雪解けのゼルトリンゲン ー 5

 どうして女の買い物とはこんなにも時間がかかるものなのか。女性陣g亜満足して購入するのを決める頃には優に一時間を越していた。朝早めに此方に来てよかったと思いつつ丈や裾の直しを店主に頼んだ店を出る。満足のゆく買い物にエヴァも小鳥も良い表情をしていた。


『満足満足……で、次は何をするんだっけ?』


「昼には……まだ早いからな。魔法屋で使えそうなスクロールを補充する。その後は特に決めてないけど……軽くギルドに顔を出すかな。本題としてはエヴァの旅装を整えるのが今日の目的だったからな」


「魔法屋、ですか?」


 エヴァは聞きなれない言葉に首を傾げていた。それに答える為に腰のポーチ―――マジックバッグの中からマジックスクロールを取り出す。


「このスクロールには魔法が記録されてるんだ。基本的に俺の様な魔術師でもない者はそう多くの魔力を持たない。だから当然、使える魔術の類も少ない。エヴァは……魔術に関する勉強はどれぐらいやってる?」


「一般的な範囲であれば」


「そうか」


 じゃあプロに軽い講義でもして貰うか、と話を小鳥に向ける。それを受けて小鳥はえっへん、とあからさまな咳ばらいをしてから話に入る。


『まず魔術師の第一歩として魔力を伸ばす訓練を行わなきゃならないんだけど……カシウスみたいな戦士タイプはそういう事やらないじゃない? だから“本棚”が広がらないのよね。魔術記憶領域、通称本棚。私達が魔術やその呪文を記憶、記録していられる容量ね』


 魔術師と戦士の大きな違いはこれだ。魔術師たちは特殊な訓練を通す事でこの本棚を拡張し、そこに魔術を収める事で使える魔術を増やすのだ。だが俺の様にその手の訓練をしなかった者はこの本棚が非常に小さい。


「まあ、そもそも枯らして俺は魔力そのものがほぼないに等しいからな。闘気を駆使する闘術の方ばかり練習してたよ」


『じゃあ魔力のない人間は魔術が使えないのか? という話をすると違うのよね。このマジックスクロールは本棚の代わりに魔術を保管しておく媒体になるのよ。使用回数が定められているし、使うのにも魔力は必要よ? それでも誰でも魔術が使えるようになる道具だわ』


 なお俺みたいに魔力が著しく低い者はスクロールだけではなく、別に魔石を触媒として利用する必要がある。自分の魔力の代わりに外部供給で補うという話だ。これによって魔術の才能がなくても魔術を使用する事が出来るようになる。


「ソロが基本だったりするとこれが割と命綱になる。そうじゃなくても辺境や地域によっては珍しい魔術が刻まれたスクロールが売ってたりするからな。使用する分と使用した分の補充を含めて軽く見ておきたいんだ」


「成程……そういう魔法を売ってるのが魔法屋なんですね」


「うむ」


 場所によって雑貨屋と一緒になってたり、或いは魔道具店と一緒だったりするところもある。こういう田舎だと大体別の店と兼業で置いてたりするのだが、偶に都会暮らしに飽きた隠者が営んでたりするもんだから馬鹿に出来ない。


「俺達にはレノアって魔女が付いてるが、それでも一応個人用のを補充したいからな」


 俺の言葉に頷いたエヴァは納得した様子で付いてくる。


 そう大きくもない街なので目的の魔法屋には直ぐに到着する。壁には大量のスクロールが飾られ、他にも魔法薬の材料や触媒なども売られている。不足していたスクロールを幾つか発見したらそれを纏めて購入する為にカウンターへと運ぶ。


『うお、雪火のスクロール? 珍しいもん置いてあるわね。北方ならではって奴かしら。……ねーねー、カシウスぅー』


「その猫撫で声を止めろ。怖気が走る」


 そう高くもないスクロールなので買ってやるか、と声を零すと嬉し層の小鳥が舞う。魔法屋も来るのは初めてなのだろう、店内に入ってからエヴァは色んな魔術の刻まれたスクロールを巡っては違うのに飛びつくように流し見ている。


 彼女がこれまで経験してきた城の中の世界とはまるで違う外の世界での暮らしや常識というものを、今彼女は堪能しているのだ。ひとしきり満足するまでマジックスクロール巡りしているのを眺めてから会計を済ませて魔法屋を出る。


 両手で抱えるには多すぎるマジックスクロールの類も、ポーチ型のマジックバッグなら物理的な容量を無視して中に詰め込める。


 次はギルドに向かう。


 その途中で雑貨屋を見つけるのでついでに寄る。大体必要なものは事前に揃えてるものの、エヴァが興味を示すような様子を見せているのではしょうがない。何か用事があるかのように見せかけて雑貨屋に立ち寄る、軽く物色したら雑貨屋を離れる。


 その後も何店か立ち寄っては軽く物色しながらギルドへと向かう。その一つ一つに興味を示すエヴァは、その姿以上に幼く感じられた。


「エヴァ……君は城から抜け出したりはしないのか?」


「突然なんですか!? しませんよそんな事」


 俺の疑問に驚きながら答えてくれるエヴァは心外だと言わんばかりの表情をしている。


『この子は行儀が良かったわよ。周りにいる連中も行儀が良かったし。まあ、私らがひたすら悪童極まってたとも言えるんだけどね』


「まあまあ脱走癖あったよな。セオ」


『うん』


「お父様……」


 セオドリクは決して城内に縛られるような奴じゃなかった。散歩感覚で城から脱走する上に直ぐに人を巻き込んでくる。巻き込まれる側からするとはた迷惑極まりない奴だった。


「お父様は……その、そこまで破天荒でした?」


 その質問にそうだなぁ、と声を零す。


「直ぐに人を……というか俺を巻き込むような奴だ。散歩したいから護衛の騎士を無力化してくれって当然のように頼んでくる奴だったよ、アイツは」


『それで実際に無力化するアンタもアンタだったけどね。新鮮な魚を食べに行くぜ! で急に港までピクニックしに行くことになった時は楽しかったわよね。誰一人として自分の立場とか重要性を理解していない感じが凄かった。今思うとだいぶ無茶したわね』


「あったあった。書置き一つ残して四人で城を抜け出した時だよな? 道中で賊とエンカウントした奴」


「お、お父様……」


 父親のやんちゃ時代の話を聞いて頭を押さえながらエヴァは溜息を吐く。俺の覚えてる限り、この手の奇行も十五を過ぎたあたりから成りを潜め、十七になる頃には王族として完全なる落ち着きと威厳を手にしていた。セオドリクにとってアレは最後に許された子供らしさだったのかもしれない。


「エリスもセオも凄いやんちゃだったよ、子供の頃は。俺達四人で何時も走り回って遊んでた。アレで良く帝王学を学ぶ時間があったよな?」


『皆、そこら辺はうまく時間を捻出してたわよね。アンタは騎士としての教養を。セオは王族としての帝王学を。エリスは妃としての知識を。私は魔術の勉強を』


 もう何年も前の話を語っているのに、目を瞑るだけで当時の事を思い出せてしまうのはどうしてだろうか? いや、そんなものの答えは既に出ている。俺の魂が未だに当時に縛られているからだ。一人になって、国を出て、多くを見て旅をして、それでもまだ魂があの頃に縛られたままだ。


 それだけの話だ。


「お父様とお母様の話……聞けば聞くほどこれ以上を知るのが怖くなるんですけど……」


「語りつくせない程に面白エピソードはあるから、その気になったら言ってくれ。一晩中語り明かせるから」


 フードに隠れたエヴァの頭をぽんぽんと撫でてから口元に指を当てしー、とジェスチャーを取る。そのまま正面まで来ていた建物に、ギルドの支部へと入り込む。


 ギルド。互助会。冒険者を支える手。或いは無職の行きつく先。扉を開けて入る冒険者ギルドは人が少なく、カウンターの向こう側に受付嬢がいるだけの状態だった。恐る恐るといった様子で踏み込むエヴァはフードを被ったまま、辺りを見渡す。


「人が……いませんね?」


「冬の間は働けないからな。たぶん今頃祭りの警備や雑用に駆り出されてる所だろ……所謂本当の“冒険”と呼べるものをする冒険者は少なく、上澄みに限った話だ。大抵は日雇いの仕事を積み重ねる便利屋のようなものだ」


「ちょっと、夢が崩れますね……」


 それこそ冒険や探検するだけなら別に冒険者ギルドに所属する必要も依頼を通す必要もないだろう。それでも名義を置いておくことに意味があるのは、それなりの実力と名声のある者に対する支援という名のリターンがあるからだ。


 俺もこのパターンだ。


 リターンがあるから名義を貸している。


「丁度良い感じに人がいないな……。少し待っててくれ」


「あ、はい」


 ぴよぴよと鳴きながらエヴァの頭の上に小鳥が泊まる。その間に受付まで進み、ライセンスを取り出す。


「金級冒険者のカシウスだ。俺宛てにメッセージか何かないか?」


「少々お待ちください」


 ライセンスカードを受け取った受付嬢はそれが本物かどうかを確認すると、そのままギルドのネットワークを通して保存されているらしい情報を確認する。なんでもギルドにはあらゆる支部で情報を共有する技術があるらしいが―――門外漢にはまあ、あまり興味のない話だ。


 便利だという話さえ解ってればそれで良い。


「カシウス様ですね、確認が取れました。二件のメッセージがあります」


 お、と声を零して次を促す。


「まず一つ目、中央大陸ミリディアの本部から早く白金級への昇給試験を受けに来い、との事です。次回の白金級への昇格試験は半年後、ミリディア本部で行われます。必要なら港からの船の手配も行いますが―――」


「覚えてたら行くわ」


「……」


 受付嬢にジト目で睨まれるのを手を振って払う。


「はあ……二件目は……此方も中央大陸の方ですね。サン・フォルのバイスさんからいつ戻って来るのか、という連絡を入れて欲しいと」


「気が向いたら帰るって伝えておいてくれ」


 信じられないものを見る様な目を向けられたが、それがメッセージの全てならもうここにいる理由もない。カウンターの上に置かれたライセンスをさっさと回収するとそれを懐に入れて背を向ける。手を背中越しにひらひらと振って入り口で待っているエヴァの所まで戻る。


「待たせたな。どこかで昼食を取ったら直して貰った服を受け取りに行こうか」


「あ、はい」


 外に出るとエヴァは小走りで横に並んでくる。横に並ぶとしばし無言で見上げるように視線を向け、何か言いたそうな表情をする。



「その……別に疑う訳ではありませんし、カシウスさんが凄いのは……その、私をあの古城から助け出した時に良く理解しています。ただそれはそれとして、今一実感というより良く解っていないので質問しますが」


「おう」


「……もしかして、カシウスさんって凄い方ですか?」


 エヴァの疑問に対してどう答えたもんか。それを少しだけ考える。ここで下手に肯定すると自意識過剰にも思えるし、否定すればするで卑屈になる様な気もする。案外、こういう質問はkと和えづらさがあるものだと思っていると、小鳥が代わりに答えた。


『凄いも何も化け物よ、コイツは』


「化け物って……」


 いいわね、と小鳥が前置きをする。


『この一見無害に見えそうな童顔の三十台はね、僅か十歳という年齢で他の候補生全員を力のみで解らせた挙句、先任の騎士たちを片っ端からボコして騎士になったというとんでもない経歴の持ち主なのよ』


「……私が知る限り騎士とは見習いを最低でも数年続けた上で叙勲するものでしたが」


『強すぎたのよ。あまりにも完璧すぎて。座学も振る舞いも全てが完璧。その上で強さでは並大抵の騎士でも相手にならず。ただの見習いにしておくのが勿体ないという理由で十で騎士になり、十二で近衛の昇格。正真正銘、国内最強格のロイヤルガードだったのよ、ソイツ』


「今は無職の旅人だけどな」


 居心地の悪さに話題から逃げるように少しだけ前に出て、エヴァから顔を見られないようにする。エヴァの視線が此方へと向けられているのを無視して昼食を求めて歩く。


「どうして……どうしてアストリアを去ったのですか?」


「……」


 答えはある。解っている事だが、それは決してこの娘に語る様な事でもない。だから返答をせずに歩いて、話題が自然と流れるまで街中を歩き回る。エヴァも触れてはならない話題に触れてしまったのを理解してか、同じ質問を繰り返すことはなかった。


 ただそれで多少空気が悪くなっても、腹は減る。


 空気には美味しい食べ物の匂いが漂っており、歩いてそれを嗅いでいれば当然腹は減る。自然と亜腹が減り出す頃には先ほどまでの空気も消えて、代わりに昼食をどうするかという話に変わってくる。


「折角だし、このまま屋台で適当なものを買って食べるか」


「ん、良いと思います。こういう事、城に戻ったら出来なくなるので」


「なら楽しめる間に楽しんでおかないとな」


 昼には屋台から煮込み料理を買う事にした。自分でも見た事のない肉の煮込み料理だったが、匂いからして美味しいというのは良く解る。食欲を刺激する濃いソースの匂いに釣られて二人前購入すれば、近くにベンチに座って人込みを眺めながら食べる事になる。


「不謹慎だとは解るんですけど……こうやって城の外に出て、今まで私が触れる事がなかったことに触れて知って行く事が楽しくて……申し訳ないと解っていても、楽しんでしまいます」


 横に座るエヴァが器の中に煮込み料理をスプーンを使って丁寧に、綺麗に食べている。品のある所作を見れば大体どこ出身なのかは解ってしまう……生まれ故のものは隠しきれない。


『楽しんじゃ楽しんじゃえ。こういうのは堪能できる時に出来るだけ楽しむのが正解ってものよ』


「ユーリ……あ、幼馴染の騎士なんですけど。彼、15で騎士になって将来を期待されてて。彼のほかにも宰相の娘とかと一緒に勉学を受けてたりするんですけど」


「同年代を集めて結束力を高めようとするのは今世代でもやってるのか」


 子供の間に仲良くなればそのまま大人になっても関係は続く……というのは一種の幻想だとは思う。とはいえ、こうやって窮地に祖国を捨てた人間が戻って来た事を考えると意味はあるのかもしれない。


「皆が今も国で私の心配をしている筈なんです。その事を考えると楽しんじゃって良いのかな……って考えちゃうんです」


「でも、楽しいだろ」


「……はい」


 そういう自分に素直な部分は間違いなく親譲りだ。それを無理に殺す事はない。限界まで柔らかくなってもはや溶ける様な肉を口の中で味わってから溜息を吐く。


「王は人にあらず」


 懐かしい言葉を口にすると、エヴァが見上げてくる。


「その言葉は……」


「セオの言葉だ。アイツも父に……国王陛下に言われた言葉らしい」


 王は人ではなく、王というシステムだ。それ故に人としての情念、執着、感情、その全てを排して王という歯車となって国を回すべきである。それは理念であり、そして理想でもある。不可能な考え方の一つだ。だが王となった瞬間、凡人のままで居られないという事実は確かだ。


「アイツはその言葉に従って王となる時に、それまでの人としての全てを切り捨てて王となろうとした。だからこそそれまで、子供として過ごす時間は己の欲望のままに従い、出来るだけ多くの思い出を蓄えた。その間に見た一生分の美しいものが、王となった彼を生涯支えるように」


 俺にその考え方は理解できなかった。俺は最後まで感情に生きる男だったからだ。鋼の様な機構にはなれないし、血肉の通った凡人のままでしか居られなかった。だからこそ国を出るという選択肢を取ってしまった。それと比べればセオドリクは凄く、そして素晴らしい男だ。


「正直国内の事情がどうなっているかは解らないが……それにしたって、まだ王ではないなら選択肢の多くが君にある。何を選ぶにしろ、ここにいる間は誰の目も届く事はない。所詮、今となって俺達は外様だからな?」


 肩の上の小鳥へと視線を向ければ、小鳥からのウィンクが返される。


『頼まれても城に戻るつもりなんてないしね。だからここでアンタがどう振舞おうとも誰かが知ることはないし、気にする事もないわ。束の間の自由だと思って楽しんじゃいなよ』


「……楽しむ」


 呟く用の繰り返される言葉に、エヴァは俯き、考える様な姿を見せる。その頭に手を乗せ、軽く撫でる。


「ま、明日にはここを出る。それまで……楽しめるだけ楽しんでおけ」


 明日になればきっと、嫌でも辛くて苦しい旅路になるだろうから。

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