惑い返すリフティア ー 3
「―――出来た、これでも飲んで温まると良い」
「あっ、ありがとうございます」
簡単に作ったホットチョコレートをマグに入れてエヴァに渡す。
普段の冒険ではこんなもんを飲んだりはせず、もっと安物のコーヒーや紅茶を淹れているのだが、流石に気遣う相手がいるのに何時もの安物を出すわけにもいかない。溶かしたチョコレートの飲み物を飲んで、心身共に温まって貰う。
まあ、コスパが悪い。コスパが。
……これが終わったらしばらくは真面目に仕事探して金策かねぇ。
エヴァの旅装、宿泊費、賄賂、事前準備で貯金を大量放出している。装備以外にはそこまで金を使わない人生を送っているが、流石に今回は消費が荒すぎる。まだまだ貯金には余裕があるも、油断した頃には……という話は良くある。
『成程ねぇ……エリスのアンタへの執着はそういう所から来てたのね。アイツ、情念というかアンタへの感情みたいなもんが人一倍重い癖にそれをまるで見せようとはしなかったのが怖かったけど』
「お前とセオの前ではな、まるで見せようとはしなかったな。だけど俺と二人の時とかは隠そうとはしなかったぞ。女の化身、って感じの凄い感情の重さをダイレクトに乗せてくる女だったよ。俺も俺でそれが普通だと思ってたから特に重さなんて感じなかったんだが」
話は戻る。産まれる前の話に。そして産まれた後の話に。
「同時期に産まれた俺とエリス……テュール公もブラッドウッド公も約束を守り俺達を許嫁として育てる事にした。俺達は良く領地を超えて顔を合わせては一緒に育てられた……産まれた時からずっと一緒に育てられ、そしてお互いに意識するまでもなくそれが当然だと認識してた」
だからエリスは良く言っていた。
「“カシウス、私達は運命なの。私達は生まれる前から結ばれる事が決まっていたの”……ってな。エリスは良くそう言ってた。そしてそれが真実だと思っていた。そして俺も、そうだと思っていた。だから少しでも彼女に相応しい己であるように己を鍛え、勉学に励んだ」
公爵家の跡取りとして相応しい教養と実力を。あの頃の俺は真面目な少年だった。誰よりも、なによりも好きな彼女に相応しい自分であろうと頑張った。結果、俺は生まれついての化け物だと発覚した。抜きんでた武才は貴族にして遊ばせるのは勿体ない程だと言われる程に。
「俺がエリスに相応しい、立派な公爵家の跡取りとなろうとするのと同時に……エリスもまた、己の才覚を発覚していた。生まれ持った愛嬌、魔性のカリスマ、そして純粋な才覚。女にしておくには勿体ない程の才能を彼女は秘めていた。そしてそれを遺憾なく発揮したのが原因だったんだろうな」
ここまで喋るとエヴァが少し表情を悪くする。
ホットチョコの入ったマグを口元まで寄せながら膝を抱え、話を聞きながらも思考に耽る様な表情を取る。
「……やはり」
「さて、何かの結論に達してるみたいだが……話を続けるな?」
どうぞどうぞと小鳥がハンドサインっぽいものを送ってくる。さて、どこまで話したか、と自分の分のチョコレートを口にしながら思い出す。
「あぁ……そうだった、エリスの才能だったな。そうだな、エリスはまだ愛嬌と言えるレベルの可愛らしさだったが、既にその魔性さは滲み出ていた。それを最初に察したのがテュール夫人、つまりエリスのお母さんで、その次に察したのがテュール老、つまりエリスの爺さんだ」
はあ、と溜息が出る。
「連中はエリスを見て未完の大器をそこに見た。女として、この少女はどこまでも飛翔できる。それこそ公爵家の相手なんて小さすぎる……この器であれば王家の嫁に滑り込めるだろう。上手く行けば第一王子の妃に……ってな」
『待って待って待って待って』
小鳥がエヴァの肩から飛び降りて待ったをかける。
『この時点でエリスとアンタの間には婚約の約束があったのよね?』
「あぁ、そうだ。テュールとブラッドウッドの間で結ばれた約束だったし、当時のテュール公はそれを破る気等一切なかった。だが老と夫人はそれでは勿体ないと思った。この娘はもっと相応しい使い道があると。この縁談は破談にし、王家に婚約を打診しようとな」
あまりにも滅茶苦茶なは話に流石のレノアも引き攣った表情を浮かべ、エヴァも複雑な表情をしている。
「確かに貴族の子女は政治の道具として見られていますが……一度結ばれた約束をこうも一方的に反故にしようとするなんて」
『……でも結果で言えばセオの奴と婚約して、結婚までしてるわよね?』
小鳥の言動におう、と頷いて答えた。
「三歳になる頃、俺は宮廷に連れられセオと出会う事になった。将来使える相手として顔を合わせるのと、速い段階で友誼を結ぶ事で将来の関係作りの為にな。だがそう言う事抜きで俺はセオを気に入ったし、セオも俺の事を気に入った……俺達は直ぐに友達になったんだ」
それから更に五年が経過する。エリスの婚約破棄と新しい婚約の話はこの時になる。
「セオも育ち、早いうちに婚約者を見つける必要が出てきた。そこで王に直接エリスを売り込む事に老と夫人は決めたんだが……これに当然、当時のテュール公が反対した。自分が用意した縁談、それを反故にしようとする事にな」
『まあ、キレる』
「だから殺した」
首を切り落とすジェスチャーを取る。それだけだ。テュール公は死亡した。エヴァは既に知っていたのか顔を顰めているが、レノアは嘴を開けたまま呆然としてる。
「これは当時、かなり大きな話になった。テュール公が死んだ事で俺との婚約の話はどさくさで流されたし、その間に再びテュール公の座を握った老主はエリスを王に売り込んだ。……ある意味必然か、エリスの魔性の愛嬌を見て一瞬で彼女を気に入った王は彼女とセオの婚約を決めた」
一介の公爵にそれを覆すだけの力はなく、王が気に入ってしまった以上事情を説明したとしても覆せるとは限らない。俺達に出来る事は黙って従う事だけだった。黙って、怒りを抑えて、それで何時かあの老人の顔面を砕いてやると怒りを飲み込む事だけだった。
「あの若作り爺の顔面を何度破壊してやろうかと思った事か。百回殺しても殺したりない程に怒りを感じて……だけど嬉しそうにエリスとの婚約を発表するセオの姿を見て、俺は黙るしかなかった。アイツは俺とエリスの関係を何も知らなかった。これまで何も言わなかったからな。だからセオは本当に可愛くて、才能のある婚約を者を得たとしか理解してなかったんだ」
怒りはあるし、真実をセオドリクに伝えたいという気持ちもあった。
「だけど俺の怒りを解き放った所でどうしろって言うんだ? 不幸になる人間ばかりで幸せになる奴なんてまるでいない。俺も親父と話し合って、一生テュール老を……クソ爺を恨むが、この感情と約束の事は秘めておこうって決めた。それがセオとエリスの為になると思ったからだ」
友と惚れた女の為に俺が馬鹿を見る。まあ、それで良いじゃねえか。それでエリスが幸せになるなら俺はそれでも良かった。
「ただ、もう、公爵家を継ぐやる気みたいなもんは消え失せた。これまで公爵家を継ぐのはエリスを迎える為の準備の様なもんだったからな、俺も。だからセオの婚約が決まった時点で家督は弟に譲る事にした」
エヴァが苦悶の表情を浮かべて頭を下げた。
「当家の者が本当に申し訳なく」
「あぁ、いや、エヴァに罪はないよ。罪があるのはクソ爺と腐れ婆の二人だけだよ」
なるべく吐かない様に意識しているが、やはり溜息は零れてしまう。思い出せば思い出すほど自分の感情がぐつぐつと煮えるのが解る。長年向き合ってきた感情だが、未だに消化しきれないのはやはり俺がエリスの事を欠片も諦められていなかったからだろう。
「……まあ、それで公爵家を継ぐ事を捨てたが、別の形でエリスを、そしてセオの力になろうと思ってな。それで騎士になった、という訳さ」
それで当時の騎士見習いと騎士の心を圧し折ったのは申し訳ないけど。後から聞いた話だが、あの数年は異様に騎士になる者が少なく、離脱者が多かった。その代わりに生き残った者はどれも実力者となったのだとか。
完全に俺が選別して圧し折ってる形になってた。
当時は周りを見るだけの余裕も脳もなかったから仕方がないと言えばそうなのだが。
「公爵家の嫡男が騎士ですか……こう言ってはなんですが、反対されませんでしたか?」
「滅茶苦茶された」
そりゃあもう、滅茶苦茶反対された。何せそれまでは貴族としてほぼ必要な態度と教養を身に着け、武芸も騎士団に劣らず勝るだけのものを身に着け、その上で民に優しく、政治も理解し、経済も理解して、完璧とも言える貴族としての姿を見せたのだ。
それがそういうものを全部捨てて騎士になると言い出したのだ。
「母さんも、弟も、妹も……まあ、皆に止められたよ。親父と爺さんだけが俺の味方だったな。止められる前に家を出て騎士団に飛び込んで、その年の内に騎士になったからもはや止めようもなかったけどな」
『力技にもほどがある』
レノアの言葉に笑う。確かに力業だ。だがそれが通ってしまえばこっちのもんだ。俺はそうやって騎士団に飛び込んで騎士になったし、目標であるセオドリクの傍仕え、つまり近衛騎士になるのにも僅か二年で決着をつけた。
「俺は十歳で騎士になり、十二で近衛に入隊した。十四になる頃には近衛の隊を任せられる程になっていた。アストリア建国以来最強の騎士になると言われた……実際、十八になる頃には俺は国内どころか大陸最強だとまで謳われていた。必要だったのはセオの護衛の立場だけだったんだがな」
名声やそれに纏わるもの等俺にとっては全てがオマケだった。エリスの幸福、そしてセオドリクの安全。それを守る事がそれからの俺の全てだったと言っても良い。立場さえ手に入れれば俺はあの二人の傍に居られる。そうすればあの二人の幸せを俺の力で守る事が出来る。
自惚れとも言える程の自信だ―――だが俺にはそれだけの実力があった。
「こうやって俺が騎士になって、俺と、セオと、エリスと、レノアの四人組が出来上がった、という訳さ」
『こう見ると私が合流するまでは割と色々とあったのねぇ』
「俺はエリスと、お前はセオと先に出会ってて、俺達のつながりはセオを通してのもの……それが本格的に四人組になったのはエリスの婚約発表と俺が騎士になって中央へと移ってからだったな。あの頃は楽しくて良かったよなぁ」
目を瞑ればあの頃を今でも思い出せる……もうエリスとセオドリクは死んでしまったが、それでも二人の子供と最後の幼馴染が残っている。親父や弟たちはどうしているのだろうか? 妹も既に結婚しているだろうし。今の状況を考えると相当苦労していそうだ。
エヴァはうーむ、と軽く唸った。
「ですがお母さまは……この状況でもカシウスさんの事を諦めていなかった、という事になるんですよね?」
「そうだな。エリスはセオとの婚約が決まった所で欠片も俺の事を諦めていなかった。表向きはセオの婚約者として振舞っていたが、その内心は恐らく欠片も彼には向いていなかった。上辺だけの演技は貴族であれば誰もが習得しているものだが、エリスのそれは完璧を通り越していた」
そう、ここでエリスが素直に俺の事を諦めていれば俺も諦める事が出来たのかもしれない。
だがこの話はここでは終わらない。
騎士になってから八年間、俺が騎士から近衛になり、城内の勤務となり、或いは近衛としての仕事を果たす為に国を駆けまわる事になった頃の話だ。エリスは俺を諦めず、彼女自身に許せる権利で俺を手に入れようとした。
「が……今日はここまでだ」
『は?』
「えー」
話をここで切り上げようとすると女性陣から遠慮のないブーイングが飛んでくる。露骨に不機嫌そうな表情を見せる一人と一羽に対してまあまあ、と手を出してブーイングを止める。
「一晩で語るにはそこそこカロリーの重い話なんだ。俺にも心の準備とか整理も欲しい。それに外を見てみろ」
小屋から伺える外の空は既に暮れて、暗くなっている。昔語りをしている間に既に夜が迫っていた。そろそろ寝る前に食べるものの準備と、明日の用意をしておきたい。
「明日もかなりの距離を歩く事になる……次の野営地まで歩き通しになるんだ。早く寝ておけ」
「む……そう言われてしまうと反論は何も出来なくなってしまうのですが」
エヴァがジト目で此方を眺めてくる。
「……言い逃れしようとしてません?」
「話の続きはまた明日の野営で、な」
そう答えるとしばし不満げな表情を見せるも、やがて納得するしかないと悟ったエヴァがチョコレートを飲み終わった。レノアを連れて魔術を使って空になったマグカップを外で洗い出すのを眺めながら溜息を零す。
「ろくでもない青春だったが……それでも青春だったな」
自分のやっている事が正しいと思って、自分の道を選べた頃は何よりも自由で良かったと思える。だが何時かは気づくのだ、自分が選んだ道は結局のところ選んだのではなく、選ばされたものだったという事を。
貴族、王族、騎士、社交界―――俺達が進んだ道は全てあらかじめ用意され、複雑怪奇に結ばれた陰謀の意図によって絡みつかれていた。それでもその中で俺達は望んだ未来と自由を選ぶために足掻くしかなかった。
「が……果たして本当に自分の成りたい者に、選びたい道は選べたのだろうか」
三十を超え、過去を振り返り、それでも間違いだらけの人生を送ったと思う。だからこそこうやって過去の罪の清算をする為に戻ってきた。
今度こそは、間違えないようにしたいと思いながら。
樹海での夜は更けてゆく。
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