雪解けのゼルトリンゲン ー 4

 噛みついた瞬間、焼けたパイがパリパリと割れる音が聞こえた。


 パイの内側から溶けたチーズと肉汁が溢れだす。臭みのある独特な味わいのあるチーズに、香草等によって味付けされた肉。材料も作りも中々に豪華なのは今が迎春祭だからだろう。パイに噛みついてから少しパイを離そうとチーズが口とパイの断面から伸びる。


「んっ! んぐっ……」


 少しむせてるエヴァの方へと視線を向ければ涙目になりながらパイを食べていた。どことなく必死にも見えるその姿にちょっと笑い声を零してしまう。


「その顔、チーズが思ってたよりも臭みがあって驚いた、って感じだな」


「こほっ、はい……こんな味のチーズは初めて食べました」


「ははは、嬢ちゃんヤクのチーズは初めてか? ヤクの乳は独特の臭みがある代わりに凄い栄養が豊富だからな。俺達からすれば食べ慣れたもんだが……育ちの良さそうな嬢ちゃんにはちょっとキツイかもしれねぇな!」


 屋台の店主に軽く手を振ってからエヴァと並んで歩き出す。肩に止まっている小鳥にパイを差し出すと嘴で啄むのを長めながら祭りの活気で満ちる大通りを進む。


 ―――既に到着してから一晩が経過している。


 それでも未だにゼルトリンゲンは活気で満ち、祭りが続いている。その中を歩きながらエヴァは興味津々と言う様子で辺りを眺め、パイをちびちびと食べながら歩いている。食べ歩きに慣れていないのかその様子は未だにおっかなびっくりという所なのが可愛らしい。


 宮廷作法を叩き込まれて育った影響か、歩く時の背筋が真っすぐと伸びて姿勢が良い辺り育ちの良さが垣間見える。だが存外神経は太いらしい。フードの下に隠している顔を軽く確認すれば、良く眠れたのか疲れの色はそこにない。


 ……神経の太さは親譲りか。


「ヤク……聞きなれない動物ですね」


「北方の方で家畜化された元モンスターだからな」


「え、モンスターなんですか!?」


 驚いた様子でパイから顔を上げるエヴァに頷きを返した。


「ヤクの正式名称は“ウーリージャイアントヤク”ってモンスターでな、あの屋台見えるだろ? アレの3倍近い大きさのモンスターだったんだ。ただ希少が比較的に穏やかだから何頭かまだ若いうちに捕まえて調教して、繁殖させた結果が今家畜化されてるヤクになるんだな」


 他の国や地域でおける牛の代わりだ。全体的にずんぐりむっくりとしていて、大きな毛玉の様な姿をしている。それをエヴァに教えると興味津々という様子で話に聴き入っている。


「性質からして寒い地域じゃないと生きていけないからな、帝国でも北方の方じゃないと姿を見ないよ。それこそアストリア近くの南部だと影や形も見ないだろう。だがこっちだと乳が栄養豊富で、肉も取れて、そしてウールも取れる。角は硬く、道具に加工できる」


「捨てる所のない万能な家畜なんですね」


「そうだな……モンスターを家畜に調教するという発想も含めて凄いもんだよ」


 この臭みのあるチーズは食べなれていないと中々食べづらいのだが、慣れてくると肉の味わいや香草の組み合わせと合わせて中々美味しく食べられる。ワインなんかあれば最高なのだろうが、流石に朝から飲むわけにもいかない。


「当然ですけど、帝国には帝国の文化と生活様式があって……私の普通とはまた違う普通があるんですね」


「それを知る事が旅の醍醐味だな。異なる文化、思想、歴史、伝承……未知に触れてそれを一つずつ理解し、受け入れる。新しい事を知る度に世界が広がる。旅ってのはそういうもんだ」


 国を出て様々な国を回って、海を渡って中央大陸や東方大陸を歩き回って随分と自分の世界は広がったものだ。その面白さや楽しさは言葉で語りつくせる事はないだろう。この思い出の美しさは当事者とならない限りは伝わらない事が何よりもそれが残念だ。


 旅行記やガイドブックでは本来の良さの十分の一も伝わらないだろう。


「……」


 昨日とは違い、辺りを見る余裕もあるのでエヴァの視線は田舎から都市に出てきた娘の様にせわしなく辺りを見渡し、小さなことに驚いている。子供らしい表情の変化にちょっとだけ安心を覚える。この様子ならしばらくは彼女の心の重荷を心配する必要もないだろう。


 ゼルトリンゲン到着から一日が経過した。


 追手の気配はなく、疑われる様な事もない。


 この祭りの裏で陰謀が動いている等誰も予想をしていないし、俺とエヴァの組み合わせを見ても親子か、或いはお忍びの貴族とその護衛程度の認識しか抱かないだろう。迎春祭の真っただ中で助かった。誰もが春の到来に浮かれて俺達の印象なんて長く残らないだろう。


「他に何か食べたいものはあるか? 昨日は歩き通しだったし腹が減ってるだろ? 遠慮しなくて良いからな」


「あぁ、いえ、そんなにたくさん食べるタイプではないので。正直このパイ一個だけでも十分で……」


「本当にか? 遠慮はいらないからな? いっぱい食べないと大きくなれないぞ」


『完全に姪に餌付けする親戚のおじさんよね、アンタ』


 友人の娘だと思うと可愛くて可愛くてしょうがないって気持ちがあるのは事実だ。何なら俺だって元は公爵家の人間だ、傍流だが王家の血筋が僅かに流れてる。そう考えれば遠縁の親戚だって言えるだろう。ほら、自分の行いに何も間違いはない。


「ここは比較的に港も近い。だから雪が溶けると直ぐに新鮮な食料が届くからな、他の街よりは盛大に在庫を放出出来るってのもこの規模で騒げる理由だろうなぁ。とはいえ、後一日か二日も騒げば終わりだろう」


「あ、まだそんなに続くんですね」


 迎春祭はそこそこ続く祭りだ。とはいえ、それを最後まで堪能するだけの余裕は俺達にはない。今日は旅の準備を整え、明日にはここを発つ。エヴァの調子も良さそうに見えるから予定通りここを出る。


 その為にも大通りを歩きながら、衣類を扱う店へと向かっていた。携帯食料の類はそもそも最初からマジックバッグの中に大量に詰め込んであるし、今回に備えて嗜好品の類もある程度持ち込んでいる。だが唯一、事前に準備が出来なかったものがある。


 エヴァ用の旅装だ。


 こればかりは現地でどうにか調達する必要がある。


 そういうことで前日に調べておいた店へとエヴァを連れている最中だった。その間に見れる街の様子にエヴァは目移りし続けている。数歩前に進んでは辺りを見渡し、近くの屋台を見てからは此方から離れすぎたと足早に戻り、それから再び他の露店に興味を見せる。


 そんな姿を眺めていると、過去の虚像が見えた。


 ―――カーシーウースっ! こっちよ、こっち!


 緩いウェーブのかかった銀髪がふわり、と身を翻すと舞う。そんな少女の姿を幻視した。快活で、笑顔が似合っていて、そしてその微笑みであらゆる人を魅了してしまった魔性とも呼ぶべき愛嬌の持ち主。


『似てるわよねぇ、エリスに。育てば育つほどアイツに似て来るわね』


「顔立ちや髪色は瓜二つだな。だけどアイツとは違う」


 肩に泊まる小鳥がそうね、と零す。エヴァは彼女の母親が持つような魔性の愛嬌とでも言うべきものを持たない。それは決してエヴァを貶すものではない。寧ろ十人が十人、エヴァを美少女であると認めるだろう。


 だがエリスのアレは別格だった。エヴァの母、自分の幼馴染であるエリスは誰にも愛される娘だった。異様なほどに。それがあの娘には継承されていない、それだけでも大きな救いだろう。


 それでも。


「カシウスさん、どうかしました?」


「あぁ、いや、少し考え事をしてただけだ。服屋は直ぐそこだ」


 指差す先にはそう大きくはない店がある。昨日の内に確認しておいた服屋だ。職人も揃っているタイプの店舗で既製品の販売とオーダーメイドを請け負う一つの街に必ずあるタイプの店舗―――その中でもエヴァの様な富裕層向けの服装を置いてある、少し高めの店舗だ。


 昨日はエヴァを宿に置いて回復に努めさせたが、当然その間は暇になる。だから一人で街を回って見つけたのがここだった。


 ただ、店舗を確認するとエヴァは振り返って首を傾げる。


「ですが、カシウスさん」


「ん?」


「旅装を用意する話ですが、明日にここを発つのなら間に合わないのではありませんか……?」


「……んん?」


 エヴァの言動に今度は此方が首を傾げる番だった。この娘は一体何のことを言ってるのだろうか、と心の中で疑問を抱いていると肩の上で小鳥が声を零した。


『あぁ、そっか。王族って基本的にオーダーメイドで発注してるから』


「そういうことか」


「えーと?」


 俺も貴族としての生活から離れて長く、そういう常識がすっかり抜けていた。基本的に仕立屋を城に呼んでオーダーメイドの服を着て暮らしてる様な連中だったなぁ、と。そういう生活を送ってた過去はもうずいぶん遠くに感じる。


「オーダーメイドじゃなくてお既製品を体に合わせて軽く仕立て直して貰うんだよそれなら数時間あれば終わるしな。だから……なんだ、お前が想定してるもんとはちょっと違った感じになる。ごめんね」


「あっ」


 自分の勘違いを理解したエヴァはみるみる内に耳まで真っ赤にするとフードを掴んで、更に深く被って顔を隠してしまった。小鳥と顔を合わせて軽く笑ってからエヴァの背中を叩いて店へと向けて歩かせる。


「ほら、恥ずかしがってないでいくぞ」


「うぅ……」


 フードを掴んだまま促されるようにエヴァが歩き出す。そのまま予定していた店へと扉を開けて入る。入った直後はまだフードを掴んで俯いていたが、トルソーに飾られた服が視界に入った瞬間、顔を上げて駆け寄った。


「これが……既製品ですか? こんな風に飾られているんですね。あ……これ、初めて見るデザインです!」


『私も私も見せてー』


 ぴよぴよ泣きながら小鳥もエヴァの方へと向かい、肩に乗ると女の子らしい騒がしさに店内の一角が包まれた。エヴァ達がそうやって盛り上がっている間にカウンターの方まで進み、店主に懐から取り出したコインを握らせる。


「昨日、言った通りに」


「はい。今日は祭りの熱気も中々のものです。そのせいで何があったのかを思い出せずとも不思議ではありません」


 店主の言葉に満足して頷き、近くのスツールに足を組んで座る。その間にも店内に飾られたコートやブーツ、インナーの類を一つ一つ確認して回る姿は普通の女の子にしか見えない。


「こりゃあ長くなりそうだなぁ」


「レディの買い物とはそういうものですよ」


 軽く息を吐く事を返答にし、店に並ぶものを眺める一人と一羽を眺める。右へ左へと楽しそうにふらふらしているが、何故ここに来ているのかしっかりと覚えているのだろうか?


「旅装だぞ、旅装。パーティー用のドレスを探している訳じゃないからな。温かくて動きやすいものを選べよ」


「あ、はい! 大丈夫です、覚えています!」


『良いじゃない別に。見るぐらいならタダだし』


「年上が率先して脱線しようとするな」


 そう言っている間にもトルソーの後ろに回ったエヴァが体を飾られているシャツに合わせる。それに対してぴよぴよ小鳥が鳴くとまた別の服を試しに行く。複数引っ張っては色合いだか、組み合わせ高なんて話が延々と出てくる。女は良くそんな細かい事に次々と意見が出るものだ。


「旦那様は」


「ん?」


「冒険者でらっしゃいますね」


「……そうだな」


「どうなると旦那様は恐らく汚れが目立たない服を選びます。依頼人と顔を合わせる時は清潔感が大事でしょうが、野外活動が多い方は服をずっと綺麗にしていられる訳ではありませんから。ですから色合いも暗めの色を選びましょう?」


「そうだな。俺も黒とか茶ばっか選ぶな」


 汚れが目立たないのもそうだが、夜の闇に紛れるのに暗めの色の服を選ぶ部分はある。1か月間旅続きで洗濯出来ない時だってあるからなるべく汚れに強い服を選びたい。今着ているものもそういう意図があって選んでいる……とはいえ、デザインは職人に任せきりだったり、その時一緒にいる相手の意見を参考にしてる。


 俺個人のセンスに関しては何も信用してない。


「それと同じことです。ですが彼女達は我々よりももっと見られる事を意識している生き物なのです」


「まあ、そういうもんか」


 まあ、確かにと呟く。


「どうせ見るなら綺麗に着飾ってる方が良いしな」


「そうでしょう」


 ふふ、と声を零して笑う店主。目の保養になるのは俺も特に否定派はしない。だけどあんまり時間がかかるのは困るんだよなあ、と思っていると何着か腕に抱えながらエヴァがこっちにやってきた。


「もう決まったのか?」


「あ、いえ。カシウスさんの意見が聞きたくて。カシウスさんはどっち系が好みですか?」


 そう言ってエヴァは左手で黒をベースにした服を何着か見せて、右腕に白系の服を何着か抱えていた。


「この場合、俺の好みは何でも良いだろ」


「いいえ、良くありません!」


 ぐい、っと迫ってくるエヴァの顔に少し下がる。


「これから国境を……こhんこほん……ずっとカシウスさんと一緒なんです。だったらカシウスさんがなるべく不快感を感じない恰好が良いんです」


「お前は素材が良いんだから何を着ても似合うだろ」


「ありがとうございます……それでは選んでいただけます?」


 流石に宮廷でこの手の言葉は向けられ慣れているのか、多少容姿を褒めた所で動じることはなかった。その代わりに両腕に抱えている服を突き出して、どっちが良いのかを迫ってくる。困った、そう思いながらシンプルな結論を出すことにした。


「それじゃあ―――」


『汚れが目立たないから黒系が良いとかはダメよ』


「多少の料金は頂きますが……えぇ、服にちょっとした魔術処理を行って汚れづらくする事も出来ますから。旦那様はそういう事を気にせずに意見を出してもよろしいのではないでしょうか?」


 一瞬で小鳥と店主に裏切られた。困った、そう思いながら頬を掻いてエヴァを見る。真剣な表情服を抱える少女は俺を見ている。ここで適当な事を言うのは簡単だが、そういう嘘をエヴァは直ぐに見抜くだろう。


 溜息を吐いて、真剣にどちらが似合うのかを見て、比べる。自分の亜kらダニ重ね合わせるようにポーズを取り、真剣に見つめてくるエヴァの姿が―――彼女の母親の姿とダブった。


「白」


 そう思った時には自然と口からその言葉が出てた。


「……白?」


「あぁ、白系に少し濃い青……が、その髪と相性が良いんじゃないかと思う。黒系は君には少しシックすぎる感じがしなくもない」


「……」


 俺の言葉にしばらく目をぱちくりと開いていたエヴァは破顔すると勢いよく頷いた。


「はい、そうします!」


 そう言うと抱えていた服の束を戻し、そこから新しく色々と選び始める。横から様子を伺っていた店主が無言のまま笑顔を向けてくる。気味が悪いから止めてくれ。


「……昔、彼女の母親に似たような質問をされた事があるってだけだ」


「そうでしたか」


 言うだけ言って店主はにこにこしてる。腕前もそうだが、性格も随分と良いもんだな、この男は……そう思いながら店内をぼうっと眺めていると再び服の束を抱えてエヴァがやってきた。


「カシウスさん、どちらの系統が良いですか? 此方のスカート系が個人的にはなんとも……!」


「あの、エヴァちゃん? 君の旅装を揃えてるって話なんだけど……言ってる意味は解るかな? スカートはちょっと危ないんじゃ―――」


『大丈夫大丈夫、タイツ履いて付与魔術で強度上げて対策すればイケるイケる』


「いや、あのな」


「旦那様、そこは男の甲斐性ですよ」


「いや、違うだろう」


「カシウスさん、これ見てください、この生地が本当に良くて! トップスをこれに、それに此方のスカートを合わせて、黒タイツにすれば色のコントラストも良いと思うんですけど……!」


 これ以上なくパワフルに迫ってくるエヴァに半ば気圧される。此方にも予算の都合というものがある。なるべくなら安く済ませて欲しい所だが……。


「レノア様、これとかどうでしょうか?」


『良いわね! でもこっちのちょっとふわっとした感じの方が男ウケは良いわよ』


「お、おと、男ウケ!?」


 だが楽しそうに物色している姿を眺めているとどうしてか、まあ、良いか、という声が喉から零れてしまう。彼女達が満足するまで待つ事にし、静かに頬杖をついてその姿を眺める事にする。


 ……出来る事なら、日が暮れる前に決めてくれると助かるのだが。

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