこには週刊ターゲットの奥屋紗知記者、警視庁の楯ノ内凡司巡査、それに凡司の隣には、やけに姿勢の良い女性が正座で座っていた。その女性こそ先に話が出た凡司の先輩刑事、道内 佳澄(どうない かすみ)その人であった。


「ようやく揃ったな!・・・マサ、紹介するよ。俺の先輩刑事の道内佳澄警部だ」


 彼女はピシリと背筋を伸ばしたままで、上半身だけ素早く斜めに傾けると、また真っすぐ元の姿勢に戻った。まるで自衛官か軍人の敬礼みたいであった。


 このあと一通りの自己紹介があったのだが、佳澄警部以外の紹介場面は特別に付け足すことは無いので割愛する。


 政樹と奥屋記者から見た警部の第一印象は、一見取っつきにくそうな堅物な人間といった感じ。それは何故かというと、彼女は真っ黒な長い髪を、額全開にして後ろに引っ詰めていて、その髪を一束に結っているポニーテール、いやポニーテールというよりも、髪を束ねている位置が頭頂部に近く、且つ、鬢付け油で塗り固めているように、一針の乱れも無い髪型をしていたため、女性なのだが、時代劇に出てくるお侍さんの雰囲気をありありと感じていたからだ。だが、そんな中でも婀娜っぽさがあり、独特な雰囲気を持った女性であった。


 しかし威圧的に思えたのが、女刑事を絵に描いたような黒いスーツに白のワイシャツ姿。それに上品な顔立ちには、横に長い金色の縁が入っている眼鏡をかけているのと、その眼鏡のレンズに紫色が入っているため表情が掴めず、さらに警視庁の刑事であり、警部という階級の肩書きが、より彼女に迫力を与えていたからだった。隣にいる楯ノ内巡査とはキャラクター色が真逆なので、凡司の存在に救われている感じがふたりには共通の印象であった。


 笑わない。この人は滅多に笑ったりはしないのだろうな・・・という所感も、政樹と紗知の中では一致していた。


 でも、この人ならやってくれそうだ・・・という第二印象は、今後見事に的中することになる。

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