第13話「死の当日の真相」

・この話の主な登場人物

「富岡 政樹(とみおか まさき)」二十五歳:鳥海美咲の従兄でマネージャー、元ミュージシャン

「奥屋 紗知(おくや さち)」二十六歳:週刊ターゲットの記者

「盾ノ内 凡司(たてのうち ぼんじ)」二十五歳:警視庁刑事、巡査、政樹の同級生

「道内 佳澄(どうない かすみ)」三十五歳:警視庁刑事、警部、凡司の先輩

「木原 彩香(きはら あやか)」二十七歳:K病院の家妻雪夜の担当看護師




 以前の話でも紹介したが、家妻雪夜が最後に販売したアルバムの七曲目に、作詞は家妻雪夜、作曲は富岡政樹の「南十字星と初恋」という楽曲がある。


 政樹はこっそりイヤホンを着けて、美咲の映画の撮影中の合間に、撮影現場の隅っこで、ついにこの曲を最後まで聴き切った。


 この曲をちゃんと最後まで聴いたのは、いったい、いつぶりだったのだろうか。


 ここ二週間ほど前から、彼の脳裏には、常にあの警部とのやり取りが幾度も繰り返されていた。





 和食店にて、あの顔合わせの終盤の出来事である。


『ある種の殺人』とは・・・。


 佳澄警部との会話は以下のようなものだった。


「あくまで私の推測に過ぎませんので、当然、証拠も確証も持てず、想像の域を出ませんが・・・」


「で・・・その『ある種の殺人』というのは、どういった推測なんですか?」


 スイーツタイムが終わった奥屋記者は、すっかり眼光がジャーナリストに戻っていて、武器を持つ兵隊のように手帳とペンを構えていた。


 佳澄警部が言うにはこうだった。


「警視庁に残されていた三年前の捜査資料から、家妻さんが転落したと思われる時点と、転落後以降に彼女に携わった人物に、先日ふたたび、改めて確認を取りました。第一発見者であるK病院の警備員。そして救命治療、手術に当たった救命医や看護師。そして亡くなった後のエンジェルケアをした看護師。その後の葬儀社までになりますが、それぞれに一貫して言えたことは、誰に至っても、当該女性が家妻雪夜さんだと断定することができなかった、ということでした」


 政樹と紗知は、警部がいったいなにを言っているのか全く理解できず、キョトンとした。


 それを見ていた楯ノ内刑事は、分かりやすく解説を試みたのだが・・・。


「要するにだ、転落をして後頭部を強打して倒れていた家妻雪夜とみられる女性は、強打した影響から、顔が極度に酷くむくんでしまって人相が確認できなかった訳だ。聞き取りには俺も同行していたが、サンプルで持っていった家妻雪夜の顔写真を見せたけど、転落後は無惨にも彼女の顔はむくみで変形してしまっていたので、あの美貌は影すらなかったと、みんな口を揃えて言っていたんだ。それに転落後のその時は、人相がどうと言うよりも、みんな目の前の治療に必死だったようで・・・」


 凡司の説明もイマイチのようなので、要するに刑事コンビの話とはこういうことだった。





 この物語の冒頭に登場していた、第一発見者である北海道訛りのK病院の警備員だが、彼は第一発見者であったため、とにかく職務を遂行し、直ちに事態を事務所へ通報し、院内スタッフと共に倒れている人を救命救急へ移送したので、当然、その人が家妻雪夜だという認識はない。


 救命救急センターの医師や看護師らは、彼女の治療を懸命に行ったが、入院服から当K病院の入院患者だろうと認識しながらも、当人が家妻雪夜本人という意識は持って治療はしていなかった。彼女は病棟の外側にある、非常用らせん階段のスロープから転落して、後頭部をひどく打ちつけていたので、頭部の治療に専念していたが、数時間後、治療も虚しく死亡が確認されたわけである。


 その当該女性が、入院中の家妻雪夜だと判明したのは、当直勤務中で家妻雪夜の担当でもあった看護師、木原 彩香(きはら あやか)の存在だった。


 木原看護師は本来、家妻雪夜が早朝の院内散歩を行う際、当直時であればほぼ毎回付き添っていた。しかしその日は深夜に急患が搬送され、そちらの対応に当たっていたそうだ。そして早朝、病棟のらせん階段から転落して救命に搬送された入院患者がいるという情報を聞き、嫌な予感がした彼女だったが、病室にいない家妻雪夜を確認すると、その足で救命救急センターへ急ぎ、変わり果てた彼女と再会し、当該治療中の患者が家妻雪夜だったことが周知された、という顛末だったそうだ。


 顔はむくみ変形していたが、服装しかり、背格好に髪型、血液型と身体的特徴からしても、家妻雪夜であったことは間違いなかったとしている。現に、入院治療中であった家妻雪夜の姿が見えなかったので、彼女は担当看護師として重く責任を感じ、職を辞する思いだったと語っていた。エンジェルケアを施した看護師というのは、同一、木原彩香のことだそうだ。





 さて、死亡が確認されたのち、納棺された家妻雪夜の顔、つまり彼女の死に顔を見た人数は、かなり限られていたようだった。


 家妻雪夜は神奈川県生まれ。雪夜の母親は未婚の母として彼女を産んでいる。雪夜は誕生当時から、母とその祖父母と暮らしていた。しかし中学三年のとき母が病死。そのあとは祖父母に育てられた。だがその祖父母も雪夜が二十歳のころに相次いで他界しており、それ以降の家妻雪夜は、天涯孤独の身であったそうだ。


 割愛しているが、彼女が創作した歌詞には、しばしばそんな淋しさや、女性の数奇な運命を題材にしたような言葉が綴られている。


 彼女の葬儀はごく内々で執り行われた。さきにも登場している彼女のマネージャーの中瀬華織に、レコード事務所の社長の古屋敷凰助。その他の数名の限られたスタッフのみであり、彼女の女子大時代の友人であったり、当の富岡政樹でさえ、家妻雪夜の死に顔を見ること無く、彼女は荼毘に付されている。葬儀に参列した人物が語るには、棺の中の彼女の表情は安らかではあったが、やはり生前の家妻雪夜の顔とは変形してしまっていたので、それがなんとも可哀想で残酷で、悲しみに余計に拍車がかかってしまった、と各々が振り返っていたそうである。





「と、いうことはつまり。道内さんが言いたいことって、あの・・・転落死した人は・・・ゆ、ゆゆ雪夜さんでは・・・無いと?」


 政樹の身体はもうガタガタと震えが止まらなかった。身体の芯がブルブルと振動しているようだった。心臓が数倍にでも腫れ上がったかのように、拍動が強烈で、話をしようにも心臓の鼓動が邪魔をして舌がもつれ、うまく口が動いてくれずにいたくらいだった。


「すり替わったということですか?あの病棟のらせん階段から転落死したのが、家妻雪夜ではなくて別人ってことですか!?」


 政樹と違って追求に手慣れている奥屋記者の喋りはさすがに流暢だ。しかし道内警部は即座にこう切り返した。


「彼女の死亡届は提出されてます。キチンとした法的な手続きがなされてます。言うまでもなく、彼女が住んでいたマンションも引き払われていますし、今の現時点で彼女が・・・家妻雪夜さんが生き延びているという痕跡はないのです」


 また冷静な口調でこう言われてしまうと、政樹と奥屋記者は高揚と虚脱の繰り返しにさらされ、どちらに気持ちを置いて良いのか分からなくなっていた。


「あくまで推測と申しましたし・・・そうなると、あの階段から転落した人物は、いったい誰なのかという新たな疑問も生まれます。なので現在はこれ以上なんとも言えません」


 そして佳澄警部はさらに厳しい顔つきになり「それに当時のK病院の医師、警察の鑑識までもが騙されるような巧妙な手口。そもそも、こんなことをする動機もよく分かりません。ですが、家妻さん個人の事故というより、何らかの形で事件に巻き込まれたのか、やはり突き落とされたのか。これはあくまで私の妄想、空想に過ぎませんから、いまの話は半分で・・・」





 最近の政樹の頭の中では、このときのやり取りが、ひたすらに繰り返されていた。


 そのあとは特別、誰とも雪夜の件に関しての情報交換はしていなかったが、政樹の頭の大半は、やはり雪夜の死に対しての『ある種の違和感』で埋まっていた。


 事故ではなく突き落とされた?雪夜はすり替えられた?・・・では亡くなった人は誰?・・・ならば雪夜はいまどこに?





 そしてこのあと、急速に物語が進み出すことになる。


 その突破口を開いたのは、警視庁の凄腕刑事と、週刊誌の敏腕記者だった。

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