第22話「違和感の正体」

・この話の主な登場人物

「盾ノ内 凡司(たてのうち ぼんじ)」二十五歳:警視庁刑事、巡査、政樹の同級生

「道内 佳澄(どうない かすみ)」三十五歳:警視庁刑事、警部、凡司の先輩

「木原 彩香(きはら あやか)」二十七歳:K病院の家妻雪夜の担当看護師





「看護師の資格を持っているあなたならば、正当に医療スタッフという形でここに入ることも可能だったわけね」


 ノスタルジア病院群、Gエリアの第七病棟にある警備室の一角にて、佳澄警部と凡司巡査が、簡易的ではあるが木原彩香看護師の取り調べをしていた。


 以前にも彼らはK病院で、家妻雪夜が転落した当時の様子を木原彩香に聞き取りをしているが、そのときの真面目で誠実そうな看護師の印象とはいまは違っていて、服装こそ清潔な医療従事者だが、彼女の表情は医療従事者に似つかわしくない、完全にふてくされた仏頂面に変わっていた。


「あなたたち、よくもまあここまで手の込んだ事件を考えたわね」


「・・・」


 佳澄警部からの問いかけに、木原彩香は無言のままだった。


「あなたが深田光憲や宮ノ前朱里サイドの人間ってことは周知の事実。家妻雪夜を転落死と見せかけて宮ノ前朱里を殺害するなんて、いくらなんでもひとりでは不可能。どこかのポイントで協力者がいなければ、宮ノ前朱里を家妻雪夜として荼毘に付すことなんてできっこないんだから。あの日、エンジェルケアを含めて、一連の根回しをしたのはあなたよね?」


 木原は手錠の掛かった両腕こそテーブルの上に預けていたが、足を組み、視線は天井のどこかを、嫌らしい目付きで睨んだままだった。その様相は、とても白衣の天使などと言えるものではなかった。





「ま、そのあたりの詳細は、日本に戻ってからじっくり聞かせてもらうとして、ひとつ、わたしの推測があっているか確かめてみても良い?」


 こう言うと佳澄警部は珍しく、ほんの少しだけ右側の口角を上げた。


「私たちはてっきり深田光憲が諸悪の根源、大元だと思っていたけれど、あなたと深田は一蓮托生だった」


 木原の視線が天井から、佳澄警部へギロリと移った。


「宮ノ前朱里も元々は深田とつるんでいたのだろうけれど、とあるトラブルから仲間割れを起こした」


 すると佳澄警部は、愛用の紫色のレンズが入った金縁眼鏡を外し、テーブルの上に置いた。佳澄の背後にいた凡司は、佳澄が眼鏡を外したところは見たことがなかったので、思わず数歩だけ、さり気なく進み寄り、テーブルの脇へ移動して、警部の顔を横目で盗み見てみた。


 佳澄警部の瞳は切れ長で、外に少しつり上がっていて、長いまつげの下に涼しげな潤いを蓄えていた。


 しかし凡司がもっとも驚いたのは、佳澄の左眼の瞳の色が黒色ではなく紫色のことだった。今まで紫色のレンズが入っていたため、同色が重なって、瞳の色まで分からなかったのだ。


 凡司と同じように、木原もやはり佳澄警部の紫色の左眼に注目していた。佳澄の紫色の瞳は、異様さと言うよりも、凡司には客観的な美しさを、対照的に木原には言い知れぬ恐怖感を与えていた。





「話は少し戻るけれど、あなたの金銭目当ての売春行為が発端となって、宮ノ前と知り合って共謀するようになった。ここからは宮ノ前朱里のパソコンを復旧した内容に基づいて話すけれど、その悪事は自身らの売春だけにとどまらず、SNSを利用して売買春の斡旋まで始めた。その内にそれだけではなく、売春の相手側の男性と結託して、売買春中の行為を動画で撮影させ、斡旋した女性を脅迫し、キックバックを要求したり、売春から抜け出せないように女性を追い詰めた。その相手側の男性のひとりが、深田光憲ってわけよね。深田には報酬を渡して、売買春行為を録画させていた」


「・・・」


 未だに木原彩香は沈黙を決め込んでいる。


「で、ここからなのだけど・・・宮ノ前朱里が裏切ったのよね?」


 木原は視線をまた、天井へと戻した。


「外務省に勤めている宮ノ前は、自分自身の保身が強まっていった。そして自身の犯罪行為に罪悪感を抱くようになった。足を洗いたくても、あなたたちがそうさせない。こうなったら自滅覚悟で、あなたと深田の行為を公にしてやろう。そう宮ノ前は決心したみたいね」


「え?・・・先輩、そうなんスか?」


「ええ、宮ノ前朱里のパソコンを復旧させたデータを見る限り、間違いないわ。外務省の経済局に勤務しているからか、元々の性格なのか定かではないけれど、全てのデータがご丁寧に綺麗にまとめられていたの。通常、犯罪行為を行う場合は、データなんて残さないでしょ?もしくは暗号化したりとか。繰り返しになるけれど、彼女の場合はデータが綺麗にまとめられていた。まるで第三者に渡すことを前提としているようなデータだったわけ」


「そうっスね、自分もチラッと見ましたが、確かに有り得ない・・・」


「宮ノ前の裏切りをあなたは事前に察知した。そして同じ外務省に勤めている深田光憲に相談した。ここからは予定通りにことが運ばれているから、あなたに特別に話す必要はないわよね」


 こう言うと、ようやく木原彩香が言葉を発した。


「あんた、いつから私を疑っていたの?」


 この問いに、佳澄警部は思わず含み笑いを浮かべた。


「強いて言えば最初から・・・あなたと初めて会って聞き取りをしたときよ。K病院で家妻雪夜が転落した日の聞き取りをおこなった日。あの日あなたは看護師の制服姿だったけれど、あのときに着けていた腕時計ね。ナースらしいシンプルな腕時計ではあったけれど、あんな高価な腕時計はなかなか仕事中に着けられない。特定の人からプレゼントされたとか、他に考えられることも無くもなかったけれど、自分で買うとなると悪いけど、一介の看護師には不釣り合いな腕時計だった。本業にはできない稼ぎの良い、訳ありの副業をしている、そのカモフラージュが看護師なのでは・・・と」


 ズバリ図星を指された木原は、呆れるしかなかった。


「・・・腕時計だけで・・・大した想像力ね」


「本格的に捜査線上に浮かんだのは、もう少しあとだったけれどね。・・・もちろん裏どりはしてあるわよ。あなたの銀行口座も調べさせてもらっているから。怪しい高額の入金がたくさんあったわ」


「先輩いつの間に・・・また課長っスか?」


 こう凡司が聞くと、先輩刑事は小さく頷いた。


「さて、ここからが本題。どうしてこの病院にいる家妻雪夜まで手にかけようとしたのか。・・・簡単にはアクセスできない、ノスタルジア病院群はいわば世の中から隔離された世界。裏を返せば安全と言ったら安全。ただし家妻雪夜が健康を取り戻すか、その逆に悪くなってしまうと、話は少し変わってきてしまうわよね?」


「・・・」


 また木原彩香は、だんまりを決め込んでしまった。


「家妻雪夜に退院されては困るわよね。でも逆に死なれても困る。そのわけは、この病院から日本の大使館に連絡が入ってしまうから。深田光憲は親類として家妻雪夜の病状の情報だけは知り得ることができた」


「先輩、そう言えばさっき、病室で家妻雪夜はまったく動かない状態でしたよね?」


「そう、家妻雪夜の病状から事態が動き出してしまった。それと同時期に、よりによって我々警察、しかもマスコミまでも嗅ぎ出してしまった。こうなってしまったなら仕方がない。看護師として病院へ潜り込み、家妻雪夜を殺害して秘密裏に処理する必要が出てきた。おおかた深田が遺体を引き取るふりをして、どこかへ遺棄するつもりだったんでしょうけど」


 木原彩香は、吐息を漏らすようなため息をついた。


「短絡的といったら短絡的よね。結果、行き当たりばったりな犯行の繰り返し。罪を上塗りをしていくしか、最終的には方法が無くなっていたわけ」


「なんて奴らなんだよ・・・」





 唐突に、取り調べを行っている部屋の内線がなり響いた。凡司は英語が話せないので、受話器を取るのに少し躊躇したが、それを見越していた佳澄が素早く受話器を取った。


 三辻田課長からの国際電話だった。彼らの携帯電話はノスタルジア病院群のゲートに預けてあるため国際電話が使われた。


「分かりました、つなげてください・・・はい、道内です。・・・ええ木原彩香は確保しました。深田はやはりK病院へ?・・・深田は逮捕できたんですか?え?・・・刺された?富岡さんが?・・・どうして富岡さんが?」


 このとき佳澄警部は、受話器を耳に当てたまま凡司巡査へ顔を向け、お互い目を合わせたまま息をのんでしまった。K病院に政樹が現れたことは、深田光憲にトラップを仕掛けた佳澄警部にとって、大きな誤算だったようだ。


「深田が富岡さんの顔を知っているなんて有り得ない・・・どうして」


 刹那、佳澄はもしかしたらと思う推測がポッと浮かんだが、いまはそんな浮ついた話どころじゃない。


 彼女は改めて受話器に耳をあてた。三辻田課長から、だいたいのことのあらましを聞いた佳澄だったが、その隣で耳を傾けていた凡司は、怒りでブルブルと身体を震わせていた。警部の電話での会話を聞いて、ことを察したのは凡司だけではなく、木原彩香もそうだった。


「ははは!・・・深田、やってくれたわね。朱里をあの病院から突き落としたのも深田よ。あいつから聞けば分かるだろうけどね・・・しかしなにか考えていそうだったから放っておいたけど、まさか人を刺すなんてね。でもあいつならやりそうだわ!」


「人が刺されてんのに、お前なに笑ってんだ?」


「はぁ?・・・で?刺されたってやつ誰なのよ?・・・なんなのよ、そいつ」


 木原彩香が話し終わる前に、凡司が左手で彼女の胸ぐらを掴み、椅子に座っていた木原の身体を軽々と持ち上げた。そしてそのまま勢い良く押し込んで木原を壁に叩き付けた。


「俺の親友だこらぁ!!!!」


「ボンくん!!やめなさい!!」


 凡司はいまにも木原を殴りつけそうな剣幕だったので、いつもは冷静な佳澄も、思わず声を荒げ制止を試みた。しかし、怒り心頭の凡司にも、少しの冷静さは保たれていたので、木原を殴ることはしなかったが、右手の拳は強く握られたまま小刻みに震えていた。


「こいつら人をなんだと思ってやがんだ!!・・・こいつら人間じゃねぇ!!!」


「ゲホゲホッ!く、苦し・・・」


 木原がこう苦しがっても、凡司の左腕は力を緩めようとしない。


 これを見て佳澄警部は、凡司には諭すように、木原には皮肉に聞こえるように、唯心論に近い発想を展開した。


「ボンくん、いい?人間だからするのよ。・・・人間だからするの。・・・私欲のために、殺し合ったり傷つけ合ったりするのなんて、地球上の生物で人間くらいしかいないでしょう?そういう生き物なのよ、人間は。だから私たちみたいなタイプの人間も、並行して存在しているの。でもこの前も言ったけれど、それが本当の正義だとは限らない。正しいとも限らない。それでも私たちは自分の正義を、警察官としての正義を信じて戦うしかないの。・・・彼女をよく見ておきなさい、これからだってこういった性根の腐った人間と、何人も戦っていかないとならないんだから。・・・日本では深田が逮捕されたわ。早く・・・私たちは早く日本へ戻るわよ!」


 やや間があって「あぁ!!クソッ!!」


 こう怒鳴った凡司は、今度は木原彩香の身体を椅子に投げつけるようにして、無理やり座らせた。





「少し話を戻すけれど、宮ノ前朱里を突き落としたのは深田光憲だったのね」


 木原彩香は机に突っ伏して、苦しそうに呼吸を整えようしていた。


「K大学病院の病棟脇にあるスロープの二階から転落したように見せかけて、・・・実際は三階、それ以上の階から、宮ノ前朱里を突き落としたんじゃない?」


 今度は木原は乱れた呼吸を整えているフリを、大袈裟に演じた。


「家妻雪夜の専属看護師だったあなたは常日頃、あの場には頻繫に彼女と一緒に散歩の介助をしていた。となれば、彼女があの非常用らせん階段のスロープの手すりに腰を掛けて休むことだって当然にあったはず。それを目の当たりしたあなたは、スロープの手すりに残された家妻雪夜の指紋、これを利用しようと深田と画策した。当時の捜査資料には三階に四階、それ以上の手すりからは誰の指紋も検出されていない。でもこれが家妻雪夜という人を知れば知るほど、ある種の違和感を与えるものだったの」


 木原彩香の呼吸はフリをする余裕がなくなったせいか、自然な荒さに切り替わっていた。


「二階から落ちた割には家妻雪夜、いえ、宮ノ前朱里の後頭部の損傷が激しかったことが腑に落ちなかった。でも我々警察は、指紋が残されているのが二階だったから、二階から転落したと思わざるを得なかった。あなた、家妻雪夜の指紋を手すりに残したかった場所って、本当は三階とかそれ以上の階だったんじゃない?」


 ゴクリと木原彩香が生唾を飲み込む音が聞こえた。


「でも家妻雪夜は生まれ持って用心深い性格だった。彼女が少しでも高い場所で、手すりを背にして腰を掛けるなんて、危険な要素がある場所では絶対にするわけがない」


「あ、先輩・・・だからマサのやつ」


「そう、いつか富岡さんが言っていた・・・『いくら病中に気持ちが弱っていたにしても、落下の危険性の高いそんな場所で、しかも不利になるような体勢を、彼女は軽率に取るのだろうか』と」


 佳澄警部の推察はまだ続けられる。


「深田が家妻雪夜を秘密裏に退院させることができたのも、担当看護師のあなたが居ればこそ。入院服だって簡単に用意できるわけだし、宮ノ前を突き落としたあとに着替えさせる手間も、大した世話でもなかったわけよね?」


 道内佳澄警部はテーブルの上にあった金縁眼鏡を再び装着し、冷静にこう言った。


「彼に・・・富岡政樹に『ある種の違和感』を与えてしまった。・・・それがあなたたちの最大の落ち度だったってことね」


 木原彩香は大きなため息をつき、さすがに観念したように俯いた。

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