雪解けのゼルトリンゲン ー 6
休憩と補充の為にたっぷりと一日を使った。
冒険を華々しいものだと勘違いする者は多く、その本質を理解している者は少ない。冒険、とは即ち挑戦だ。未知へと歩む事は暗闇の中を進む事に等しい。その恐ろしさは実際に闇の中を惑った者にしか伝わらないだろう。
だからこそ闇の中を歩む者にはランタンが必要になる。心の指針、羅針盤、闇の中を照らす僅かな光が。
そしてそれは得てして心の栄養から来る。楽しかった記憶や思い出、何かをやり遂げようとする覚悟、貫こうとする意思や信念。そういうものが冒険に出る上での武器になる。
無論、それだけで完遂できるほど未知は容易い相手ではない。だからこそ限界まで準備を整え挑む事が賢い旅人というものだ。その為の投資は惜しまず、出来る準備は可能な限り整えなくてはならない。長年の放浪生活で染みついた癖は確実に生きる為に意識を作り替えた。
ブーツに足を通す。ストラップを結ぶ。
滑り止め用のグローブに指を通す。拳を作って密着感を確かめる。
マントを羽織る。様々な環境から身を守ってくれる信頼している防具だ。
壁に立てかけておいた二本のクレイモアを背に回す。魔術によって背にマウントされる為、鞘も要らず抜き打ち等がやりやすいように調節されている。
腰のホルダーには取り出しやすいように緊急実に使うスクロールを何個か差し込んで置き、その横に短剣を仕込む。空間拡張能力を持ったポーチ、マジックバッグと呼ばれる冒険者の必需品は手が届きやすく、邪魔にならないように何度か腰の辺りを調節する。
着慣れた装備品の類は何年もの冒険と探索を支えてきた頼れる友だ。使えば使うほど手に馴染み、咄嗟の判断や状況を乗り越える力となってくれる。やはり旅装に身を包むと意識のオンとオフが容易く切り替わる。着替え終わり、これで冒険に出る準備は整った。
「うし……こっちは着替え終わったが、そっちはどうだ?」
「も、もう少しお待ちください! 今終わります」
そう言うエヴァの声は部屋を半分に分ける布の仕切りの向こう側からする。男女が同じ部屋で寝起きするという経験がないお姫様の為に用意した仕切りだったが、こういう事以外では神経の太さを発揮してか特に気にする様子も見せなかった。
「大丈夫か?」
「大丈夫です、普段から一人で出来る事はなるべく一人でやってるので」
「ほー」
そうエヴァが言うと、脳裏に従者の類を追い払ったセオドリクの姿を思い浮かべる。エリスは確か着替えを侍女に任せてたか。こういう自立した部分があるのはどちらかというと父親似か。母親の方に性格が似なくて良かった。
「……はい、終わりました。お待たせしました」
そう言って仕切りが横に退けられる。その向こう側からエヴァの姿が出てきた。が、彼女の姿は今までの様な高そうなドレス姿ではなく、ここで購入した旅装へと切り替わっている。
白をベースに青をあしらったケープの付いた二重構造のコートはちょっとした高級感が彼女全体の雰囲気とマッチしている。購入した時にも確かめたが、やはり短めのスカートを履いており、スカートそのものは少し長めのコートの裾に隠れてしまっている。
その代わりに足はタイツによって保護されており、足元も頑丈そうなつくりのブーツによって守られている。見た目は全体的に可愛いというよりは気品を感じさせる美しさなのだが、個人的にはそんな事よりも気になる事がある。
「……大丈夫か? 寒くないか?」
「大丈夫ですよ、寒くはないです」
『私が態々時間かけて付与魔術を施したんだから完ッ璧ッ! に決まってるじゃない』
「そっかぁ」
テンション高めの様子の女性陣にちょっと距離感を感じる。まあ、俺も良い感じの剣を見つけたらテンションが高くなるし、そういうもんなのだろうと納得しておく。
「ま、良いんじゃないかな。可愛いというよりは綺麗系な恰好で、良く似合ってると思うし。良い意味で少女らしさがないな」
「そ、そうですか? ありがとうございます」
少しだけ頬を赤く染めると、髪を弄り出す。特に纏める様な事はせずに、今まで同様下ろしたままにする様だ。小鳥から向けられる視線にちゃんと言えたのね……的なものを感じられたが、まあ、そこら辺は子供の頃死ぬほどエリスに詰められたものだ。
意見を求められる前に言え。それが男子の義務だって。
「……」
「あ。あの、カシウス……さん?」
「いや、悪い。顔を見る限り疲れも残ってないし大丈夫そうだな。今日から厳しい旅になるから、それだけは覚悟しておいてくれ」
「あ……はい」
ぐっと拳を握って力強さをアピールするエヴァにどことなく癒される。彼女はまだ、自然の猛威を理解していない。だからこそまだ気楽でいられるのだろう。その不足分をどうにかするのが、俺とレノアの仕事だ。彼女は必ず国へと帰す。その意志だけを胸に抱いて最後の荷物を纏め、部屋を出る。
必要なものは全てポーチの中に。その為部屋を出る時は手ぶらで。そのまま宿の受付まで進んだら部屋の鍵を返して出る。
先日に比べれば祭りの勢いも落ち着いてきたものだが、それでもまだ浮かれた人々の声と雰囲気が空気には漂ってる。ただその中には日常へと戻ろうとする姿も少なくはない。祭りが終わればいよいよ春に入って夏や秋、そして冬に備えた一年を迎えなければならない。
彼らには再び、忙しい日々が待っている。
「まだ、続くんですね」
「まあ、今日か明日で終りだろうな。彼らも延々とお祭りをするだけの余裕がある訳じゃない。これが終わったら農作業や家畜の世話が待っている。冬の準備は早い段階から始めないと手遅れになる。ダリウスにおける冬の備えは早く、ほぼ一年の間図と行われている。
南部はともかく、北部はそれだけ冬が厳しいという事だ。
ゼルトリンゲンの通りを抜けて門までやってくると先日とは別の守衛が立っている。並んで歩く此方を、というよりはエヴァを見るが止めるようなことはせず、門を抜ける時に軽く会釈してくる。
「良い旅路を」
「ありがとうございます、お仕事頑張ってください」
にこり、と笑った手を振るだけで守衛が舞い上がるのが見えた。同僚の肩を叩きながら自慢する様子を最後まで確認せずに街道に出る。正面、帝都まで続く正規のルートはしっかりと整備されており馬車が通りやすくなっている他、雪も溶かされている。
だがこの道は行かない。
途中で南へと逸れる道に移り、南下する。此方も街道同様中々広い道だが、街道程整備された道ではない。ただ何度も馬車が通った後が見えるのはここも、それなりに往来のある道である事を示しているからだ。
「こっちで……良いんですよね?」
「あぁ、リフティア氷樹海へと向かう道はこっちで会ってる」
先日確認した地図の中身を思い出す。
「ここを南に行くと直ぐに牧場が見えてくる。リフティア周辺は年中涼しいからヤクを育てるのに向いているらしくてな。その横を抜けて更に南へと進めばすぐにリフティアだ。薬草やら魔獣の素材求めて冒険者たちが良く通るのが子の道らしい」
「そうなんですか……」
轍の跡はくっきりと残る道はまだまばらに雪の姿が見られる。南へ、更に南へと向かって進み始めれば空気がゼルトリンゲンの近くにいた時よりも冷えて行くのが解る。年中、深い雪と氷、そしてそれが有する氷属性の魔力に染まった樹海が近づいている証だ。
「あ……あれが農場ですね」
「だな。ヤクも見えてきたな」
「あれですね!」
農場の中、でかい毛玉とでも表現すべき四足歩行の生き物がのんびりと草を食んでいる。防寒具を纏っていないと寒いと感じられる環境も、ヤク達にとっては過ごしやすいのか落ち着いた様子を見せていた。柵を超えないように気を付けながら走り寄ると、エヴァがその姿を眺めた。
「本当に大きな毛玉みたいですね……可愛い……」
見られている事を気にせう事無くヤクはのんびりとしている。しばらくその姿をエヴァは眺めていたが、芝r飼うしてヤクに一切の変化がないのを見ると戻ってきた。
「あんな大きな家畜がいるんですね」
「まあ、ヤクはだいぶ大きいよな」
家畜としては最大サイズの生き物になるんじゃないだろうか? 良くもまあ、帝国はこれを家畜化出来たもんだと感心してしまう。
……良く見ると農場の主が畑の方で作業中だ。農場を眺めている俺達を眺めていた。不審者かどうかを確かめているのかもしれない。迷惑にならないうちに歩き出そう、とエヴァの背中を軽く叩いて歩き出す。
農場の横を抜け、更に南へ。
農場から繋がる道は更に細くなり、荒れ始める。ここからは冒険者や警邏の為の兵士ぐらいしか来なくなる。必然、そうなると辺りは樹海の気配が濃くなってくる。歩きながら、ゼルトリンゲンでの数日を思い返すようにエヴァが白い息を吐く。
「これまで、帝国を単なる敵国としか見て来ませんでした。帝国は常に国境付近で問題を犯していて……税での衝突や移民、越境行為、様々な事で常に言い争ってきた敵でした。だから敵国にいるという事は少なからず私にとっては不安だったのですが……」
ざく、ざく、ざく、と薄く積もった雪をブーツが踏みしめる。ここまで来ると雪はまだ溶けておらず、少しずつ積もり始める。更に奥へと踏み込めば歩きづらくなってくるだろう。
「帝国での普通の生活が、日常が……当たり前のようにあるものがこれほど面白く、素晴らしいものだとは思いませんでした」
肩の上に乗って翼を休めてる小鳥がそうねぇ、と呟く。
『貴族と庶民で見る世界は違うからねぇ。今まで凝り固まった……って訳じゃないけど、一方通行の世界しか見れない立場にあったからね。まあ、セオの様に普段から抜け出して個人の立場で物事を見る事が出来れば話は違ってたんだけど』
「思い込みと偏った情報、そしてねじ曲がった思想程恐ろしいものもないな」
『ねー』
「……」
横顔を確認するエヴァはこれまでの自分g亜正しかったのかどうかを考えている様に思える。実際の所、王族としての彼女を考えれば正しかったと言えるだろう。必死に学び、期待に応え、そして将来に備えてより正しい王族としての姿を示す。それこそ彼女に与えられた役割だ。
『ま、アンタは王族だししょうがないわ。そういう立場に居たんだから』
その言葉にエヴァはそうでしょうか、と声を零す。
「そうやって知らない事をしょうがない、で済ませるのは怠慢……ではありませんか?」
どうだろう、と声を零し……エヴァの横に付く。急接近にエヴァが少し驚くが、直ぐに正面に目を凝らし、誰かが向かってくるのを見た。此方よりももっとがちがちに装備を固めている辺り、ここらを拠点としている冒険者の様に思える。
「お、アンタらもリフティアに入るのか?」
「あぁ、ちょっと仕事で入らなきゃいけなくて……な?」
前方からやってきた冒険者の一団は手を上げながら近寄って来る。それに軽くエヴァンに視線を向けて答えてやれば、勝手に納得して成程な、と呟いた。
「アンタ冬が明けたばかりで大変だな……気を付けろよ、リフティアのシャーマンやドルイド共が結構荒れてる。何があったかは知らんけど見かけ次第襲い掛かって来るぞ連中は。浅い所ならまだ良いけど、深い所に行って見つかったらまず間違いなく殺し合いだ」
「シャーマンやドルイドか……リフティアにも居るとは聞いてたけど」
あぁ、と冒険者らしき男は続ける。
「リフティアのシャーマンやドルイド達は雪霊の民と呼ばれる土着の民で、帝国がこの辺りを併合した時に反発した連中の子孫だ。アイツらは未だに帝国の併合に納得してないし、反抗心バリバリだ。リフティアは連中のテリトリーでまあ……普段はもうちょい話が通じるんだがな……」
「いや、話は解った。此方も気を付けるよ。ありがとうな」
「いやいや、冒険者たるもの助け合いさ。今度酒場かどこかで見かけたら一杯奢ってくれ」
その時は奢る―――何時になるかは不明だが、約束をして別れる。冒険者たちは道に沿ってゼルトリンゲンへと向かい、俺達は彼らに背を向けて更に樹海へと向かって行く。彼らが出てきた所から更に少し先へと進めば、空気が一気に冷えてくる。
永遠に雪と氷に閉ざされた樹海の入り口へと、そこで漸く降り立ったのだ。
「ここが氷樹海リフティア、ですか」
『シャーマンとかドルイドの連中って価値観が独特で話が通じないのよね。森羅と祖霊の信仰だっけ? ホームグラウンドで相手したくない連中ね』
「幸い、喧嘩を売るのが目的じゃないからな。回避できるもんは回避すれば良い。そう心配する事でもない」
シャーマンやドルイド……確かにここに来る前に、調べていた事前情報ではここに住んでいる連中がいるのは知っていた。だがそれが特に問題になるとは思っていなかった。問題があるとすれば環境の方になるだろうと思っていた。
が……これは恐らくこの樹海の中で何かがあったのだろう。
「内輪もめか。それとも外様が問題を引き起こしたのか。どちらにせよ、関わるつもりはない。ここを突っ切って帝都へと向かう……良いな?」
「はいっ、私も……国へと帰らなくてはなりません」
エヴァはそう言うと僅かに俯き、小さく呟く。
「今回の件を……追求しないと」
「……」
或いは、この少女は今回誰が彼女をこのような果てまで連れ去る事を企んだのか、その首謀者を朧気に認知しているのかもしれない。陰謀渦巻く王級内で、ただの無知で無力な子供は王族の名を冠したままではいられない。
彼女もまた、あの場所に戻るつもりがあるのであれば子供のままではいられないのだろう。
特に庇護する者を失った今、彼女が頼れる者は―――。
「……いや、俺は俺の役割を全うするだけだ」
聞こえないように呟けば、小鳥が首を突いてくる。解っている、自分が果たすべき責任は絶対に果たす。その為にこの大陸の土を踏む事に決めたのだから。たとえこれが人生最後の奉公になろうとも、それでも絶対に成し遂げなくてはならない。
そうしなければ、かつての友への友情に返せるものが何もない。
「行こう、暮れる前にキャンプ地点へと行きたい。歩いている間に説明するが、最初のキャンプ地は既に決めている。今日はそこまで行くのが目標だ」
「はい。えーと、暮れたら危険だから……という事ですよね?」
歩き出す動きにエヴァが付いてくる。彼女の問いに言葉ではなく、頷いて応えた。
夜の闇が訪れれば魔獣共が活性化するだろう。そうなると移動するのは困難だし、野営地を探すのも大変だ。だから明るいうちに野営する場所を確保しておく必要がある。これは特になれない地では基本の指針だ。
だがそれ以上に慣れない環境、慣れない移動、そして常に危険と隣り合わせのストレス―――これがエヴァを害する可能性が高く、彼女をそれから守る為にも早めに野営地の確保が必要だ。その為の候補は決めてある。何事もなければ暮れる前には着くだろう。
……何事もなければ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます