第5話「美咲のスキャンダル」

「そうなんです。・・・私って生まれて十九年間、彼氏っていたことがないので分からないんですよ」


 あるバラエティ番組にゲスト出演した鳥海美咲は、自身の恋愛観を語る場面でこんなコメントをしていた。


「うそでしょ~?」とか「そんな可愛いのに?」と、共演者におべっかを使われて盛り立てられている彼女を、収録スタジオの片隅で眺めていた政樹は少しだけ安心をした。


 二ヶ月前のあのCM撮影の日に、美咲のスマートフォンに週刊ターゲットの奥屋紗知記者から着信があったのを知ってから、まさか美咲に男性スキャンダルなんてという疑いがあったので、番組収録でこう大ぴらに公言してくれた美咲にようやく安堵したのだった。


 確かに親戚の政樹が見ている限りでも、美咲はこれまで男性と交際したことはないと思っていた。それに加え、美咲はこれからもどんどん伸びていく女優になるはずであるし、事務所一丸になって推している将来有望の若手女優でもあった。


 まさかそんなスキャンダルが起こってしまった場合、人気商売である女優業に大ブレーキがかかってしまう。それだけはどうしても避けたかったし、政樹も美咲の色恋沙汰には特に注意していたつもりだった。


 ところが、恐れていたことが現実になってしまうのだった。





 この番組収録から三日後だった。


 美咲は相変わらず多忙の中、映画の撮影中だったが、政樹は控え室でいつも通りスケジュールの管理をしていた。そこに奥屋記者から着信があったのだ。政樹はなんの抵抗もなく、むしろちょっと期待を持って通話を始めた。


「どうも紗知さん、お疲れ様です。・・・どうですか?なにか進展はありましたか?」


「お疲れ様です、富岡さん。すみません。今日はちょっと・・・家妻さんのことではなくて、その・・・別件なんですよね。美咲ちゃんのことでして」


 言葉を聞いた途端、政樹はギクリとした。


「え?美咲?・・・美咲がどうかしたんですか?」


 政樹はミュージシャン時代から、奥屋紗知とはひょんなことから知り合いだった。


 以前の章でも政樹と奥屋記者は知り合いと説明したが、実は雪夜の死の『ある種の違和感』を、秘密裏に奥屋記者も追っているのだ。


 もう一歩きちんと説明するならば、雪夜の死の件を当初から奥屋紗知も疑っており、たまたま政樹に連絡した会話の中で、偶然双方の思惑が一致したという経緯があり、それから独自にふたりで地道に調べを進めていた、というのが正式なことの流れになる。


 しかし、このとき奥屋記者は雪夜の件ではなく、美咲の件で連絡をしてきたのだ。


 もちろん政樹が美咲のマネージャーであることは奥屋記者は知っている。そして美咲のスマートフォンの着信の一件もあり、政樹は触れたくない嫌な予感しかしていなかったので、余計に彼は焦りや疑いの気持ちが大きくなった。





「・・・で、美咲のことって?」


 政樹は椅子に座り、平静を装ってはいたものの、膝が浮いたような感覚になり、気持ちが動揺し出した。


「えぇ、ちょっと前なんですけど、うちの記者が美咲ちゃんのマンションを張り込んでまして・・・撮っちゃったんですよね」


「は、張り込み?・・・撮っちゃった?・・・と言うと?」


 政樹は一気に口の中が乾いてきて、舌の上がかさついて滑舌が悪くなっていた。


 そんな政樹に触発された訳ではないが、奥屋記者も釣られて奥歯に物が挟まったような口調になってしまい「つまり、その・・・ですので・・・私の個人的には美咲ちゃんにはクリーンでいて欲しいと。・・・で、美咲ちゃんの携帯番号を、当社の別の記者から教えもらっていたので・・・あえて美咲ちゃんと直で連絡を取って伝えたんですよ。でも美咲ちゃんには、うまく伝わらなかったみたいで・・・」


「ちょ、ちょっと待って!!ちょっと、全然話が見えてこないのだけれど・・・どういうこと!?」


「ごめんなさい。はっきり言うと・・・美咲ちゃんが、とある男性を自宅マンションに入れているところを撮られてしまって。・・・いえいえ!撮ったのは私ではないですよ。さっきも言いましたけど、同僚の記者です。で、今度の美咲ちゃん主演の・・・あの去年の頭に撮影した映画の『私と恋の最大値』の公開って来週じゃないですか。・・・そのタイミングで、記事をあげるってことに決まりまして」


「えぇ~!!ウソでしょ!?・・・本当ですか!?あいつバカか!!・・・とある男性って誰なんですか!?いったいどんなヤツなんですか!?」


「やっぱり富岡さん知らなかったですよね。私、美咲ちゃんには富岡さんだけには相談した方が良いよって伝えようと思ったんですけど」


「いやいや、・・・ですから!男性ってどこの誰なんですかね!?」


 このときの政樹はスマートフォンを左手で耳に当てて、ひとり身悶えしながら、もう片方の右手で髪の毛をグシャグシャにかき乱していた。


「ご存知ないと思いますが、動画投稿サイトのVSと呼ばれている『ビジュアリーサービス』で投稿ミュージシャンをしている『あかまん』です」


「はい??・・・あかまんって、誰なんですかそいつ」


「本名は赤田 満(あかだ みつる)といって、年齢は二十一歳。大帝都大学の現役大学生ながら音楽活動をしていて、一部の若者、特に中高生の女子には人気があって、動画再生回数も凄いネットミュージシャンです」


 奥屋紗知が語れば語るほど、政樹の心拍数はバンバン跳ね上がっていた。貧血に近い症状も表れ始めたので、一旦大きく深呼吸をしたが、全身から冷や汗が吹き出して、膝がカクカクと細かく震えていた。





 やや無言の間があったが、少しだけ落ち着いた政樹は「で、記事の内容は・・・すみませんがコピーでも何でも良いので、僕の家にFAXしておいてもらって良いですか?」とトーンはさすがに落ち込んだままだったが、こう彼女に伝えた。


 政樹の心境を悟った奥屋紗知は「えぇ分かりました。・・・ゲラですが、あとで送っておきますね。恐らく明後日には同じものを事務所にも送る予定になりますが。その・・・こんな私が言うのも何ですが、あの年頃の女の子だから、仕方ないと思いますけどね」


「まったく。・・・そんな男とどうやって知り合ったんだよ」と政樹が「そんな男」と言ったのは、政樹がその男の名前である「赤田」とか「あかまん」と言う呼称すら口にしたくないほどに、それほどその男に嫌悪感を持ったからだった。


 政樹のこれと同じような似た現象が奥屋記者にも起こる。


「その男性のSNSだそうです。元々は美咲ちゃんが友人に連れられてその男性のライブに行ったそうなんです。そして美咲ちゃんの方からその男性のSNSにDMを送って、これが交際のきっかけになったと、その男性自身が取材に応じたそうですが」と、「赤田」「あかまん」の名を彼女も封印したのだった。


「そういえば半年前くらいに、誰かのライブに行くと聞いていたなぁ。あれか?・・・あのときか?・・・ちくしょう」





 奥屋記者との通話を終わらせた政樹は、お手上げ状態の精神になっていた。


「なんでよりによってこの間の収録のときに、十九年間彼氏っていたことがなくて、なんて言ったんだよ」


 彼の胸焼け感は一層強まった。


 とりあえず事務所の社長に相談するしかないなと、もう開き直って諦めることにした。





 この日、美咲の映画の撮影は深夜に及んだ。


 少し顔色が悪く、疲労困憊の色を隠せずに引き上げて来た美咲に、政樹は不思議と普段よりも余計に優しく接していた。


 怒りや困惑で食事も喉を通らず、強い酒でもガンガン呑みたい気分だった政樹だったが、それ以上に、その身をすり減らしている美咲に対して、今はこれ以上の負担を掛けたくない、そんな心情が無意識に彼を温和に動かしたのかも知れない。


 美咲を自宅へ送り届ける際、ルームミラー越しに映る美咲の疲れ切った顔を、何回か自身のスマートフォンが明るく照らす場面があった。そのたびに政樹はルームミラーに視線を奪われ、心臓を針先でチクチクと刺されるような痛みを感じていた。


 もしかしたら赤田とやり取りをしているのか。もしや今も、赤田のヤツは美咲の部屋で彼女の帰りを待っているのではないか。


 政樹の持ち前の猜疑心と懐疑心がまたまた胃酸を大量に分泌させ、ますます胸焼け感が強まっていった。だが美咲に問い詰めることはせず、いつもの通りマンションの前で彼女を降ろした。美咲は「また明日ね」とだけ言って、さっさとマンションに消えていった。


 政樹はすぐに車を発進させることはせず、五分くらいのあいだその場に留まった。その間にどんな意味があったのか分からないが、ただ政樹はすぐには動けずにいたのだった。





 政樹が自宅に戻ったのはもう午前三時半を過ぎていた。早く見たいようで、でも見たくなかったが、奥屋記者からのFAXはしっかりと届いていた。一枚の紙っぺらが力なく補助トレイにもたれかかっている。一方の政樹も、ソファに紙っぺらと同じような格好でもたれ込んでいた。





 いきなりの例え話だが、大抵の宝くじはハズレているもの。かすかな期待と、まさかの奇跡の願いを持って当選確認をするが、一等が当たっていることなんて無い。


 しかしハズレだと分かっていても、もしかしたら今度は、とか、今回こそと希望を持つが、なんだやっぱりダメだったかと落胆する。しかしそんな気落ちにも次第に慣れてくる。それでまた淡い期待を呼び戻してしまう。期待とか不安とか失望を、宝くじはこれの繰り返しだ。


 例え話はさておいて、このときの政樹はそれに近い心持ちで、FAXの用紙をエイッと取ってみた。淡い期待もなんのその、やっぱり期待は見事に裏切られたのだった。


 悪い予想はよく当たるもの。想像していた通り、いやそれ以上の記事の悪い内容に、彼は脱力し、とうとう辟易した。





『飛ぶ「鳥」を落とす勢いの若手女優の初ロマンス!鳥海美咲が自宅マンションへ連れ込み愛が発覚!お相手はVSミュージシャン!』


 目の焦点が合わないくらいに、こうデカデカと題されたゲラのコピーが眼前にあり、記事の文面も奥屋記者から聞いた通りの内容で、ストレートパンチそのものだった。


 しかし政樹を更に落胆させたのは、美咲の部屋に出入りする赤田の不細工な姿の写真にも充分に落胆させられたが、それよりも、赤田の素行の悪さが記されていたことだった。


 赤田は大学では合コン好きで知られていて、しかも女性の「お持ち帰り」の常習者であることだった。


 そればかりか、赤田の知人とされる人物への取材によると、美咲からのDMを得意気に見せびらかしていたとか。かつ美咲との交際を、自身の音楽活動の踏み台にして利用してやると言い放っていたとか。


 しかし政樹を最も落胆させたのは、記事には真相は定かではないと記されてはいるが、美咲の身体的な恥部の特徴のことまでも周囲に漏らしていたという内容だった。


 これには彼は激しく動揺した。深夜の眠気も疲れもぶっ飛ぶほどに、はらわたが煮えくり返る思いだった。


 この晩は彼は一睡もすることなく、翌朝の八時には美咲を迎えに行ったのだった。





 政樹がハンドルを握っている車がグラッと揺れるほど、気怠そうな美咲が後部座席に勢いよく乗り込んだ。ドンと乱暴にドアを閉めると「はぁ!もう今日のシーンのセリフがなかなか頭に入らないんだよね。うまく出来るかプレッシャーだなぁ」と、いきなり愚痴った。


 美咲に欺かれていたのかという自分の気持ちと、雑に車を扱われたのが重なって、政樹はカチンと来た。


「お前なに言ってんだ!!・・・男なんか自宅に連れ込んでいるからセリフだって身に付かないんだろ!・・・なにが十九年間彼氏っていたことがなくてだ!!お前のウソでどんだけのファンとか、支えてくれている人たちをガッカリさせてると思ってんだ!どんだけ傷つけているのかお前は分かってんのか!?」


 美咲にこんな言葉を吐きかけてやりたい気持ちで爆発直前だった政樹だが、寸前のところで喉元で飲み込めた。


「疲れているから仕方がないよ。・・・本番までにはまだ時間があるから、お前なら大丈夫だろ」


 政樹は彼女にこう言ったが、彼が握るハンドルは彼の手汗でずいぶんと湿っていた。

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